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上賀茂神社(津山市原字荒神)

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 勝加茂原字荒神にある。祭神は火産霊神・素戔鳴命・味鉏高彦根命・下照姫命をまつる。原村往古より勝加茂西上(現上村)鎮座の若王子権現を産土神としたが、明治十年その氏子を離れてもともと荒神社のあった地に社殿を建立し、旧来の荒神社の祭神に西賀茂神社及び朝吉神社の分霊を勧請合祀して、上賀茂神社と号した。(歴史めぐり資料より)2012年7月8日取材

「美作神社資料」には、「和銅元年鎮座、大永五年山名太郎左衛門常清の社殿再興、正保七年以来氏子よりその費用を献進する」とありますが、その拠るところが明確ではありません。「勝北町誌」より

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鳥居には沢山の石が載せられています。
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拝殿                            本殿
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本殿
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地神様
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末社
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                                八坂神
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大きな木と鳥居の石
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上賀茂神社前に建てられている、河内爺八五郎翁頌徳碑
 幕末の動揺の際、庄屋を継ぎ明治新政で戸長の役を務め道路貯水教育等に専念致し、この邑の百年の計を考え、植林や公有地の利用に寝食を忘れ村の折衝に当たる。
 明治12年世間に未だ造林について知られていない頃、野山の植林事業を起こし、年々拡増しそれが40余町歩に至る。
 自らも鋤鍬をもって働き、また神を敬い先祖を崇め恒に身をもって自ら一郷を導くも明治39年病のため没す。
 其の遺沢今日まで愈着し、東原の連山當々として緑を湛え林産年々豊かにして邑の基金を侑い百般の施設悉く資け、有り余りたる里閭百般の施設もととのい、炊飯、暖熱をそこに頼り、俚俗質実にして自治楽しく昭代に及ぶこれ翁の賜也。里人相謀りて碑を建てその遺徳を後々まで伝える。大正15年9月也(案内板より)