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小田中奥田中の荒神様

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 小田中の由来は田中郷からです。『和名抄』(わみょうしょう)には、田中郷は苫田郡七郷の一つと書かれています。当時の田中郷は、西は現在の筋違橋(すじかいばし)東の宮川まで、北は上河原から南の吉井川まで広い地域であり、城西通り一帯は河川敷であったと書かれています。田中の地名も田中郷に由来しています。
 小田中・田中北部に荒神様があります。農耕の守護神として祀られています。今では地元の方7人程で年に2回ほど集まってお参りしておられるとか。(2015年5月9日取材)

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聖徳寺 和霊まつり (小田中新屋敷)

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 毎年7月30日午後7時頃より堂内で大般若転読法要、境内にて紫灯大護摩の祈願法要が行われる和霊大明神は厄除けの神として、また願い事は必ずかなえてくれると言う津山地方で名高い神様で、祭神は伊予の宇和島藩の家老で仙台藩主伊達正宗の子秀宗に仕えた人で、山家清兵衛公頼公(やんべせいべいきみよりこう)である。

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西山宗因の句碑(小田中新屋敷)

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聖徳寺正門を入ってすぐ左側(新屋敷)
後年俳聖芭蕉が「宗因は俳諧の道の中興なり」とたたえた談林派の鼻祖宗因は承応2年(1653)津山を訪れ旧友快映坊のいる聖徳寺に宿して俳諧史の貴重な文献「津山紀行」を残した。
句は寺で中秋の名月を迎えほのかな旅愁を漂わせている
 月見れば こよひなりけり 旅の空 西山宗因 書は彫無季氏(2015年5月9日)

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神田 神田稲荷様(小田中)

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 神田稲荷様は通称中道と呼ばれる道路沿いに位置し、その昔はことあるごとに神田町内の人々が食事を持ち寄り懇談の場所としていました。近年は旧暦の10月の亥の日に亥の子祭りと称して、子どもたちが集まり丸い石に数本の綱をつけて提灯を灯して、各家庭を廻って亥の子歌を歌い、子どもたちが綱で縛った石で庭を打って穴を空けます。そのときに歌う歌詞は「亥の子 亥の子 亥のこの晩に祝わん者は 鬼生め蛇生め 角生えた子生め」で廻った各家庭からお布施を貰うと「この家 繁盛せえ 繁盛せえ」と歌って亥の子石を均し廻しをして次の家に向かいます。

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神田 道祖神(同祖神) (小田中)

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 蓋がされ道路として使用されている神田川と嵯峨水路の合流地点付近に有る西条柿の木の根本に包まれて僅かばかりが見えていたのですが、現在は新しく全体が見えるようになっています。昔から通称賽の神様と呼ばれ地元神田に入ってくる災難や疫病を払う儀式の場所として、お正月のとんど焼きや盆の仏送りの場所としても使用されていました。また同じ場所に一ノ宮方面への道順を示す道標も埋まっています。(文:津山城西の秘密のお宝が大集合より)(2015年5月9日取材)

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新屋敷 ベンチュリー(量水器)室

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新屋敷 ベンチュリー(量水器)室
新屋敷から安岡町へ(旧道)出る短いトンネルの入口の手前北側に周囲を囲った小さな建物がある。水道の施設であることは、聞いているが...。浄水場の井汲場長にお聞きした。
昭和9年第1配水池から市内への流水量を知るためのベンチュリー(量水器)が設置された。現在は電磁流量計となったのでベンチュリーは使用していないとのこと。でも姿形は当時のままで、流量計室として、今でも使用されている。(文:津山城西の秘密のお宝が大集合より)

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神田 旧徳守神社跡地と徳守塚

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神田 旧徳守神社跡地と徳守塚 (2015年5月2日取材)
その昔、徳守と言う名前の徳の高い人が、旧小田中村で行き倒れとなり、近隣の小原家の先祖が手厚く看病したが、看病の甲斐無く亡くなってしまった。そこで小原家が徳守塚として祠を作り埋葬したとされています。その場所のほど近く現在は宮脇町にある徳守神社が祭られました。この場所は現在の神田公会堂東側の竹藪の中で、森忠政が津山の総鎮守として現在の位置に移るまで祭られました。(文:津山城西の秘密のお宝が大集合より)

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新屋敷 薮の鼻のお大師様(小田中)

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新屋敷 薮の鼻のお大師様
 新屋敷あたりは昔竹薮が多く、その鼻先(前)薮の鼻となったようだ。その薮の鼻にあるお大師堂は寺町の愛染寺の奥の院であり、1605年金剛寺(岡山市)より畠山快雲が美作の地に来て薮の鼻に庵を建てた。その後に快雲により愛染寺が建立された。又、大師堂境内入ってすぐ右側には上浜恵海尼についての碑がある。現在のお大師堂は3回目の建て替えで新しい。毎月20日に愛染寺の住職、信徒による法会が行われる以前はお遍路さんがよく参ってこられていた。現在でも参ってこられますとのこと。(文:津山城西の秘密のお宝が大集合より)

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神田 神田荒神様

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神田 神田荒神様 (2015年5月2日取材)
神田荒神様の場所は、神田公会堂屋敷内の西にある。
7月12日夏祭り、10月12日秋祭り、毎年老人会主催で徳守神社の神官をお招き、祭礼を行っている。(文:津山城西の秘密のお宝が大集合より)

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津山市小田中浄水場の今昔

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草加部の統合井堰浄水場の取材で訪れた水道局応接間の壁にかかっていた写真です。随分古い写真なのに、既にパノラマでしっかりしたお写真です。もったいないので小田中の浄水場取材に使用させていただきました。この浄水場の建築年は昭和8(1933)年で、津山石が使用されていたそうです。構造 RC造 地上2階建て/設計者 磯兼権蔵(旧市役所設計者)。

 現在の小田中浄水場は、新しい建物に建て替えられています。(2015年4月6日取材)

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