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妙勝寺

元は院庄にあり金剛寺と称する寺であったが、津山城主の意向により現在地に移り日蓮宗宗妙勝寺となった。
当時の墓所には渡部藤左衛門義士のお墓があり、現在安岡町、茅町の町民により祀られている。また、当山の第31世住職故瀬川学進上人の代に、行路者の一時保護施設「報恩無料宿泊所」を開設し津山市老人ホームの基礎を作った。現在は第32世住職瀬川一行上人に引き継がれ、児童養護施設「立正青葉学園」を開設し家庭に代わって児童の保護、育成を行っている。
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成道寺

慶長9年(1604)に津山藩主の森忠政建立したお寺。表門は明治35年各個(1902)に元津山藩庁ならびに北条県庁の門を譲り受けている。元津山藩庁の門だけにあって、普通の仁王門とは違い、頑丈な扉と北側に番士部屋のある厳重な構えになっています。本尊は阿弥陀如来。
津山を代表する俳人西東三鬼の墓碑があるそうです。
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青木山 寂静院 聖徳寺 (小田中)

聖徳寺

青木山 寂静院 聖徳寺の開基

 当山は、和銅7年(714年)6 月に、神融禅師によって開創されたお寺です。昔は現在の苫田郡鏡野町上森原にお寺がありました。 その当時は青木山極楽寺寂静院といいました。その後、慶長の始めに森 忠政公が津山の守護となって築城のみぎり、当時の住職快音上人は現在の地津山市小田 中に移しました。この地は昔聖徳太子が諸国を遊化され立ち寄られた場所である。正保年に、寂静院に一堂を建立し、聖徳太子の像を安置することを人々により 願われた。当時の快映上人は四天王寺に詣で太子を拝見する。孝養の御影を写し帰って、微妙の尊像を彫刻し御頭に仏舎利を納め奉って、当寺の本尊として安置 した。これ以降、聖徳太子の霊地となり。寂静院改め聖徳寺と号した。(情報提供:聖徳寺)

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東海山 本源禅寺 (小田中)

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 寺の前身は神戸(じんご)村にあった南北朝期の安国寺と伝えられています。寛永16年に本源院忠政の御霊屋が完成し、天和3年(1683)忠政の50回忌にちなんで本源寺と改称した。境内の墓地には森氏代々の五輪墓がある。
森家大名墓と御霊屋・表門は津山市指定重要文化財(建造物)。木造森忠政公坐像は津山市指定重要文化財(彫刻)。
2009.1月取材

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