医療の発展に貢献した久原家(二階町)
久原茂良 1858(安政5)年~1927(昭和2)年
茂良は洪哉の次男として津山で生まれました。最初「木藾」と称しますが、 1884(明治17)年に茂良と改めました。同年、東京大学医学部を卒業し、順天堂病院等で臨床研究を重ねました。1886(明治19)年に帰郷すると、 津山二階町(現・津山市二階町)で医院を開業します。
久原茂良 1858(安政5)年~1927(昭和2)年
茂良は洪哉の次男として津山で生まれました。最初「木藾」と称しますが、 1884(明治17)年に茂良と改めました。同年、東京大学医学部を卒業し、順天堂病院等で臨床研究を重ねました。1886(明治19)年に帰郷すると、 津山二階町(現・津山市二階町)で医院を開業します。
津山藩医・久原家
久原家に残された「先祖書」によると、久原家の始祖は森家の家臣熊野角右衛門であると伝えられています。角右衛門はその後、久原宗清良政と名を改めました。
医家久原家の初代は宗清の跡を継いだ甫雲良賢です。良賢は1677(延宝5)年に幕府の医官であった西玄甫から「阿蘭陀流外科医術免許状」を授けられ、その後1708(宝永5)年に津山藩に藩医として、30人扶持で召抱えられ、椿高下に屋敷を与えられました。良賢以後、久原家は9代洪哉まで代々津山藩医を勤めることになります。
箕作秋坪は1825(文政8)年に菊池士郎と多美の二男として備中国下呰部村(あざえむら)に生まれました。13歳で父を亡くしますが、17歳頃から父の旧友・稲垣研嶽(いながきけんがく)の下で漢学を学び、さらに江戸へ出て箕作阮甫(みつくりげんぽ)に弟子入りしました。
1849(嘉永2)年には、大坂の緒方洪庵(おがたこうあん)の適塾に入門。この時にはもう箕作家の養子になることが内々に決まっていたようです。翌年、藩に正式に養子として認められ、さらにその翌年、江戸へ戻って阮甫の三女つねと結婚。新進の医師として活動を始めました。この時秋坪は27歳でした。
翌1852(嘉永5)年には、藩主松平斉民(まつだいらなりたみ)のお目見えもいただきました。
上記写真は、広島市北部を襲った大規模な土石流の被災農家からいただいた稲を細かく粉砕し、ホームセンターで購入した「まさ土」に混ぜてつくった「可部のおにぎり」です。
奈義町町制施行60周年記念/奈義町現代美術館開館20周年記念
「太田三郎 2010-2014」が、2014年11月22日(土)〜12月23日(日)まで奈義町現代美術館ギャラリーにて開催されました。
多胡昭彦さん(1932年生まれ)は日本のアマチュア天文家で、10数個の彗星や新星の発見者です。小惑星 (7830) Akihikotagoに命名されました。また、1996年に設立された岡山県柵原町の町立のさつき天文台で天文学の普及に尽くされました。
発見した彗星は、C/1968 H1 多胡・本田・山本彗星、C/1969 T1 多胡・佐藤・小坂彗星、C/1987 B1 西川・高見沢・多胡彗星がある。新星としてはV1493 Aql (みずがめ座新星1999)、V2275 Cyg (はくちょう座新星2001、no. 2)、V574 Pup (とも座新星2004)、V2467 Cyg (はくちょう座新星2007)があります。
文政8年(1825)、呰部教論所の学監 菊池文理の二男として阿賀郡下呰部村(現真庭市下呰部)に生まれる。江戸に出て箕作阮甫に蘭学を学び、後にその養子となった。
文 久元年(1861)、幕命により通商条約実施延期交渉のため、欧州六か国を訪問。また慶応2年(1866)には、北方領土境界交渉のためロシアを訪問する など、幕末の外交交渉に活躍した。維新後、英学塾「三叉学舎」を開設、原敬・東郷平八郎・平沼淑郎ら多くの門人を育成するとともに、森有礼・津田真道・福 沢諭吉らと明六社を興し、明治初期の代表的知識人として知られた。19年(1886)東京で没す。(資料提供:洋学資料館)
赤坂さんは、津山市出身で現在は、岡山市に在住されています。只今は、津山市観光ボランティア「お国自慢」のメンバーで大活躍しておられます。そんな赤坂さんにお話を伺いました。「津山といえば、歴史と文化と古い町、津山城がとても印象的な街だと思います。また、津山の魅力を写真で伝え、津山のPRに繋げてゆきたいと思っています。不思議、謎を見つけて皆さんに再発見してもらえたら楽しいかも?将来の夢は、写真を通して子ども達へ文化・歴史の継承をすること。」と明るい笑顔で語って下さいました。
また、瓜生原には生家があり、その一角に趣味で集めたものを展示しておられるそうです。
旧酒造記念館は、1659年(万治2)に神戸・御影の本嘉納家本宅屋敷内に建てられた酒蔵を、昭和35年に現在の地に移築し、酒造記念館として保存・一般開放していたものです。
館内には、国指定・重要有形民俗文化財「灘の酒造用具」や所蔵する小道具類を展示。酒造りの歴史を今日に伝える資料館として、多くの来館者を数えていたそうですが、平成7年1月17日、旧酒造記念館は阪神淡路大震災によって倒壊。不幸中の幸いとして、収蔵の酒造用具や小道具類は、ほとんどが無事、あるいは修復可能な状態。4年後の平成11年1月25日に復興オープンしたそうです。(文:菊正宗記念館HPより抜粋)2014年5月4日取材
昭和60年(1985)の年賀郵便切手にも使用された竹細工の作州牛、その作州牛を作る白石靖(きよし)さんをお尋ねしてきました。「16歳の時に父親を助けようと思い、家業の竹細工の見習いを始め、約3年の修行を経て昭和32年父親と一緒に試行錯誤しながら考案した作州牛が今では津山の代表的な郷土玩具と言われるようになった。」そうです。(2014年3月11日取材。)
三鬼の最後の弟子 白石 哲さん、俳号は白石不舎(しらいし ふしゃ)
大正13年(1924)、津山市生まれ。西東三鬼に師事。遺言により津山に西東三鬼之墓を造立す。以後俳壇と無縁も上京後三橋敏雄らと交遊、俳諧滞らず、昭和61年帰郷と共に、西東三鬼顕彰を志す。「綱」主宰。句集「作州」。西東三鬼賞委員会副委員長。
平成24年2月27日、逝去。