夏祭り宵宮 徳守神社万燈籠
2018年7月22日に徳守神社万燈籠がありました。連日の猛暑の中でしたが、大勢の方がお参りに訪れていました。NPO法人楽アートプロジェクトさん演出の光のアート、地元の子ども達の描いたユニークなあんどん、また、奉納演芸等がありました。日が暮れて来ると境内の竹や樽を使った様々な美しい灯りが心癒してくれました。(徳守神社の夏越祭の神事と万燈籠の試験点灯の様子)
2018年7月22日に徳守神社万燈籠がありました。連日の猛暑の中でしたが、大勢の方がお参りに訪れていました。NPO法人楽アートプロジェクトさん演出の光のアート、地元の子ども達の描いたユニークなあんどん、また、奉納演芸等がありました。日が暮れて来ると境内の竹や樽を使った様々な美しい灯りが心癒してくれました。(徳守神社の夏越祭の神事と万燈籠の試験点灯の様子)
2018年7月23日に徳守神社の夏越祭の神事が行われます。また、宵にあたる22日には長年途絶えていた宵祭が復活されてから3回目の万燈籠の神賑い行事が行われます。今年はNPO法人楽アートプロジェクトさんとのコラボで更にパワーアップした宵祭となりそうですね。また、23日の本祭りには、きもだめしがあったり、奉納演芸があったりと境内はにぎわいそうです。
※神賑いとは、「今」人々が楽しんでいる事や文化を神さまと共に共有し、共に楽しむ古来からの神事だそうです。(2016年夏越祭の様子)
2018年2月3日、宮脇町の徳守神社で「大節分祭」の豆まきがあり大勢の人で賑わっていました。
1回目の豆まきは午後3時半から行われ、厄払いを受けた男女が特設舞台に上り、福豆やお菓子をまいていました。今年も大勢の参拝者で賑わった節分祭でした。
忠臣蔵で有名な赤穂浪士で美作国にゆかりのある、神崎与五郎則休・茅野和助常成・横川勘平宗利のことを忘れてはいけないと「三士祭」(主催:津山市観光協会、協賛:お国じまん研究会、後援:津山市文化協会)が、徳守神社境内の神崎与五郎歌碑前に於いて初めて執り行われました。(撮影:2017年3月1日午前9時~10時)
2017年9月27日から10月10日まで、「小島 功展 ~現代の浮世絵師と呼ばれた男~」が宮脇町の徳守会館で始まりました。美酒、美味、美女に愛された作家小島 功。流麗で、やさしくて、時には力強く描かれる線。創り出される世界は果てしなくエロティックで美しい。半世紀以上にわたり生み出された作品群は、どれも圧倒的なエネルギーに満ち溢れている。今回の展覧会では、岡山県苫田郡鏡野町在住 和仁栄幸(正興)氏【備前焼】の作品(酒器を中心に30点程)と共に小島功全盛期時代の作品を原画、版画を含めて60点程展示販売。(文:案内チラシより)(撮影:2017年9月30日)
慶長九年(一六〇四)、森忠政は徳守神社を城下の総鎮守として、築城と城下作りに取りかかったといわれる。以後、徳守さまと呼ばれて津山の人々に親しまれ、今も津山祭の中心として秋祭はにぎわう。その境内の北西の角、住吉神社の前に高さ約二㍍の二基の石灯籠が立つ。すっきりしたデザインは風格を感じさせる。左側の石灯籠に「寛文四年(一六六四)辰九月十九日古魚町」と刻まれる。右側の石灯籠には「寛文四年(文字が消えかけているが、間違いないと思われる)辰九月十九日二丁目」とある。
寛文四年は津山城が完成した元和二年(一六一六)から四十八年後。森藩が徳守神社北側の武家屋敷の一部を町家にして、宮脇町と名付けた明暦元年(一六五五)よりも九年後。この時期に、藺田川以西の町も城下に編入されていった。城下の町々が整い、発展を見せていた時期といえる。二基の石燈籠はそうした時期に、隣接する古魚町(元魚町)と二丁目が協力して町の発展を願い、寄進したのであろうか。森藩時代の町々の記録が少ない中で、この石燈籠に刻まれた二つの町名は当時を窺わせる貴重な資料の一つと思われる。二丁目と元魚町の中では最も古い記録である。
2017年7月22日のB'z津山公演のおもてなし会場のご案内です。
「公演当日は、混雑が予想されますので、津山市内でご近所の方はなるべく、乗り合わせや徒歩で移動をお願いします。」との要望がありました。また、津山文化センター近くでも様々なイベントもありますので併せてご案内してみますね。
江戸時代の武家屋敷だった旧田淵邸を活用した「津山城下町歴史館」が2017年4月27日に開館しました。
長屋門は修復し、傷みの激しい母屋を解体して、1147㎡の敷地にだんじり展示棟、ガイダンス棟が新たに建てられました。展示棟には、県重要文化財だんじり6基。ガイダンス棟にはだんじり1基と、旧田淵邸の模型や、大名行列図の複製などを展示し、パネルなどの資料を並べた。事業費は3棟合わせて約1億2000万円。(撮影2017年4月2日、5月3日、6月20日)
本年、津山城完成400年を記念し、従来行われていた徳守神社大祭を大きく進化させ、その一つの姿として、奴通りにて新たにお旅所を設け、津山総祓神事を執り行うこととなりました。
当社は、1604年に津山藩初代藩森忠政公にて現社地に造営されました。当時はまだ不安定な時代で津山城築城に当たり、津山城とその城下町の守護神として造営されたと伝えられています。大坂夏の陣にて使用された鉄盾を森公が当社に奉納されたのもその証の一つと言えるでしょう。
この度の徳守大祭は、当社の時代背景の具現化を目指し、甲冑と火縄銃をテーマに企画されております。当時津山でも組織されていた津山城鉄砲隊が、その子孫により復活をしており、今年よりと徳守大祭に初参加いたします。また、古くは徳守大祭の神輿行列はカ甲冑を装着しての所役もあり、この故事から現在甲冑を正装として活躍されている、備州岡山城鉄砲隊にもご参加いただきます。(文:徳守神社案内より)(2016年10月23日撮影)
今年の徳守神社の秋祭りでは、12台のだんじりが出動するほか、南新座一丁目の舟形だんじり「南新丸」が展示されるなど盛り上がりをみせています。城西浪漫館では祭り気分を盛り上げようと徳守祭りだんじり若頭會との共催で開く今展では、各町内の特色ある法被や浴衣を集め、各町内のだんじりの写真と共に展示するほか、宮脇町、小性町の提灯や城西浪漫館所有のだんじり部材や西今町の半鐘などがご覧いただけます。(文:徳守祭だんじり衣裳展チラシより抜粋)(2016年10月16日撮影)