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取材記事内を検索ワード「徳守神社」で検索した結果,104件の記事が見つかりました。

2015年 徳守神社の秋祭り

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 2015年10月25日(日)徳守神社の本祭りが真っ青な秋晴れの空の下で執り行われました。
徳守神社の祭礼は美作津山藩初代藩主森忠政が慶長9年(1604年)に同宮を再建して間もなく始まったとされている、400年の歴史を持つ祭りです。
 だんじりが集合した奴通りでは、津山鶴丸太鼓や田町こども奴行列の踊りを始め、津山情緒のおどりなどが披露されました。また、御神輿が到着し、獅子舞や巫女舞等が奉納されお祭は最高潮になりました。今年はお花善神社の御神輿が子供神輿として、氏子の子供たちによって担がれました。

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2015年 宵のまち歩き「徳守神社の文化財だんじり見学」

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2015年10月24日(土)「宵のまち歩き」(宵祭りを楽しむ会)が行われ行ってきました。
 約30名が参加し、文化財のだんじりや神輿・田町子ども奴の練習風景を見学してきました。
まずは城西浪漫館長でもあり、だんじり研究家で知られる延原誠さんがガイドを努めてくださり、徳守神社の大神輿に続き、祭りの安全祈願に訪れただんじりについて説明してくださいました。その後、田町こども奴行列の練習に立ち寄りました。最後に、宮脇町の休憩所でお接待を受けながら、再度、各町内のだんじりの説明を受けました。参加者の皆さんはほろ酔い加減で説明を聞き大満足でした。

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新高倉稲荷神社(西今町)

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この神社は嘉永元年初春に西今町の人山手屋江原市右衛門が高倉稲荷大明神として建立し祭祀したが、故あって嘉永3年に徳守神社の境内末社として遷祀されました。しかし翌年再び此の地に祠を建て新高倉稲荷神社と号し西今町の守護神として150年の長きにわたり祭祀されています。 例祭...夏祭り 7月28日 秋祭り 10月28日

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お花の宮 善神社(徳守神社内)

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 お花の宮は、正式には「お花善神」です。むかし、勝間田(今の勝央町)にお花という美しい娘があり、津山藩森家の重臣原十兵衛の屋敷に行儀見習いの奉公にあがりました。
利発で性格がよく、十兵衛に信頼され寵愛されて赤ちゃんのお守りを命ぜられていましたが、ある時、ふと目を離した隙に赤児が縁から落ち、踏み石に頭をうって死んでしまいました。
お花の過失はどうしようもなく不運を嘆き悲しんだのですが、愛児を失った奥方の怒りは激しくお花を責めに責めて、とうとうなぶり殺してしまいました。

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徳守神社 摂社「住吉神社社殿」

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徳守神社 摂社「住吉神社社殿」〔平成17年津山市文化財に指定〕
 社伝によれば、慶長九年、森長継公が津山城下の総鎮守として建立した徳守神社の元本殿とされています。その根拠として、この社殿の建築構造から建立年代を推定すると17世紀初期まで遡ることが出来ます。
 現在同じ建築様式で現存している建物としては、八出天満宮本殿「寛永十四年(1637)」千代稲荷神社本殿「天和三年(1683)」〔いずれも津山市指定文化財〕があるが、これらと比較しても数十年は先行した建物と推定されています。

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徳守神社 神徳の碑

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徳守神社 神徳の碑 (2015年5月2日取材)
徳守神社境内の北やや西よりに、末社の大国主神社がありますがその東隣りに円筒型の石碑がたてられています。この石碑に「県社徳守神社御神徳碑」と刻まれています。これは明治19年のこと、境内に土砂を入れてローラーでかためる作業が行われていましたが、当時の小田中村新田(今の小田中神田)の立石良次郎という人が、ローラー作業をしながら陰陽二柱神社の前に差し掛かった頃、誤って転倒しローラーの下敷きになりました。骨が砕け命を失うかと思われましたが、不思議なことに、身体が土中に埋もれ、かすり傷1つ負わなかったそうです。人々は皆、神様のご加護と感動し、このローラーの石を他に使うことを止め、徳守の大神様の神徳を称える碑として建てられたということです。(文:津山城西の秘密のお宝が大集合より)

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神田 旧徳守神社跡地と徳守塚

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神田 旧徳守神社跡地と徳守塚 (2015年5月2日取材)
その昔、徳守と言う名前の徳の高い人が、旧小田中村で行き倒れとなり、近隣の小原家の先祖が手厚く看病したが、看病の甲斐無く亡くなってしまった。そこで小原家が徳守塚として祠を作り埋葬したとされています。その場所のほど近く現在は宮脇町にある徳守神社が祭られました。この場所は現在の神田公会堂東側の竹藪の中で、森忠政が津山の総鎮守として現在の位置に移るまで祭られました。(文:津山城西の秘密のお宝が大集合より)

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神田 神田荒神様

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神田 神田荒神様 (2015年5月2日取材)
神田荒神様の場所は、神田公会堂屋敷内の西にある。
7月12日夏祭り、10月12日秋祭り、毎年老人会主催で徳守神社の神官をお招き、祭礼を行っている。(文:津山城西の秘密のお宝が大集合より)

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明治27年(1894)美作津山市街図

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明治27年(1894)美作津山市街図  津山郷土博物館所蔵


明治二十四年八月御届、出版、仝二七年七月訂正出版
明治24年1月調 ・東西町数 二町、 仝 大字 四十三 ◎津山西町 戸数二千四百二十七戸、人口一万一千零七十二人 ◎津山東町 戸数 七百五十八戸、 人口 三千四百五十五人

(2014年7月30日取材)

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2014年 津山まつり(徳守神社例祭)

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2014年10月26日(日)恒例の徳守神社の例祭がありました。今年も大勢の皆さんが来られていました。田町の奴踊りも今年は子どもではなく、大人の奴踊りでした。また、今年は30年ぶりに出動した「御花宮」のお神輿もお目見えしました。少し残念なのが、だんじりの数が6台で昨年に比べ少なかったので、毎年出せるように若者がもっともっと増えたらいいですね。

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