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取材記事内を検索ワード「寺」で検索した結果,897件の記事が見つかりました。

妙見さま(津山市林田山根)

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 人の運命の鍵をにぎる星の神様。長寿、息災、招福を祈願する。

わが国では室町時代から、日蓮宗において妙見信仰が盛んに行われるようになった。

光善寺内、通称妙見山の山頂にあったが、現在は山根稲荷の横に遷座されている。祭りは4月の第2日曜日行われている。(2014年6月27日取材)

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国分寺道・長尾山道 道標(津山市河辺)

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 現在多くの場所に、昔の街道沿いに配置されていた道標が残っていますが、河辺町内でも数カ所に残されています。
この道標が、真加部街道の起点で、田熊・植月を経由し真加部までの信仰・農耕・年貢輸送の道でした。
兼田橋東詰めには、国分寺道の道標が残っており、当時国分寺へのメイン街道としての、大きく立派な石碑が建てられています。道標は、他にもまだ点々と多く残っているものと思われます。(河辺の史跡・作成:河辺親和会・河辺町内会より)2014.5.18

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八神三宝荒神社(津山市河辺)

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⑥八神三宝荒神社
 この神社は、昔国分寺奥の院に至る道沿い(地蔵谷)にまつられていた八体の神様が、まとめられおまつりされています。
 昭和初期の姫新線開通頃までは、今の場所より数百メートル西の八神地区(立花団地付近)にまつられていたそうです。
 地蔵谷・国分寺奥の院跡は、現在山道は通行不可能と思われます。
国分寺奥の院は愛宕神社の山の南側(河辺と反対側)に位置し、木立の中に石積みがわずかに残っています。

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松風庵(火伏十一面観音菩薩)(津山市河辺)

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⑤松風庵(火伏十一面観音菩薩)
 松風庵(火伏十一面観音菩薩)には、昔観音山の南に有った国分寺奥の院が消失した時、本尊が一時まつられていた説があります。
 以前建物は、国道179号線の道路上にあり、現在は移築されました。
 松風庵の由来は、824年国分寺の南西松風山に創建された観音堂(松風庵)で、この地が三度目の移動地であると伝承されています。
 毎月17日におまつりがあり、講組の方々により各種行事がとり行われています。
 また敷地内には、各僧泰禅上人の墓碑があり、庵内には厨子に安置された上人座像がまつられています。

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六体地蔵(津山市川崎字玉琳)

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津山市川崎字玉琳 神経痛、リュウマチなどに御利益があるといわれている。
墓地の入り口に立つ地蔵石仏、地蔵は六道の救済者とせられ、死後の救いの手として墓地の墓守役として信仰さられている。葬式はもちろん墓参りの時にも必ずまいるが、法華宗や真宗の所には見られない。
六体地蔵は檀陀、宝珠、宝印、持地、徐蓋障、日光の六体の称。

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曹洞宗 夢中山 幻住寺(久米郡美咲町北)

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幻住寺(げんじゅうじ)曹洞宗美作観音霊場第三番

ここは「玄住寺郷土自然保護地域」に昭和50年5月20日岡山県から指定されている所で自然がいっぱいです。この地域は、幻住寺山(標高510m)にある幻住寺を中心とする地域で、全域にわたって急峻な地形を呈し、流紋岩を母岩とする土壌が分布しています。
幻住寺は、後醍醐天皇の命名といわれ、奈良時代に建立されたと伝えられる由緒ある禅宗寺で、作州南部の三大名刹の一つとされています。

 寺の背後には、スダジイ、アカガシなどの巨樹が点在する常緑広葉樹を主体として、落葉広葉樹を混交する原植生に近い自然度の高い樹林が形成され、寺院と一帯となって、すぐれた自然環境をとどめています。(文:岡山県看板より)2014年6月8日・9日取材

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2014年清眼寺のボタンの花です。

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院庄の清眼寺で恒例のぼたん祭り(2014年4月27日(日)~2014年5月6日(火)10:00~16:00)がありました。写真は2014年5月1日のボタンの花です。
清眼寺は、美作88ヶ所第56番札所・美作国七福神毘沙門天霊場として、多くの参拝者で賑わいます。別名ぼたん寺ともいわれ、毎年のぼたん祭りには、色とりどりの美しい大輪の花を咲かせ、参拝者を楽しませています。

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千年寺とさくらの花(津山市下田邑)

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長継山千年寺は、長継が自身の生前墓(寿塔=逆修塔)を建立した寺です。 今は、桜の木が大きく育って、とても綺麗に整備されています。(2014年4月6日)

 現存するものは境内地と風致林、それから長継公五輪墓(津山市の文化財)を中心に石柵、石窓和尚・関森和尚の碑、仏殿(本堂)・寿光堂の礎石、中の段は鐘楼、井戸、禁葷酒の石柱、山門の礎石、刹竿の双柱の1本、三 箇所の石段、千年寺への道しるべ石柱2本、下に井戸1箇所と南側の山即ち玉几岡に生き仏(開山鐡堂和尚)の墓があります。

(庫裡を取壊した後、大東亜戦中に疎開して来ておられ、昭和50年千年寺徒弟となった梅本南山翁が昭和61年まで居住)※前回の取材に詳しく載っております。

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2014年4月18日の文化センター横のさくら

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2014年4月18日。津山文化センター横(鶴山公園入口)付近のさくらが満開でした。

いつもは、さくらまつりが終わると、津山城(鶴山公園)のさくらは終わったと思われがちですが、ここのさくらは遅咲きで、種類も5種類くらいありますので4月中ごろには散歩がてらにお出かけください。


津山文化センターは、いろいろな建築雑誌,This is JapanやWEBでも「国宝級」などと紹介されているくらい有名です。過去の津山文化センター取材)

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