取材記事内検索

取材記事内をタグ「中山神社」で検索した結果,28件の記事が見つかりました。

中山神社の表神門

shinmon.jpg

 表神門は「四脚門」ともいわれ、榎材の四柱に支えられている。なかでも表側の二本は「鏡柱」といい表向きに矢防ぎの幅を持つ。屋根は平入切妻破風造り、総体「医薬門」という形式で前後非対称でバランスを保つ構造である。
 この門はかつて津山城大手二の丸にあったもので、城中にあった時も扉を持たぬ門であったことが城の古図に見られる。津山城の今に残る数少ない建造物として貴重なものである。
 明治7年7月に神門として中山神社に移築された。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年4月1日撮影)

中山神社の表神門の続きを読む

中山神社の鉾立(ほこたて)石

hokotate.jpg

 中山神社は西国壱の軍神(厳島・吉備津と並んでその筆頭)であり、天下の大変・大乱に際しては朝廷より全国7社の一つとして特別の護国祈願を仰せつかる。例えば天慶2年(939年)平将門の乱、弘安4年(1281年)の元寇など。その祭事は格別の秘儀で、現小原地区内大築公園あたり、昔は鬱蒼たる「雫が森」その中に中山の離宮たる大築神社があった。
 秘祭「鉾立て」に神事は大築の境内で行われた。中央に大鉾、四方に小鉾を立て、大鉾前に祭壇を設けて荘厳神秘の深夜の祭典であったという。鉾立石はそれらの鉾を立てた基石で、上面中央に凹みがある。
 現在中山神社境内本殿南(国司神社)の段に、有志による由来記の碑とともに、その一石が置かれている。また祭事の行われた雫が森の跡あたりにもその一つが置かれ、地元の有志による説明板が立っている。 中山境内の石と小原のそれとは鉾立の凹みの形状が異なる点も興味を引くところである。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年4月1日撮影)

中山神社の鉾立(ほこたて)石の続きを読む

羽留石(はどめいし)

nakayama-iwa4.jpg

 中山神社の北側を流れる鵜羽川に二抱えほどの大きな岩がある。
神社伝説によると「中山の神が霧山の磐座にいたとき、永代鎮座の場所を定める目的で鵜の羽を流し、止まった所に居を構える」とした。長良川の麓の石で止まり、『羽留石』として今でも里人の寄進による注連縄が張られている。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年4月1日取材)

羽留石(はどめいし)の続きを読む

一宮市場跡(東一宮)

4-18ichi1.jpg

一宮の市といえば直に牛馬の取り引きと考えられるが、昔は牛馬は勿論各種の生活物資等の交易が行われた。最初は自分の作った品物を他の需要者に提供し、自分の欲しい物と交換したもので、神社の祭日などを利用して行われるようになった。従ってその市を監督し面倒を見、これによって利益を得る者も出て来た。後には仲介者としての商人もでき、いわゆる門前市場の成立に至った。市が栄えるとその群衆を当て込んで旅籠屋や飲食店が開かれ、遊芸人までが寄ってくる。またその遊芸人によって慰められるべく娯楽気分で群衆が一層盛んになってくる。その上一宮の市は美作の自然に良く適応している牧畜業と古い信仰の伝統との結合によって発展してきたのである。
「一宮の市」は4月中の牛の日から5月4日に至るまでの「お田植え市」である。
 作陽誌には『4月中ノ牛ノ日ヲ御田植ト為ス、社僧大般若経ヲ転読ス、此ノ日ヨリ5月5日二至ルマデ四方ノ商売者雲集シ衣服器用医薬食品及ビ馬駒犢牛ノ類争イ以テ交易ス、傀儡俳優小娼遊技擾々トシテ羶ヲ附シ十数日ノ間往来蟻然タリ、是ヲ一宮ノ市ト謂ウ』
 これら一宮の境内より構屋敷までの間を小市となし、牛馬など大市となし東一宮の市場町で開かれた。太平洋戦争後この市場はなくなり一宮公民館が建ち地域に活用されたが、平成になって一宮小学校跡地に移転したので、更地になっている。(作陽誌、美作一宮郷土の歩み)

一宮市場跡(東一宮)の続きを読む

中山神社の御神鏡の拓本と大正3年の写真

nakayama800.jpg

2017年2月7日に中山神社の近くに住む森玄保さんに中山神社にまつわる貴重なお話を伺って来ました。上記の写真は大正3年に建てられたもので、当時の中山神社の拝殿には壁がなかったそうです。それから徐々に現在のような姿になってきたそうです。(大正3年の写真には拝殿の壁がない。)

中山神社の御神鏡の拓本と大正3年の写真の続きを読む

武徳殿跡(現中山神社駐車場)

butokuden01.jpg

「武徳殿跡」日露戦役の後、武徳の称揚民間に及び、武徳会津山支所のもとに各所に剣道場が設立されたが、西北部に新進の勢力を助長させるため、大正11年中山神社武徳殿の建設をみ、津山警察署の指導を得て一大進展をみるに至った。かくて勇士雲のようにでて小学校もまたこれに習い、地方の青年有志間においても諸武徳大会に、さらには昭和2年3月大日本武徳会岡山県大会(青年団体の部)優勝という輝かしい成果をおさめた。
昭和18年高田・田邑両村と連合して4ヶ村組合立青年学校を、昭和23年4月組合立津山高等学校中山分校、昭和29年7月に津山市に編入されるにおよび津山東高等学校となり、その後津山市沼の本校に併合され、今は中山神社の駐車場となっている。 (美作一宮の遺産を見つける会発行:美作一宮 郷土の遺産より抜粋)

武徳殿跡(現中山神社駐車場)の続きを読む

中山神社境内の紅葉の様子

engi.jpg

2016年11月22日の中山神社境内の紅葉の様子です。イチョウの葉が紅葉しているかとお尋ねしてみましたが、既に散っておりました。その代り、ムクロジの木の葉が黄色に美しく紅葉していましたよ。とっても綺麗で見惚れてしまいました。(2016年10月24日「ムクロジ」の木ぼ取材)

中山神社境内の紅葉の様子の続きを読む

中山神社の無患子(むくろじ)の木

mukkuroji10-24.jpg

 中山神社の宮司さんから「ムクロジ」のとても縁起の良いお話を伺いましたので取材してきました。
なんでも「ムクロジ」はドイツ語で、漢字では中国名の「無患子」と書くことから、子どもが病気をしない、という名前が縁起が良いとされています。今、ダイアモンド☆ユカイさんが歌う「ムクロジの木」が、泣ける歌と注目を集めましたが、ユカイさんは小さいときからこの木を見て育ち、現在はこの木がある公園で子育てをしていらっしゃるそうです。また、来春には中山神社のムクロジの実のお守りが出来上がるそうです。(2016年10月24日撮影)

中山神社の無患子(むくろじ)の木の続きを読む

中山神社・萬福寺 参拝道(丁石道)

nakayamaomori15.jpg
中山神社と萬福寺を結ぶ登山道の一つに丁石道がある。古来より多くの参拝者で賑わっていたが、年数経過 時代の変遷・徒歩にての参拝者の減少により風化していた。
美作一宮の遺産を見つける会・東一宮財産区・土地所有者・中山神社氏子・萬福寺檀信徒の協力を得て平成28年、欠損した石柱二十本を建立し丁石道を復興する。
願わくは、参拝者ならびに一宮の地に縁ある方々の安全を記念する。
平成28年 吉日 (文:記念碑より抜粋)(2016年7月28日撮影)(以前の取材

中山神社・萬福寺 参拝道(丁石道)の続きを読む

中山神社のイチョウの木

nakayamaki17.jpg

本樹は、国指定の重要文化財である中山神社の本殿東側に隣接しており、中山神社の社叢の中でも祝木のケヤキ・ムクノキ等と共に代表的なものである。なお、雄木であり実はつかない。
中山神社のイチョウ イチョウ(イチョウ科)・所在地/津山市一宮695・所有者/中山神社・推定樹齢/500年・目通り周囲/4.2m・樹高/25m(文:平成5年 津山地方振興局発行 津山の名木百選より抜粋)(2016年8月11日撮影)

中山神社のイチョウの木の続きを読む