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近長代官屋敷跡(近長)

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近長代官屋敷跡(近長)
 堀坂村や田熊村を含む吉野・勝北2郡のうちの1万9千石は、1747(延享4)年から常陸国土浦藩(現在の茨城県土浦市)の藩主・土屋家の領地となりました。
最初は吉野郡下町村(現在の美作市大原町)に役所が置かれましたが、1790(寛政2)年、吉野郡1万石が没収され、近長へ陣屋を移しました。
その後、廃藩置県が行われるまで、120年以上にわたって土屋氏によって治められており、村民との関わりも、他の飛び地と比べて深かったとされています。(文:津山洋学資料館友の会 第26回史跡見学会津山に残る和算家の足跡を訪ねてより)2014年10月8日取材

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代官屋敷跡

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代官屋敷跡

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代官屋敷(陣屋)あと
 近長村は天領で、後に土屋藩の所領となった。寛政4年から明治2年まで、この地に勝北郡十か村の代官所が置かれていた。稲荷を含む四枚の田が当時の陣屋あと地で、泉水が残っている。
 年貢米は近長の船着き場から、吉井川を経て西大寺に、そこから大阪の蔵屋敷に運ばれた。
 大庄屋(甲田氏)の門構え、石崖が、当時を伝えてくれる。
  石碑のふるさとNO.2
うつりゆく歴史秘めたる泉水に
夕焼け長し代官屋敷 
梶尾辰男


近長の代官所

 近長に代官所の跡が残っております。江戸幕府の頃は幕府の直領の天領と大名領、旗本領に分かれておりました。天領を治める人は幕府代官と呼ばれておりました。大名領は大名領代官、旗本領は旗本領代官と呼ばれていました。近長の代官所は勝北地方の十ヶ村程が茨城県の土浦藩の領地(とび地)となっており、年貢を集めたり、いろいろな政治をしておりました。その世話をする人が代官で役所が代官所です。土浦といえば関東地方で利根川の流域です。そんな遠いところから代官が2~3人の家来をつれて赴任しておりました。何か事件が起こると本藩である土浦に連絡しなければなりません。大変不便であったことだろうと思います。近長から土浦まで片道10日以上かかります。土地の農民がいろいろな紛争で本藩に相談しなければならない時はわざわざ土浦まで旅行しております。津山地方にはこの土浦藩と同じような飛地が十箇所あります。大変複雑な込み入った仕組みになっておりました。

 この地方で取れたお米は年貢として代官所に収めますが、そのお米は川船で大阪の米市場に運んで売買をしております。(文:平成15年 高野地区三世代ウォーキング大会資料より)


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すぐ近くに稲荷様があります。