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榕菴珈琲ふらっぺ(9月末まで)

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 珈琲の当て字を考案した津山藩医・宇田川榕菴(1798~1846年)にちなんだかき氷「榕菴珈琲ふらっぺ」が、津山市城東地区の観光案内所「和蘭堂」で発売されています。甘さ控えめで、ほろ苦いコーヒーの風味と、あっさりとした口当たりが特徴だそうです。いただいてみると最初は氷だけ食べると少し物足りなさを感じますが、食べていくうちにコーヒーのほろ苦さとアイスクリームの程よい甘さと氷が絶妙にマッチして暑い夏にぴったり、とても美味しかったです。9月末までの期間限定なのでお早めにどうぞ!
営業時間は午前10時~午後5時(ラストオーダーは同4時)月曜定休(祝日の場合は翌平日)。問い合わせは和蘭堂(0868-24-6288)

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千光寺のしだれ桜・椿・サンシュユの花

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 2020年3月17日お彼岸の入りです。朝は寒かったのですが、日中は暖かな陽気になりました。そろそろ千光寺のしだれ桜が気になりお昼にいってまいりました。西側の二世のしだれ桜がぽつぽつと咲いていました。コロナウイルスで学校も休校になっているからでしょうか、お孫さん連れでお墓参りに来られていて賑やかな声が聞こえていました。

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令和元年 出雲街道津山城東むかし町祭り

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 2019年11月3日、今年も城東伝統的建造物群保存地区で、出雲街道津山城東むかし町祭りが執り行われました。このお祭りは、旧出雲街道を歩行者天国にし、「江戸時代にタイムスリップ」をコンセプトにした時代行列です。橋本町~東新町の区間では屋台や物産店、フリーマーケット等が出店されていて楽しんできました。また、「和っしょい!津山の総踊りが祭りをより一層盛り上げていました。

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2019年大隅神社の秋祭り

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 2019年10月20日に大隅神社・高野神社を皮切りに、津山まつりが始まりました。当日は、晴れときどき曇り空のお天気でしたが、大隅神社の秋の大祭も無事に終了しました。大隅神社では、今年初めてのお餅投げがあったり、インドネシアの若者や、美作大学の学生さん、また、多くの若者が初参加という事で和気あいあいでとても良い雰囲気でした。数人で参加していたインドネシアの若者に津山まつりについて聞くと、「お祭りは楽しいです。インドネシアにも沢山のお祭りがあって賑やかです。」と教えてくださいました。

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つやま城東まち歩き〜アート&クラフト展+手仕事体験〜2019

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 9月28日(土)、29日(日)に、津山城東重要伝統的建造物群保存地区とその周辺にて「つやま城東まち歩き〜アート&クラフト展+手仕事体験〜」が開催され賑わっていました。
 江戸時代以降に建てられた町家が保存されている城東地区は、重要伝統的建造物群保存地区になっています。その趣のある街並みでいろいろなアートが溶け込んで風情のある通りとなっていました。

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津山チェンチサロン&178 津山ファンクラブルーム

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 津山街デザイン創造研究所が、津山の魅力を全世界に発信し津山を盛り上げたいと津山市城東地区に2019年2月3日オープンした津山チェンチサロン&178津山ファンクラブルームをお訪ねしてきました。ここには、稲葉浩志さんの高校時代のバンド映像や写真・雑誌の切り抜きなどが沢山あります。

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出雲街道 津山城東むかし町 2018

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2018年11月4日(日)晴天の日に城東伝統的建造物群保存地区一帯で「出雲街道 津山城東むかし町」のイベントが執り行われました。当日は、橋本町~東新町の区間が歩行者天国となり、むかし町物産市やうまいもん屋台が出店して賑やかでした。通りを歩いていると、南京玉簾の皆さんとお会いしましたので記念に一枚写真を撮らせていただきました。笑顔がとてもいいですね。

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第28回 出雲街道津山城東むかし町

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 2017年11月5日の津山市は良いお天気になりました。午前10時~重要伝統的建造物群保存地区一帯で「第28回 出雲街道津山城東むかし町」が賑やかに催されました。
 このイベントは、昔ながらの町並みが今も残る城東地区一帯を会場としたイベントです。出雲街道沿いの1.2kmが歩行者天国となり、時代行列や消防音楽隊パレード、時代仮装行列など様々なイベントが催され道行く人を楽しませてくださいました。出雲街道に着物姿の人々が往来していたんだと思うとロマンがありますね。(2016年の様子

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高校生と城東めぐりをして来ました。

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2016年3月22日、インターンシップで鏡野から津山市内の高校へ通っている高校生をお引き受けして城東地区を巡ってきました。感想に「普段はなかなか歩く機会のない城下町でしたが、ひとつひとつ丁寧に見たり、いろいろな方と話をしたりしながら歩くと、いつもは何気なく車から見ていた景色とは別の視点で見学することができました。また、何も知らずに歩くより、各地の説明を聞きながらめぐる城下町はひと味違う雰囲気でした。」と嬉しいレポートを残してくれました。
※平成25年8月7日、文部科学大臣から重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。

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津山・美作の国いにしえギャラリー by 江見写真館(第1回 梶村邸)

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梶村家の歴史
 梶村家はもとの屋号を米屋といい、元禄年間(1695年頃)には出雲街道の南側に居住し、その後現在の地に住んだようである。
 宝暦年間(1760年頃)には山内屋と称しているが、商いは不明である。明和4年(1767)に「札元並」という町役に任命され、五人扶持、名字を許され茂渡藤右衛門と改名、その後数代にわたり「札元」を勤めている。
 梶村姓を名乗るのは明治4年(1871)からである。明治中期には平五郎が県会議員として県政に貢献し、銀行業務に尽くすかたわら和歌を得意とし明治42年(1909)の歌会始に入選するなど、美作地方の歌壇の発展に尽くした。また、長男良次もガス会社・製紙会社などの経営に活躍した。
 なお、平五郎などの和歌の活動の場となったのが、当家の後の果樹園に建っていた「千草舎」(ちぐさのや)と呼ばれていた庵である。そこで、このたびの修理で茶室にこの名を引き継いだ。
(文:梶村邸説明パネルより)(写真提供:江見写真館、※写真撮影の年代は全て賀陽宮様がお出でになった昭和6年のものだそうです。)※写真は「津山瓦版」のみ使用可です。

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