津山ゆかりの人々(津山市について)

"アートは時を越える" 順九さんの小さな素敵(すてき)な展覧会

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 只今、津山市在住で世界的に活躍する彫刻家・画家の武藤順九さん(73)の作品展「"アートは時を越える" 順九さんの小さな素敵(すてき)な展覧会」が、田町の城西浪漫館で開催されています。
 日本とペルーの国交150周年を記念してペルーに贈る作品の原型など、命をテーマにした彫刻や絵画など73点が展示されています。この作品展は5月31日までで、5月21、28日は武藤さんとのトークイベントがあり、同14日は谷口圭三市長を交えたトークセッション(要申し込み)がある。ほかに墨文化や日本人の美意識を伝えようと武藤さんが県内外で開く教室「寺子屋」も紹介しています。
 素敵な作品が沢山展示されていますので、是非、直接ご覧になることをおススメします。
入場無料。午前10時~午後5時。月曜休館。問い合わせは浪漫館(TEL.0868‐22‐8688)

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西東三鬼の句碑

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(2017年8月20日撮影/津山駅前国道53号線沿い)
西東三鬼
明治33年(1900年)、津山市生。昭和37年(1962年)没。
新興俳句の旗手として活動の先頭に立つ。山口誓子を擁し「天狼」を創刊し、初代編集長を務める。自らも「激浪」「断崖」を主宰した。毎年4月1日には墓碑のある成道寺で、門下生や由縁の人々によって三鬼忌が行われている。また、津山郷土博物館には彼の遺品や遺墨などが集められ公開されている。

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【津山人】 劇作家 山田美那子さん

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2016年9月10日アルネ・津山4階市立文化展示ホールで開催されている劇作家でイラストレーターの山田美那子さん(79)の初の個展みなこワールド「出雲街道むかし絵展」(主催:㈱ガット)の会場を尋ねて来ました。
 山田さんは、津山市生まれで城東地区育ちの生粋の津山っ子で、津山大好きさんでもあります。
文化庁主催の芸術祭の台本を多数執筆されています。また、津山城築城400年記念ミュージカル「石の記憶」で津山市文化功労賞を受賞されるとともに、ベネッセ奨励賞、福武文化奨励賞(現代文化部門)、さらには、くすのき賞を受賞されるなど精力的に活動を続けておられます。

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【津山人】時代小説作家 平茂寛氏

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2017年1月29日(日)津山土岐家財団主催「第7回講演会」が行われました。
 講師は時代小説作家の平茂寛氏(佐藤和久)で津山在住です。演題は「時代小説創作の苦労と楽しみ」でした。佐藤さんは岡山県職員として勤務する傍ら、時代小説作家を志し、「隈取絵師・鍬形蕙斎」で朝日時代小説大賞を受賞。作家志望の裏話、創作の苦心、楽しみを語って下さいました。
 、椿高下の武家屋敷の逸見(へんみけ)は、佐藤さんの義父の家です。)

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(公社)津山市観光協会が『南十字星章』を創設

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2014年5月29日 津山市観光協会は昨年9月に市議会が決議した「観光立市宣言」を受けて、おもてなしを盛り上げようと観光協会独自のマイスター制度を設け3人に授与しました。
 食を通じた地域おこし「津山ホルモンうどん研究会」代表の鈴木康正さんは「市民が喜び、訪れた人に笑顔で帰っていただけるようなまちづくりを続けたい。」、私設美術館「M&Y記念館」・津山城鉄砲隊などを設立した豊福恒弘さんは「自信を持って津山を世界に発信していきたい。」津山の観光ガイドや清掃ボランティアなどに取り組む藤木靖史さんは「大好きな津山の役に立ちたい。」など抱負を述べられました。

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【津山人】桜の植樹に心血を注いだ福井純一

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桜の植樹 
 鶴山公園は岡山県内で唯一、全国桜名所百選に選ばれている桜の名所である。この桜の植樹に尽力したのが福井純一である。福井家はもと真庭郡久世町の在で、酢の醸造業を営んでいた。天保年間(1830~44)に分家して津山に移り住んだ。純一は明治11年(1878)1月31日、父・周二郎(別名・浪二)の長男として、津山市本町二丁目に生まれた。津山成器小学校から同志社中学に進むが、父が病で倒れたため、中退して帰郷する。

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2016年7月のイナバ化粧品店

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今回、行くとすぐ「あなた!元気になったわよ!」と一番に言ってくださいました。本当に良かった!
そうでなくちゃ。ママは笑った顔が一番です。
イナバ化粧品店の店内は大勢のお客様で一杯でした。「お店に出て皆さんとお話するのが一番うれしいわ!」と大勢の人達との出会いを嬉しそうに語っておられました。(2016年7月16日)

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【津山人】岡田直也さん(リオデジャネイロ五輪出場を決めた)

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2016年2月16日(火)射撃の男子10mエアライフルでリオデジャネイロ五輪出場を決めた岡田直也選手(射撃男子エアライフル)が、津山市役所で宮地昭範市長を表敬訪問し、五輪出場決定の報告会が行われました。
 日本代表のユニフォームと、五輪出場を決めたインド・ニューデリーで開かれたアジア予選優勝で獲得した金メダルをかけて登場した長身の岡田直也選手に、宮地津山市長は「津山市民の誇りです。精神力が試される競技なので、万全の態勢で悔いのない戦いをしてほしい」と激励したのを受けて、「射撃は幅広い年代の人が取り組める競技。今後も認知度を上げていきたい」と抱負を述べた。

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【津山人】 保田扶佐子さん(抽象画家・版画家)

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保田扶佐子さんの津山高校入学式の記念写真。


★岡山大学時代のエピソード「津山線にはゲーリークーパーがいた。」

  その人は津山線の有名人だった。その頃、岡山にはミシガン大学があったそうで、ミシガン大学生を相手に似顔絵を描いて生活していたゲーリークーパーのそっくりさんで、自分であだ名をゲーリークーパーとつけていたそうです。常に英語の本を持っていて、その人に捕まったら英語で話さないといけなかったそうで皆で捕まらないようにしていたとのこと。昭和40~50年頃までいらっしゃったそうです。



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久原洪哉生誕190周年記念 津山藩医久原家の幕末・明治

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津山藩医・久原家
 久原家に残された「先祖書」によると、久原家の始祖は森家の家臣熊野角右衛門であると伝えられています。角右衛門はその後、久原宗清良政と名を改めました。
 医家久原家の初代は宗清の跡を継いだ甫雲良賢です。良賢は1677(延宝5)年に幕府の医官であった西玄甫から「阿蘭陀流外科医術免許状」を授けられ、その後1708(宝永5)年に津山藩に藩医として、30人扶持で召抱えられ、椿高下に屋敷を与えられました。良賢以後、久原家は9代洪哉まで代々津山藩医を勤めることになります。

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