白石不舎 文学碑(山下)

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「佐保姫に合ふ靴をおく花の下」 白石不舎(しらいしふしゃ)
白石不舎(大正13年9月1日~平成24年2月26日)は西東三鬼に師事。以降、俳句教室や俳句結社「綱」を主宰。句集「作州」を発表。
三鬼の句墓碑や生誕地句碑を建立したほか、「三鬼顕彰全国俳句大会」「西東三鬼賞」「曲水の宴俳句会」の開催にも精力的に取り組み、直弟子として師の顕彰に努めた。
津山市出身。本名 白石 哲。津山文化センター 平成24年9月 設置 
(文:『津山市文化協会創立60周年記念誌 津山文化』より)

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写真左:まだ生々しい傷跡が残る鶴山城址を背に建つ白石不舎の歌碑(手前は西東三鬼)

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写真一番手前:百年の歩み(津山男子校をしのぶ会建立)

百年の歩み
 ここは津山城の一角である。
明治の新時代を迎えてここに創立された津山藩庁は、四年の廃藩置県で津山県庁となり、ついで新たに生まれた北条県の庁として、美作園を一つにする行政の中心となった。
 九年岡山県に統合されたあとは、教学の場となって幾多の変遷をかさね、二十年に津山町外六か町村組合立高等鶴山小学校、三十六年には町立津山高等小学校ができ、四十一年の学制改革で津山男子尋常高等小学校と改まり、大正昭和へと進展した。昭和十六年戦時体制のもとに第一国民学校、二十二年戦後の新学制で第一小学校、また三十七年北小学校と改称した。その間実業補習学校青年学校北中学校および鶴山幼稚園の併設されるなど、幾万の人材がここで育てられた。
 さらに学校統合による校舎移転のあと、四十一年には市民の総意で津山文化センターが建設されるにいたった。
 思えばこの百年、この地はわが県北行政の基点として、あるいは教学の中心地として、美作文化発展の歴史を綴った。たまたま激動の日本を回顧して、明治百年祭を執行された機会に、われわれもまた思い出多いこの地に記念の碑を建て、かぎりない郷土の発展を祈る。
 昭和四十四年四月
 津山男子校をしのぶ会
(2018年9月10日撮影)