平成28年度 津山郷土博物館特別展「江戸での火消行列図」

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平成28年度特別展「行列を組む武士たちー津山藩松平家の行列図よりー」H28.10.8~11.20
大名火消と松平家
はじめに
 「火事と喧嘩は江戸の華」と言われるほど、江戸の町では火災が多く発生し、時には江戸城を含む広範囲を焼失する大火になることもありました。そのため、当初は消防組織のなかった江戸の町に、やがて階層ごとに編成された消防組織が置かれるようになります。町人は町火消、旗本は定火消、大名は大名火消という具合ですが、大名火消は所々火消と方角火消、各自火消に区別できます。前の二つは決められた場所の消火に当たるもので、後の一つは藩邸近隣の消火に出動するものを指します。ここでは、主に前の二つについて、松平家の事例を紹介します。

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松平家が受けた防火の令 
 『徳川諸家系譜』の「津山松平家年譜」から作成した、松平家が命じられた防火の命の年表です。元禄11年(1698)の津山10万石拝領から、江戸幕府が崩壊した明治現元年(1868)までの170年間に、松平家が受けた防火の命は21度に及びます。
 防火の命を受けるのは、原則として藩主が江戸にいる時であり、参勤した大名が江戸で果たすべき役割の一つとされていた様子がうかがえます。平均で8年に1度のペースですが、時期による偏りが見られます。藩主ごとの比較では、4代長孝の時期には27年の治世でたった1度なのに対し、五代康哉~6代康乂の43年間では8度、つまり5年間に1度のペースであり、かなり差があることを確認できます。
 長孝の時期に1度だけなのは、彼の晩年が病弱であったことと関係しているものと推測します。病身で防火の任務に堪えられないことを理由に免除されていたのではないでしょうか。
 
方角火消と所々火消
 また、全21度の内訳を確認すると、たった4度の方角火消に対して、所々火消は16度もあり、そのうち14度は浅草米倉の防火で占められています。4度の方角火消はいずれも、当時の藩主が初めて受けたものであり、うち3度は成人前に当たります。
 方角火消は、享保元年(1716)以降、大手組と桜田組に編成替えされ、江戸城延焼の恐れがある火災の際に、大手・桜田両門に詰めて江戸城の防火に当たる役割で、複数の大名に任命されます。おそらく、複数で任務に当たるため、その中に未成人の大名が含まれていても、あまり差し支えなかったかもしれません。
 それに対して所々火消の場合、1か所に1~2名という配置が多く、1名の大名が指導的な役割を果たすべき機会がより多く想定せれることから、成人後の健康な大名が任命されたものでしょうか。加えて、火災を防ぐべき場所の地理や施設の配置を詳細に把握していないと、いざという時に任務を全うできないことから、所々火消の担当場所はほぼ固定されていて、松平家は主に浅草米倉を担当する決まりだったと思われます。
 
おわりに
 大名火消について検討する場合、複数の大名家を調査しないと全容の把握は困難と思われますが、とりあえずここでは松平家の事例を紹介しました。
 本稿は、藩主の年譜という二次的資料に基づいたもので、今後「江戸日記」等での照合確認の作業が必要ですが、江戸の火消の任務も年譜に記録すべき事項と確認されていたのは、幕藩制について考えるうえで非常に興味深い事実です。(文:平成28年度特別展「行列を組む武士たち」説明板より)

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火事羽織 津山藩士土岐家伝来 江戸時代
 火災の起こっている場所へ出向く時に着る羽織で、火の粉が飛んできても燃えにくい厚手の素地で作られ、羽織の背面や胸当の正面には、土岐家の桔梗紋があしらわれています。武士の着用する羽織の色合いは、この羽織のように黄色などの鮮やかなものが選ばれました。これは、夜間の火事場で目立つという実用的な目的にもよりますが、むしろ出動した行列そのものをきらびやかに印象付ける目的によるものです。

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纏奉行・中奥目付                大纏

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梯子(1)                   梯子(2)

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龍吐水(火を消すための手押しポンプ)

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玄蕃桶(水を入れてかつぐ大きな桶)

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江戸での火消行列図 巻子3巻のうち 二番手行列図  行列:江戸時代後期 作成:明治前期か
 津山藩主松平家が江戸で火消に出勤した時の行列を、全長約14mの3巻の絵巻物に描いてあります。隊列の区分により「二番手行列図」「三番手行列図」「(藩主)御出馬行列図」に分かれていますが、どうも本来は全4巻で、「一番手行列図」の巻物が失われてしまったようです。
 先頭の大纏に続いて梯子や龍吐水(火を消すための手押しポンプ)、玄藩桶(火災などの時に水を入れ、かついで運ぶ大きな桶)、釣瓶(井戸水をくみ上げる桶)、大団扇など、当時の火消作業に必要な道具と、火消作業に従事する鳶が大勢並び、最後尾には家老がいます。

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火消作業に従事する鳶               釣瓶(井戸水をくみ上げる桶)

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熊毛槍                      火事装束に身を固めて馬に乗った藩主

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(文:津山郷土博物館「平成28年度特別展「行列を組む武士たちー津山藩松平家の行列図よりー」より転記)(2016年10月16日撮影)