清眼寺のぼたんの花が美しい。
また、今回は2012年4月28日のボタンの花です。まだつぼみが沢山あったので長く楽しめそうでした。■この他、愛染寺のぼたんが綺麗でした。(2010年取材)
清眼寺は、美作88ヶ所第56番札所・美作国七福神毘沙門天霊場として、多くの参拝者で賑わいます。別名ぼたん寺ともいわれ、毎年のぼたん祭りには、色とりどりの美しい大輪の花を咲かせ、参拝者を楽しませています。
また、今回は2012年4月28日のボタンの花です。まだつぼみが沢山あったので長く楽しめそうでした。■この他、愛染寺のぼたんが綺麗でした。(2010年取材)
清眼寺は、美作88ヶ所第56番札所・美作国七福神毘沙門天霊場として、多くの参拝者で賑わいます。別名ぼたん寺ともいわれ、毎年のぼたん祭りには、色とりどりの美しい大輪の花を咲かせ、参拝者を楽しませています。
真福寺(2011.6.24取材) ▲写真2012.4.17取材
瑠璃山日光院 眞福寺の略歴と沿革
当山は、天平12年(740)聖武天皇の勅りにより、太古行基菩薩開創し御本尊薬師如来を奉安され、始めは槍原地内に在って萬福寺薬師院と称していたが、現在地へは寛永年間(1624)移築され眞福寺日光院と改めたがその後、付近の火災の飛火に遭って全焼し寛文8年(1668)檀信徒より木材並びに労務の奉仕等により建立されたものです。
初代清誉上人より今日に至る迄、檀信徒聖霊香華燈明を掲げ、真言密教の寺として法燈を護り伝えて参りました。爾来、375年余の星霜を重ね近年に至っては特に老朽化し、平成5年に議題になり平成7年檀信徒の浄財等により改築を決定した。西暦2000年の節目に完成する。(情報提供:真福寺)★美作88カ所霊場会のホームページ
河面にある清瀧寺は、作州きっての古い真言宗のお寺である。(お寺シリーズ、レポート記事)
旧「岡山県勝田郡誌」(初版 大正元年)に、「本郡には役の小角夙に来り聖武の朝国分寺を建てられ又行基来り空海来り圓仁来り各寺院を創造す 故に古来巨刹多く宗派は真言を最多とす天台之に亞ぐ」と記述されているように、真言宗の清瀧寺は、まさに、弘法大師(空海)ゆかりの古刹とされている。
空海が唐の都長安で修行に励んだ寺は、青龍寺であり、ゆかりの寺院名称であるうえに、寺伝によると、平安時代初期の弘仁12年(821年)、嵯峨天皇が弘法大師に命ぜられて建立されたとされている。墨池山というのも、雨乞いの加持祈祷を行った弘法大師が、自らその筆を洗ったという「墨の池」も伝説にちなんでの山号であり、今も伝説の墨池という小池が残されている。
清瀧寺の往古は、広大な七堂伽藍をようして、多くの僧坊があり、西光寺・真福寺など7カ寺の末寺を持つほど栄えたらしいが、中世戦乱に巻き込まれ、やがて廃絶したと言われている。(2012.3.20)
田熊 八幡宮神事場と南参道口の石碑群(2012.1取材)
田熊西山集落の南側にある丘陵上の平坦地は、八幡宮の神事場となっている。神事場とは、お御輿のいわゆるお旅所のことである。祭礼のとき、田熊八幡宮を出たお御輿は、左折して西ノ谷集落に入り、南側の神事場参道の坂道をいっきに上って、ここで神事を催した後で、休憩をしている。神事場は、今でこそ片隅に石垣の御輿台を残すのみで、全体が小グランドのようなゲートボール場に様変わりしているが、戦前は、南側の参道と共に松並木の大木に囲まれた草原で、祭礼に多くの幟(のぼり)が立ち並び、神聖さを感じさせられる場所であった。
田熊八幡宮が、あまりにもけわしい坂道を上っていかねばならぬため、足の弱い年寄りや婦人・幼児たちのとって、神事場がお祭りのお参り場所であった。そのため、ここで輿練りなど盛大に神事が行われたことから、大勢の人が集まるようになり、戦前は、出店も数軒構えられるほどに賑わったそうである。