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新高倉稲荷神社(西今町)

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この神社は嘉永元年初春に西今町の人山手屋江原市右衛門が高倉稲荷大明神として建立し祭祀したが、故あって嘉永3年に徳守神社の境内末社として遷祀されました。しかし翌年再び此の地に祠を建て新高倉稲荷神社と号し西今町の守護神として150年の長きにわたり祭祀されています。 例祭...夏祭り 7月28日 秋祭り 10月28日

大正初期渓華院の寺院移転後は、西今町の守護神として祭記されている。尚、徳守神社境内には今も高倉稲荷神社をお把りしている。(参考文献:つやま城西お宝マップ・津山城下町まちなかお社巡り 津山まちづくり本舗より一部抜粋)

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新高倉稲荷神社の誌
抑々此の神社嘉永元年初春西今町の人山手屋江原市右衛門が渓華院の寺院鎮守神と併せ西今町の守護神として祠を建立高倉稲荷大明神と号して祭祀されましたが、故あって嘉永3年徳守神社境内末社として遷座されました。その翌年再び此の地に祠を建て祀り新高倉稲荷大明神と尊称、大正初期渓華院の寺院移転後は、西今町々有財産として購求兩来今日まで百三十年余の長きにわたり西今町守護神として祭祀されています。
渓華院の誌
護国山渓華院と号し臨済宗東海派に属し境内東西十七間、南北十四間半にして元和元年(1615年)開成次の夫人(森忠政の娘にして名は鴻森家二代藩主森長継の実母)12月6日卒す齢21才長継8才の時法諱を渓華院殿春嶽宗永大姉として葬り墓側に堂宇を建立天倫と称する住僧を開祖とす。初め神王山渓華院と号し開祖天倫二世正伝三世濱宗と続き後ち天倫は本源寺に転住明暦二年森長継正伝に謀り実母の法名宗永を以って寺号とする方丈縦11間横9間の外書院庫裡中門外門寺美麗を極めた宗永寺を建て墓碑を移し正伝濱宗共に宗永寺に転住す。これより渓華院は衰頽の一途をたどり明治末期倉敷市連島に移す。

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本殿

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末社神

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西今町会館