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取材記事内を検索ワード「曲水の宴」で検索した結果,9件の記事が見つかりました。

衆楽園の冬の景色2024

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 2024年2月17日の旧津山藩別邸庭園(衆楽園)です。ここは江戸時代初期に二代藩主である森長継公によって築造されました。国指定名勝の大名庭園なのに、無料で見られ、しかも無休です。
 衆楽園内の池では、水鳥が番(つがい)で仲良く餌をついばんでいました。また、観光客のみなさんがカメラ片手に回遊されていました。この衆楽園の魅力の一つが庭園の中をうねり曲がって流れる曲水です。綺麗に澄んだ水が流れる曲水は私のお気に入りの一つです。また、ここで年に二度(春と秋)に「曲水の宴が開かれる」ことを夢見ています。

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衆楽園をモネの池に大作戦!その後

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 2022年5月15日、「目指せ!衆楽園をモネの池に大作戦 ~今こそ起こそうムーブメント~」と題して一般社団法人津山青年会議所が市民や行政と共に衆楽園の池の浄化作業を行いました。
その後、2022年8月1日2023年2月21日2023年3月24日、そして5月30日現在の様子です。
だんだんと綺麗になっていますね。これを続けていけばきっとモネの池になるでしょうね。楽しみにその後を追っていきたいと思います。

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白石不舎 文学碑(山下)

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「佐保姫に合ふ靴をおく花の下」 白石不舎(しらいしふしゃ)
白石不舎(大正13年9月1日~平成24年2月26日)は西東三鬼に師事。以降、俳句教室や俳句結社「綱」を主宰。句集「作州」を発表。
三鬼の句墓碑や生誕地句碑を建立したほか、「三鬼顕彰全国俳句大会」「西東三鬼賞」「曲水の宴俳句会」の開催にも精力的に取り組み、直弟子として師の顕彰に努めた。
津山市出身。本名 白石 哲。津山文化センター 平成24年9月 設置 
(文:『津山市文化協会創立60周年記念誌 津山文化』より)

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賀茂競馬(特別扱いの倭文庄馬)

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 倭文歴史と文化を語る会"ふるさとの歴史再発見の旅"(平成30年5月5日)日帰りで京都市上賀茂神社競馬神事と三十三間堂の旅に参加して来ました。この旅は倭文地区の歴史を子ども達に伝えたいと企画されたのだそうです。子ども達も実際に自分たちの目で競馬を見て何かを感じてくれたことでしょう。


競馬(くらべうま)
 馬は神聖な動物とされ、五穀豊穣・天下安隠を祈って、神馬(しんめ)として奉納された。上賀茂神社の競馬、下鴨神社の流鏑馬(やぶさめ)など、馬が登場する神事は多い。上賀茂神社の競馬は、1093年(寛治7)に、宮中の菖蒲の根合わせで勝った女房たちが、そのお礼に奉納したのが起りとされる。病気平癒祈願に、十列(とおつら)走馬の奉納という盛大なものもあった。(文:倭文地区歴史と文化を語る会)

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衆楽園の花たち

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衆楽園は、江戸時代初期に津山藩主・森家によって築造された回遊式の庭園です。
2016年5月30日の衆楽園の様子を見て来ました。園内にはサツキの花やスイレンの花が綺麗に咲いていました。また、この頃は園内が緑に覆われてとても綺麗です。(前回の取材)(「曲水の宴」とロバートキャンベルさん)

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ロバート キャンベルさんを招き「曲水の宴」を再現。

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曲水の宴《動画1》《竹内津山観光協会長挨拶》《キャンベルさんのお話》《動画2
 流觴曲水ともいう。「觴」とは盃のこと。陰暦の3月上巳の日や3月3日に開催され、緩やかに蛇行しながら流れる水の岸辺に座して、流れ来る盃が自分の前に到達するまでに詩歌を詠ずるという風流な行事で、古代中国にその発祥があるという。水辺で行われていた禊ぎに関連する行事から、遊興の催事へと変化したといわれる。
 中国の事例では「衆楽雅藻」の序文でも「永和之蘭亭」と称されている如く、永和9年(353)3月3日に開催された曲水宴が、後に王羲之の書作品「蘭亭序」により広く知られることになった。
 日本にも古くから伝わっていたらしく『日本書紀』や『万葉集』にも曲水の宴を行ったことが記載されている。
 明治3年(1870)に衆楽園で行われた曲水の宴では、詩を成した者は盃を取り、できなければ飲めないという定めであったが、流水には盃だけではなく、こなもちや酒の肴も流されており、鴎の群れが波に揺れる様であり、また落ち葉が流れ下っていく様であったと描写されている。(文:公益社団法人津山市観光協会チラシより抜粋)

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2015年 衆楽園のさくら

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2015年4月2日の衆楽園のさくらです。
  衆楽園は津山城の北側(津山市山北)に位置しており、庭園は南北に長い敷地で、大半を池が占めています。別邸跡の古い建物群は現存せず、それらを再現した建物(余芳閣・迎賓館・風月軒ほか)が建っています。(津山城より衆楽園の紅葉の様子はこちらから

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衆楽園で1870年開催された曲水の宴、「衆楽雅藻」が発見されました。

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 衆楽園で1870年開催された曲水の宴、「衆楽雅藻」が発見されました。
巻物は絹布に書いた絹本で、曲水の宴を意味する「流觴曲水」と書いてあり、最後の津山藩主・松平康倫の落款がある。(長さ12.8M、幅0.35M)
康倫の家臣が書いた日記には71年4月12日に巻物が完成したとあるが、その所在は分からなかったそうです。2013年1月、大分県の古書業者から巻物が売りに出されているのを竹内佑宜さんが聞き、是非、津山に残しておかなくてはと入手されたそうです。また、上巻が「乾」、下巻が「坤」の意味らしく「坤」の発見に努めたいとお話し下さいました。(2013年2月25日取材)

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「くらや」さん紹介

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▲くらや全景と店内の様子です。(入口の軒先や店内の天井の壁にも芸術的なものが見られます)くらやHP

創業以来130年以上築いてきた伝統を大切に守り、本物の味を追求してきた【旬菓匠くらや】。老舗企業として地元・岡山県津山を盛り上げてきました。もちろん、和菓子だけで町を活性化させることはできませんが、和菓子だけだからできることもある、と私達は信じています。
たとえば、津山の農産物を使った和菓子。このような地元の売りを伝えたものが地元銘菓として広まれば、同時に津山の名前も広まることになります。自分達にできる範囲のことで地域を活性化したい。そんな思いを持ち、お菓子を提供しています。(代表取締役 稲葉伸次)

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