作州忍者鶴山隊創設2周年記念講演
作州忍者鶴山隊創設2周年記念講演(第9回学習会)
終息の気配のないコロナウイルスに阻まれ、作州忍者鶴山隊活動、学習会も延期続きとなりましたが、令和3年2月22日(月)13:30~15:30 第9回の学習会が津山市中央公民館大会議室で行われました。第9回は、私達津山とも関係の深い「元禄・赤穂事件」と題して、四十七士・茅野和助の後裔でもあり赤穂事件の真相研究に携わっておられる「茅野大治」氏を講師にお迎えして実施されました。
作州忍者鶴山隊創設2周年記念講演(第9回学習会)
終息の気配のないコロナウイルスに阻まれ、作州忍者鶴山隊活動、学習会も延期続きとなりましたが、令和3年2月22日(月)13:30~15:30 第9回の学習会が津山市中央公民館大会議室で行われました。第9回は、私達津山とも関係の深い「元禄・赤穂事件」と題して、四十七士・茅野和助の後裔でもあり赤穂事件の真相研究に携わっておられる「茅野大治」氏を講師にお迎えして実施されました。
風情あふれる旧出雲街道「城東町並み保存地区」のひな祭りです。
代々受け継がれてきた歴史のある雛人形や豪華な飾りはそれぞれのご家庭でご自慢の品々でしたが、生活様式の変化によってかつてのような「雛まつり」を祝うご家庭が少なくなりせっかくの素晴らしい「雛飾り」の多くが仕舞われたままになっています。そんな、「お雛さま」を玄関先やお店のショーウインドウに飾って皆さんに見て頂き一緒にお雛まつりを祝う、そして雛まつりを楽しみながら街を巡り城下町津山の歴史や文化を感じて頂くのが「津山城下町雛めぐり」です。
<城西地区>今年も雛まつり(3月3日~4月3日まで)があり2日目に伺ってきました。
平日でもあり、雲行きもあやしくなってきましたが、通りに面した吊るし飾りがとても素敵でどうしても見たくて巡ってきました。毎年、飾られているお宅が増えているように感じられます。また、各家の前に飾られた色とりどりの花が通りを一層華やかに飾っています。
期間中は、オーガニックコーヒー/紅茶や、ちらし寿司の販売(3月7日・21日のみ)もあるそうですので、この機会に城西地区を散策しながら雛めぐりをお楽しみください。
ソシオ・一番街で<中心商店街>おかみさんの雛まつりが、3月3日~7日まで開かれています。
ソシオ・一番街特設会場では、ずらりと並んだ雛壇に飾られたお雛様が出迎えてくれます。
3月6日・7日(10時~16時)ソシオ一番街で手づくりマルシェが、また、3月6日(11時~)にはガラポン抽選会があり楽しめます。
実は、元来「磯遊び」は、ひな祭りに海に出かけて遊ぶことをいいます。地方によっては山に行くところもありますが、海や山にご馳走を持って行き、遊ぶのが昔の節句の過し方だったようです。ひな祭りに、はまぐりがつきものなのは磯遊びから来ていると言われています。
2021年3月4日、嘗て食べた大根寿司の味が忘れられず、予てからお願いしていた「大根寿司の菜の花添え」を教わりに「お食事処たかくらさん」に伺ってきました。このさっぱりした大根寿司は、コース料理に添えたり、お酒の後に出すとすっきりした触感がいいと評判だそうです。また、夏でも冬でも季節の彩を加えて出すと喜ばれます。
自家製の野菜を使ったお料理が自慢のお食事処たかくらさんですが、奥様はお料理上手でアイデアウーマンです。暇があればご主人と畑に行き野菜を育てていらっしゃいます。忙しく動き回る奥様に、普段は寡黙なご主人が、「ほんまに よぉ~働く人です。」と奥様をべた褒め。愛情いっぱいで育てられた野菜を使って作られるお料理はとても美味しいです。
有終館は備中松山藩が藩士の子弟に文武を教えるためにつくった藩校です。
板倉勝澄(いたくらかつずみ)が藩主になって延享3(1746)年に本丁(御殿坂)に学問所をつくったのがはじまりです。
寛政10(1791)年ごろ有終館と命名され、藩校として確立されました。天保2(1831)年の火災により現在地(中之町)に移り、山田方谷が学頭(校長)になってから充実しました。嘉永2(1849)年、藩主となった板倉勝静(いたくらかつきよ)は藩士全員に有終館での学習を義務づけ、最盛期を迎えました。
山田方谷が植えたとされるクロマツが当時のおもかげを残しています。(文:現地案内板より)(2021年2月6日撮影)
由緒
当社は正平4年11月8日に信州戸隠神社から御分霊を奉祀したと伝えられているが、氏神としての奉祀ではなく、何等かの信仰霊験によって勧請されたものであろう。古来から大津大明神と称し、開運、農業、商工業、諸芸能上達、結婚、病気、一家和合等諸方面に霊験あらたかであり、福運を授ける神として、全国に崇敬者をもっている。(文:岡山県神社庁HPより)(2020年8月9日撮影)
新見市指定史跡 方谷園 指定:昭和51年4月21日
偉大な学者・政治家として、備中松山藩に仕え、藩主が幕閣の老中に登用されると江戸に随行し、徳川幕府の終末期の諸政の難事に当たり事実上の施策を誤らなかった山田方谷(1805~1877)が、明治3年かつての水谷新右衛門尉勝能の小阪部陣屋に私塾(小阪部塾)を開いた場所です。
園内にある「方谷山田先生遺蹟碑」は、勝安房(勝海舟)による題字、三島中洲の撰文、筆は金井之恭によるもので、石碑を彫ったのは倉敷の藤田市太郎です。石碑は明治42年小阪部塾で方谷が息をひきとった時、枕のあった地点に建てられたもので、大正12年、方谷園として開園式が行われました。(犬養毅氏が開園式に来園し揮毫した。)新見市教育委員会(文:現地看板より転載)(2021年2月6日撮影)
津山城の新しいシンボルとして親しまれている備中櫓にゆかりがあり、鳥取城主であった池田備中守長幸は、元和3年(1617)に備中松山城に移り6万5千石を領地としました。
また、これ以前の慶長年間には、小堀家が備中松山の領主として入っており、二代目小堀遠州は備中松山城の修理や城下町の建設を行いました。津山市の衆楽園が作庭されたとされる時期は遠州没後なのですが、一説には、衆楽園は遠州流の庭園であるとされています。
このように、なにかと津山とゆかりのある備中松山藩ですが、その備中松山藩の儒学者として、あるいは藩政改革の指導者として著名な山田方谷も、津山とゆかりのある人物でした。その一つに西洋流砲術の修行があります。山田方谷の年譜から見てみましょう。
方谷は儒学者でしたが、幕末の混乱した情勢の中で軍制改革と西洋式砲術の必要性を早くから感じていました。ところが現実には諸藩の軍制は古式なものばかりでした。
2021年2月19日のイナバ化粧品店内の様子です。
この日は、晴天で雲一つない気持ちの良い青空でした。ママと「随分きれいな空だなぁ~。」と思わず外に出て空を見上げました。店内では皆さん明るい雰囲気でお仕事をされていました。そんな中ママはと言うと、「あんたぁ~、ワクチンの予約した?ワクチンができるようになったらすぐかかり付けの病院に行くで、早く打たんとなぁ~。」と早く新型コロナウイルスの猛威が終わる様にとワクチンの接種する日が気になる様子でした。「一番最初に打つの?」と聞いたら「いや、一番には打たん!」とのこと。これからワクチン接種についてはどのような通知がくるのでしょうね。