文化財めぐり(近長~杉宮周辺を歩くNo.1)
2018年3月10日の晴れた日に、津山郷土博物館主催の第114回文化財めぐり(近長~杉宮周辺を歩く)に参加して来ました。出発は津山市野村にある成名公民館駐車場10:30出発です。今回は近長から杉宮周辺です。周辺には土浦藩の代官所跡や、多くの石造物などが残されており、歴史のある地区となっています。道のりは約7.5kmです。(2011年 川港が栄えた町楢の今)
No.1は、念仏講碑・近長四ツ塚古墳群→近長代官所跡・八坂神社→八幡神社までです。続きはNo.2で
・近長四ツ塚古墳
加茂川東岸の南北に延びる狭小な低丘陸上に位置し、北から方墳、前方後円墳、円墳2基とならんでいます。方墳、前方後円墳には葺石が認められますが、埴輪などは見つかっていません。これらの古墳の発掘履歴がないため、作られた年代など、詳細は不明です。(今回はパス)
・念仏講碑
念仏講は主として葬儀と祖霊祭祀に関わる講集団で、輪番当夜制と共同飲食を伴うことが多く、念仏踊りなど民俗芸能などを演ずるものもありました。いずれも念仏による相互扶助的な信仰集団と言われています。
この碑は寛政11年(1799)に建てられたものです。解説板によると碑陰には20数名の百姓の名前があり、村で多くの人々が講に参加していたことがうかがわれます。
・近長代官所跡
森家の後、津山城主になった松平家は、美作国一国の領有を認められなかったため、美作国内は、幕府領と大名領が入り組むことになりました。その中で、延享4年(1747)に土浦藩土屋家は吉野郡内に領地を持つことになりました。当初下町村(美作市下町)に代官所が置かれましたが、後に美作国内の領地が減封され、領地が吉野郡3村、勝北郡16村となると、寛政4年(1729)にこの場所に代官所が移されました。その後、明治維新までこの代官所による支配が続くことになります。現在、その跡地は畑となっています。
・八坂神社
元村社。近長代官所跡地に隣接しており、創建は弘仁12年(821)と言われています。初めは「牛頭天王」と称していましたが、明治元年(1868)に「八坂神社」と改めたとのことです。
八坂神社の鳥居が2つあります。 立派な土俵があります。 境内
丘の上に大日如来の石仏があります。
ひたすら八幡神社(下野田)へと向かいます。
・八幡神社(下野田)
文治3年(1187)美作国守護梶原景時が宇佐八幡宮から分霊を勧請し、広野郷の総氏神としたと伝えられています。「東作誌」には、野田、福井、田熊、河面の氏神であるので、「四社八幡宮」と称したと記されています。
八幡神社で教えて頂きましたが、なんと像鼻と獅子鼻にも「あ、うん」があるそうです。
この燈籠の丸い穴と月の穴は、太陽が昇る方向は丸い形で、日が沈む方向が月だそうです。
(現地説明文:津山郷土博物館 近長~杉宮周辺を歩くめぐり説明資料より転載)