神社(※再インポート/観光情報/ジャンル別/史跡・歴史的建造物)

津山城完成400年記念「徳守神社の秋の大祭」

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本年、津山城完成400年を記念し、従来行われていた徳守神社大祭を大きく進化させ、その一つの姿として、奴通りにて新たにお旅所を設け、津山総祓神事を執り行うこととなりました。
 当社は、1604年に津山藩初代藩森忠政公にて現社地に造営されました。当時はまだ不安定な時代で津山城築城に当たり、津山城とその城下町の守護神として造営されたと伝えられています。大坂夏の陣にて使用された鉄盾を森公が当社に奉納されたのもその証の一つと言えるでしょう。
 この度の徳守大祭は、当社の時代背景の具現化を目指し、甲冑と火縄銃をテーマに企画されております。当時津山でも組織されていた津山城鉄砲隊が、その子孫により復活をしており、今年よりと徳守大祭に初参加いたします。また、古くは徳守大祭の神輿行列はカ甲冑を装着しての所役もあり、この故事から現在甲冑を正装として活躍されている、備州岡山城鉄砲隊にもご参加いただきます。(文:徳守神社案内より)(2016年10月23日撮影)

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阿波八幡神社

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花祭りの起源と阿波八幡神社(2010.11.3)
阿波八幡神社は、JR因美線美作河井駅より北へ約4キロメートル、旧阿波村(現津山市阿波)字位登山(大ヶ山の東麓の端)鎮座する。主神は誉田別命(15代応神天皇)で、足仲彦命(14代仲哀天皇)・息長足媛命(神功皇后)を配祀した神社である。
口碑によると、慶雲2年(705)、現在の地より少し南に鴨神社が創祀されたと伝えられており、平城天皇の大同元年(806)8月15日筑紫の国(大分県)の宇佐八幡宮の分霊を勧請し、合祀して八幡宮と称し現在の地位登山に移遷したものである。(先年、阿波村文化財保護委員が宇佐八幡宮に行って分霊勧請の記録を確認している)
八幡宮は武神としてのソ崇敬も顕著になり、尼子晴久の中国経略に際しここ美作にも侵入し、さらに播磨の国に出兵する際戦捷を祈願して阿波八幡宮の社殿を焼き払い、その後、戦捷奉實のための家臣村上左京進時泰に命じて社殿を再建した。
弘治4年(1558)年6月のことである。(社蔵の棟礼による)
当時の社殿は、宮4間4面、高さ3間1尺5寸(神主兵部より森美作守への上申書による)とあり、結構壮大な社殿であった。
現在の社殿は寛延2年(1749)村内氏子中により再建されたものである。
高山城(矢筈山)主 草苅景継は良(鬼門)の鎮護として崇敬し社領を寄進し、津山城主森忠政も城の民の鎮護として崇敬したという記録も伝えられている。(2010年 阿波神社の花祭りの様子
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2010.10.17(日)大隅神社の秋祭り

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▲大隅神社のお神輿2010.10.17(日)
このお神輿は神輿は天保13年(1842)に造られたもので、黄金に光る神輿は、造られてから一度も塗り替えていなかったのですが、今年170年ぶりに修復された大神輿が18年ぶりに担がれました。
「18年ぶりに担ぐのでどんな重さなのか、どこで休憩できるか分からない」とのアナウンスあるほど久々だったそうです。

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