広島城(国の史跡)
広島城は、現在の広島県広島市中区基町に築かれた安土桃山時代から江戸時代の日本の城。国の史跡に指定されている。毛利輝元が太田川河口のデルタ地帯に築いた平城で、1945年(昭和20年)まで天守を始めとする城郭建築が現存し点在していたが、太平洋戦争末期にアメリカ軍の原子爆弾投下によって倒壊し、現在見られる城内の天守以下城郭建築はすべて1958年以降に再建されたものである。(文:ウィキペディアより)(2016年12月31日撮影)
広島城は、現在の広島県広島市中区基町に築かれた安土桃山時代から江戸時代の日本の城。国の史跡に指定されている。毛利輝元が太田川河口のデルタ地帯に築いた平城で、1945年(昭和20年)まで天守を始めとする城郭建築が現存し点在していたが、太平洋戦争末期にアメリカ軍の原子爆弾投下によって倒壊し、現在見られる城内の天守以下城郭建築はすべて1958年以降に再建されたものである。(文:ウィキペディアより)(2016年12月31日撮影)
2016年11月13日(日)津山土岐家財団記念館で津山土岐家財団主催の第6回講演会があり、森本 信一 氏(津山社会教育文化財団代表理事)を講師でお迎えして行われました。演題は「津山商人の歴史と文化」-津山・森藩・松平藩の代表的な豪商「錦屋」(森本家)にまつわる興味深い商家の歴史や文化について語る-で、満席の中で興味深いお話を聞かせて頂きました。(2016年11月13日撮影)
2016年4月6日の立石家のさくらの咲くころに立ち寄ってみました。(私有地なの要注意願います。)
この立石家の敷地内に咲く花々は四季折々で美しく道行く人々を和ませます。花が咲くころでは、遠くから眺めるだけでも素敵ですね。(立石家の過去の記事、梅の花の咲くころ、秋のコンサート)(美和山古墳群)
『なつかしの津山Part2』池田泰弘切り絵展が始まりました。
開催期間は2017年1月21日(土)~2月19日(日)までです。
江見写真館に残る大正期~昭和20年代までの貴重な津山の風景写真を、池田さんが色彩豊かな切り絵で再現しています。当時を知っている方も、知らない方も、なつかしい津山の町並にタイムスリップしたような気分になります。ぜひ、記念館で作品をご覧になってください。(2017年1月23日撮影)
津山市種にある中部第七十二番霊場(2016年11月13日取材)
岡山県道449号押淵皿線県沿いに、ひっそり佇んでいるお社の横には燈籠があり、道行く人を見守ってくださっています。また、綺麗な祠を見ると地域の人達が大切にお祀りされている様子が解ります。
豊国神社 [ほうこくじんじゃ] 国重要文化財
通称:千畳閣[せんじょうかく]
桁行13間約24m 梁間8間約15m 単層本瓦葺入母屋 木造の大経堂
豊臣秀吉公が、千部経の転読供養をするため天正15年(1587)発願し、安国寺恵瓊[あんこくじえけい]に建立を命じましたが、秀吉の死により未完成のまま現在にいたっています。 明治時代に秀吉公と加藤清正公が祀られ、豊国神社となっています。
入母屋造りの大伽藍で857畳の畳を敷くことができ、軒瓦には金箔が押してあることから完成していれば、さぞや豪華な桃山文化を取り入れた大経堂になっていたと思われます。
また堂内には、大鳥居が明治8年に建替えられた時に使った尺定規があります。
本尊の釈迦如来[しゃかにょらい]・阿難尊者[あなんそんじゃ]・迦葉尊者[かしょうそんじゃ]は、明治維新の神仏分離令のときに大願寺に移されています。
(文:一般社団法人 宮島観光協会HPより抜粋)
消えた武道場
昭和28年に全日本剣道連盟が組織され、武徳会が新しい姿となったが、剣道は終戦で一時ストップした。進駐軍が来るというので剣道用具をかくしたりしたこともある。しかし、別に禁止されたわけでもなく、学校が中止していたまでだが、一般の愛好者は鶴山公園で練習を続けていた。
それが自治体警察の発足によって表面的にとりあげられるようになり、津山にも募金で鶴山武道場が建設された。ここで柔剣道が復活したのは28年であった。ところが、市役所税務課の火災により、武道場が仮庁舎になったまま忘れられ、津山の剣道界では、これほど盛んになっている剣道への理解がないと大いに不満をもらしている。ムリもないことで、一般の武道場はない。柔道の貝田道場、剣道の修倫館は共に個人の建設になるものである。しかし、学校では体育館を活用、少年剣道教室も毎日曜日にひらかれたり、中学校では教科に入ってスポーツの一角に日本の伝統を生かしている。
流田(ながれだ)組の荒神様(2014.7.25取材)
荒神の神は、文字どおり荒ぶる神であり、粗末にしては祟りがこわい霊力をもつ神様です。それだけに加護の力も大きいと信仰され、赤ちゃんのお宮参りの際にも、神社参詣後、必ず村内の荒神様にはお参りするという風習は続いています。さらに、上相・阿蘇の各組や稲穂・長内・海田熊原の例に見られるように、頭屋を中心に催される荒神祭りの日は、甘酒祭りとも言われ、荒神組の子供はもちろん、老若男女うちそろっての懇親会となっています。荒神信仰・荒神祭りは、株内や身ぢかな近隣住人の交流・親睦・連帯を大いに促進し、いわば村落共同体の結束に役立って来たといえましょう。(文:作州民間信仰代表 荒神様とそのお祀り 宮澤靖彦)
念願を自から果たした神 (「さんぶたろう」伝説発祥の地)
こうべさま由来
この神域は正貴山と呼ぶ古来の原生林にして1名のこうべ様の名によって往古から美作東北部より因幡路にまたがり広くの民衆の信仰を集めて著名である。
別の名を三穂神社と称えるがその三穂の語源ならびに読みにつき諸説さまざまにして詳らかなる定説がない。
この宮の主神は出雲神族の大国主之命の御子事代主之命であり併せて菅原道真の裔三穂太郎満祐の頭部を後に合祀されている。 (2015年11月20日撮影)
2017年の1月元旦、初日の出を拝みに広島県の宮島へ行って来ました。
今年は良い初日の出を見ようと、広島市内のホテルに宿泊して元旦の朝、広島発臨時列車(AM5時発)に乗って宮島口まで行き、その後、フェリーに10分ほど乗って厳島に着き、更にそこから20分程歩いて、ロープウェイ乗り場に到着してみると長~~い列に圧倒されましたが、6人乗りの小さなロープウェイに何とか乗ることが出来ました。弥山(みせん)で途中下車して大きなロープウェイに乗り換えて30分ほどかかりました。ロープウェイから海に映る初日の出と、かすかに霞む幻想的な情景を拝むことが出来ました。行きがけの厳島神社の大鳥居は干潮で、歩いて大鳥居まで行く人もいましたが、帰る頃は満潮になり大鳥居は海の中でした。その後初詣の人の波もとぎれることなく、大勢の参拝の方達で賑わっていました。