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取材記事内をタグ「津山郷土博物館」で検索した結果,24件の記事が見つかりました。

文化財めぐり(近長~杉宮周辺を歩くNo.1)

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2018年3月10日の晴れた日に、津山郷土博物館主催の第114回文化財めぐり(近長~杉宮周辺を歩く)に参加して来ました。出発は津山市野村にある成名公民館駐車場10:30出発です。今回は近長から杉宮周辺です。周辺には土浦藩の代官所跡や、多くの石造物などが残されており、歴史のある地区となっています。道のりは約7.5kmです。(2011年 川港が栄えた町楢の今
No.1は、念仏講碑・近長四ツ塚古墳群→近長代官所跡・八坂神社→八幡神社までです。続きはNo.2で

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平成28年度 津山郷土博物館特別展「江戸での火消行列図」

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平成28年度特別展「行列を組む武士たちー津山藩松平家の行列図よりー」H28.10.8~11.20
大名火消と松平家
はじめに
 「火事と喧嘩は江戸の華」と言われるほど、江戸の町では火災が多く発生し、時には江戸城を含む広範囲を焼失する大火になることもありました。そのため、当初は消防組織のなかった江戸の町に、やがて階層ごとに編成された消防組織が置かれるようになります。町人は町火消、旗本は定火消、大名は大名火消という具合ですが、大名火消は所々火消と方角火消、各自火消に区別できます。前の二つは決められた場所の消火に当たるもので、後の一つは藩邸近隣の消火に出動するものを指します。ここでは、主に前の二つについて、松平家の事例を紹介します。

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平成28年度 津山郷土博物館特別展「行列を組む武士たち-津山藩松平家の行列図より-」

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ごあいさつ
 津山郷土博物館では、市民の皆さんに郷土の歴史や文化への理解と認識を深めていただくため、定期的に特別展を開催しています。このたび「行列を組む武士たち-津山藩松平家の行列図より-」というテーマで特別展を開催することとなりました。
 江戸時代の支配階層である武士たちは、移動や旅の時に行列を組んで進みました。この行列は、その主人の武威や格式を体現したものであり、単なる行進ではありません。そのため、供の人数や持たせる道具の構成などに細かい決まりがあり、その決まりの中でできる限り立派に見せようと競い合うこともありました。
本展では、津山藩松平家に伝わった各種の行列図のほか、乗物や熊野槍など行列に用いられた道具類を合わせて紹介し、武士の行列を通して江戸時代の社会のありようを概観します。
 今回、現存する松平家の行列図を全て展示します。その中でも、松平家が十万石に復帰した直後の入国行列図は、横長のふすま七枚に仕立てられた。全長十三メートルを超える巨大なものです。大名行列の詳細を視覚的に把握できる貴重な資料として注目されており、津山市庁舎の市長応接室の壁紙にも利用されていますが、その全てを一度に見られる機会はなかなかありません。本展において、多くの方々にその迫力をご体感いただければ幸いです。
 最後になりましたが、本展の開催にご協力いただいた全ての皆様に、心から感謝申し上げます。
   平成二十八年十月八日
    津山市教育委員会 教育長 原田 良一

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津山郷土博物館(山下)

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耐震改修工事に伴い、平成32年4月までの予定で、現在休館中です。
津山郷土資料館 1)行政/役場・警察署 2)津山市山下92 3)昭和8(1933)年 4)津山市庁舎
 昭和4(1929)年2月の合併当初、津山市の庁舎は、明治7(1874)年に小学校の校舎として建てられた元津山町役場を使用していました。その後、新庁舎建設の気運が高まり、昭和8年7月、津山城跡の南麓に、地上3階、地下1階建ての鉄筋コンクリート造として竣工しました。

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津山の商家が伝えた文人画 ~広瀬台山と飯塚竹斎~

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 「津山郷土博物館 平成26年度特別展 津山の商家が伝えた文人画 ~広瀬台山と飯塚竹斎~(苅田家コレクションより)」が平成26年10月4日(土)~平成26年11月3日(月)まで、津山郷土博物館3階展示室で開かれました。
 苅田家は江戸時代から続く商家で、その邸宅は宝暦年間に建てられたと言われています。このたび苅田家からその邸宅を津山市に寄付されることになり、それに合わせ苅田家で所蔵していた古文書や書画類の多くが寄贈されることになりました。この書画類の中には、津山を代表する文人画家広瀬台山や飯塚竹斎の作品も数多く含まれています。
 この展覧会では、苅田家の書画類の中から広瀬台山と飯塚竹斎の文人画にスポットを当て、津山の商家が守り伝えてきた絵画コレクションの一部を紹介します。(文:津山郷土博物館チラシより)(2016年10月4日撮影)

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おもてなしイベント(文化センター会場)

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2017年7月22日のB'z津山公演のおもてなし会場のご案内です。
 「公演当日は、混雑が予想されますので、津山市内でご近所の方はなるべく、乗り合わせや徒歩で移動をお願いします。」との要望がありました。また、津山文化センター近くでも様々なイベントもありますので併せてご案内してみますね。

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県内で唯一展示!1500万年前のパレオパラドキシアの化石

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 パレオパラドキシアは哺乳類束柱目に分類される生物で、今から約1500万年前に生きていたと考えられています。当時の津山市は亜熱帯の温暖な気候で、浅瀬が広がる海でした。パレオパラドキシアはその海辺で、やわらかい海草などを食べていたと考えられています。
 束柱目の名前の由来はその臼歯にあります。よくみると鉛筆くらいの柱を束ねたような形をしています。 
津山郷土博物館で展示中のパレオパラドキシアの骨格標本は昭和57年9月津山市上田邑の工事現場で当時の中学3年生が発見しました。パレオパラドキシアの化石は日本とアメリカだけで発見されている珍しいものです。全身骨格標本は全国的にも珍しく、県内では津山郷土博物館だけが展示公開しています。(文:津山市HPより抜粋)(2016年10月16日撮影)

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明治27年(1894)美作津山市街図

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明治27年(1894)美作津山市街図  津山郷土博物館所蔵


明治二十四年八月御届、出版、仝二七年七月訂正出版
明治24年1月調 ・東西町数 二町、 仝 大字 四十三 ◎津山西町 戸数二千四百二十七戸、人口一万一千零七十二人 ◎津山東町 戸数 七百五十八戸、 人口 三千四百五十五人

(2014年7月30日取材)

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全国の中でも数少ない津山藩の「大名行列図」

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上段左端が行列の先頭です。上段には、本行列の5日前に出発する宿割隊がいます。


(2014.8.6許可済み画像提供:津山郷土博物館)←詳しくはここをみてね!

 津山松平藩第7代藩主斉孝(なりたか)が参勤交代により、津山へ帰国する行列を描いた絵図である。明治17年(1884)製作。襖仕立てで7枚からなり、各縦91㎝、横188㎝。

 津山松平藩は、元禄11年(1698)の美作入国当初は10万石であったが、享保11年(1726)、第2代藩主の夭折により5万石に削減された。その 後、文化14年(1817)、第11代将軍徳川家斉(いえなり)の子銀之助(後の第8代藩主斉民(なりたみ))を養子に迎え、宿願の10万石復帰を果たし た。

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津山藩主松平家伝来の「兜」

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享和3年(1803)  銘「享和三年二月日」  「明珎宗尚」  津山藩主松平家伝来  個人蔵


津山郷土博物館の3階に展示してあるこの兜ですが、見れば見るほど豪華な飾りです。この正面に飾られてあるのは龍?鯱のようでもあり、何の象徴なんでしょう?また、両耳のところには葵の紋が今でも黄金に輝いています。一見の価値あり。(2014.7.31取材)

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