広島城(国の史跡)
広島城は、現在の広島県広島市中区基町に築かれた安土桃山時代から江戸時代の日本の城。国の史跡に指定されている。毛利輝元が太田川河口のデルタ地帯に築いた平城で、1945年(昭和20年)まで天守を始めとする城郭建築が現存し点在していたが、太平洋戦争末期にアメリカ軍の原子爆弾投下によって倒壊し、現在見られる城内の天守以下城郭建築はすべて1958年以降に再建されたものである。(文:ウィキペディアより)(2016年12月31日撮影)
江戸時代初頭に入城した福島正則の増築以降に、城域となった外堀までの約90万平方メートルの範囲のうち、現在の史跡としての広島城は広島市中央公園内の内堀を含む本丸跡と二の丸跡の範囲で、広さ約12万m2と三の丸跡の一部が残る。大坂城や岡山城らと共に初期近世城郭の代表的なもので、また名古屋城、岡山城と共に日本三大平城に数えられる。日本100名城の一つに選定されている。
内堀に架かる、二の丸表御門へと向かう木橋
二の丸入口にあたる門で、櫓門と呼ばれる形式の門
二の丸跡
左写真:爆心地から約740mの距離。すぐそばの二の丸の建物群が炎上するなかで生き残った。昭和46年(1971)の台風で上部が折れたが、再び芽吹いた。右写真:爆心地から約770mの位置。中御門・二の丸の建物群が炎上する中で生き残った。現在、青々と葉を付けているが、幹の痛みが激しく空洞化している。
広島護国神社
原爆で倒壊した天守は、外観を復元したコンクリート建築として昭和33年(1958)に再建された。
礎石とは建物の柱を乗せる土台。 東小天守跡から天守裏を見る
(説明文:広島城HPより引用)
お正月の準備中の屋台 市内の紅葉