「津山洋学資料館」で聞いた驚きの事実。
「津山洋学資料館」で学芸員の説明を聞くと面白いのです。(2013年5月16日)
★津山洋学資料館は、なんと!洋学と名がついている唯一の博物館なのだそうです。★解体新書の本物を年間を通じて常設展示している。ということで津山に来ればいつでも本物が見えます!★洋学に関する本がかなりある。★事前にお願いしておくと説明してくださいます。
「津山洋学資料館」で学芸員の説明を聞くと面白いのです。(2013年5月16日)
★津山洋学資料館は、なんと!洋学と名がついている唯一の博物館なのだそうです。★解体新書の本物を年間を通じて常設展示している。ということで津山に来ればいつでも本物が見えます!★洋学に関する本がかなりある。★事前にお願いしておくと説明してくださいます。
栃畑神社
主祭神 高皇産霊尊 袴幡千々姫命 饒速日命
由緒沿革 機織部がその祖神を勧請したものであると伝える。倭同年間国府が置かれ、総社の大祭が毎年執行せられるに当り、国司の預かったという。参集の儀は天正末年まで行われた。延宝四年国主森長継の三子長俊が産業織蚕の神として幣帛を奉って以来、歴代の藩主の崇敬が厚かった。現在の社殿は文政十一年十一月改築したもので、明治八年一月村社に列格した。
今回の旅はfacebook でのB'zファン繋がりで 「おでかけしましょ in 津山」ツアーを企画!
当日朝(5月4日)大阪駅に集合し、マイクロバスをレンタカーして いざ出発!
現地で3名と合流し 総勢21名
ツアー参加者は、埼玉 岐阜 京都 大阪 和歌山 兵庫 広島 岡山 からB'z大好き♪ 愉快なメンバーが集まりました!(^^)!
旅の目的は「稲葉さんゆかりの地を巡る!!」
マメな幹事さん☆オリジナル「旅のしおり」までつくってくれました ARIGATO!
勝部神社について
一(名前について)
昔は様々な仕事に其の職種ごとに名前があり、住む地域も決められていました。今もその名残として、それらの仕事に従事していた地域の名前が残されています。(綾部、倭部(志戸部)等
「勝部」というのは、勾玉、玉、鏡など研磨する仕事をさし、一説には様々な職能集団の長(統括者)的役割を担うとも言われています。
「勝」とは、磨くという意味があり。この地域には、そういう職種の人がいた場所であり
「五十年程前には、東地区の池付近で水晶を取った事がある」と言う方も居られ、産出もしていたのではと考えられます。
★宇那提の森(ムクノキ)(市指定天然記念物)2013年4月8日取材
巨木のムクノキは、古くから古歌にも名高い名所「宇那提が森」の跡で、もとは繁り栄えた森林でした。しかし、天正年間(1573年頃)宇喜多直家が防塁するため伐採したため、このムクノキ株のみが残ったと伝えられています。推定樹齢は700年で、主幹は根元周囲4m、高さ約10mです。
主祭神 誉田別尊
由緒沿革 勧請年月は詳らかではないが、口碑によると仁徳帝(313~399)の御宇に帰化した秦氏の祖を部民が斎き祀ったものという。当時此の地に倭部を置いて蚕業織絹の業が大いに拓けた、よって地名を志戸部という。
室尾神社は、青柳室尾の寺山に在り、祭神は『上加茂村誌』によると、大己貴命・大山紙命・木花咲耶姫命となっているが、『作陽誌』は、父国玉命・事代主命・宇賀魂命だといい、「此神はタタラ師の持来りし神なりと 故に金鋳護の神といふといふ 又山の神ともいふ」と記している。
第9回 院庄たかのりまつりが、平成25年4月14日(日)(午前8時~午後4時)作楽神社 境内で執り行われました。雨天決行
「例祭」というのは、神社でいちばん大切なお祭りで、たいていのお宮の秋祭りがそれにあたります。作楽神社の例祭は春で、4月22日と定められています。
後醍醐天皇が院庄館にお着きになり、児島高徳公が桜の幹に十字の詩を記されたのが元弘2年3月17日、それを陽暦に換算して4月22日が由緒のある日として例祭日になりました。しかし、諸般の事情から今は4月第2日曜日に例祭を行って
います。
今年は、和太鼓・剣詩舞・詩吟・銭太鼓・琴・尺八・日本舞踊などなど盛りだくさんのイベントと、津山西中学校吹奏楽部のガレージセールや、剣道奉納大会、つきたて餅、焼きそば、最後にはお餅・お菓子まきがありました。
岡隅神社旧跡碑(2013.2.14取材)
岡隅神社は高倉神社に合祀されているが、この旧跡碑は"御食事処たかくら"の北方にある天王山の麓にある。碑には「岡隅神社之旧跡碑 明治42年2月11日合祀 西尾有重旧氏子中」と刻まれている。なお、東作誌には「岡住大明神西分苦屋(若屋)にあり 西分の氏神 本社四尺五寸四方 南向拝殿 一間半二間 鳥居木 社地 二反分」と記されている。(文:高倉の歴史と文化財より)