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出雲街道を歩く(河辺から津山城下)

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第110回 文化財めぐり 特別展「行列を組む武士たち」関連事業として、出雲街道を歩く(河辺から津山城下)が、2016年10月29日(10時20分~)津山郷土博物館主催であり参加して来ました。津山藩主の参勤交代には出雲街道が使われています。今回は河辺から津山城下までの出雲街道を歩いてきました。
ルート 河辺バス停前→河辺上之町→兼田橋→川﨑→玉琳→東松原→古林田→荒神曲り・大曲り→宮川大橋→京橋門跡「文:津山郷土博物館作成の当日配付資料より抜粋」

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【津山人】西東三鬼-俳句界の風雲児

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明治33(1900)年から昭和37(1962)年津山市南新座に生まれる。
 本名は齋藤敬直(さいとうけいちょく)。33歳の時、歯科医だった三鬼は患者達のすすめで俳句を始める。この時から使用したペンネームが「三鬼」で「サンキュー」をもじったものといわれている。
 35歳で代表作の「水枕ガバリと寒い海がある」を発表し新興俳句の有力な作家として認められたが、戦争一色となる社会情勢の中で、新興俳句は内容が革新的であることにより弾圧をうける。
 終戦後、俳句を再開した三鬼は、近代文学としての俳句の可能性を求め、俳句の復活を志した山口誓子とともに昭和23(1948年)「天狼」を創刊するなど俳句の復興に尽力。また、敗戦直後の混乱した時代に俳人が俳句で生計を立てていけるようにと現代俳句協会を創立。句集として「旗」、「空港」、「夜の桃」、「今日」、「変身」がある。
(掲載されている写真・文章等の著作権は津山瓦版または情報提供者に帰属し、一切の無断転載を禁じます。)

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【シリーズ美】講演会-6では「津山藩甲冑師三代」

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2016年12月11日(日)津山市立図書館視聴覚室において第14回おかやま県民文化祭地域フェスティバル「文化がまちに出る!プロジェクト in 津山」【シリーズ美】講演会-6で「津山藩甲冑師三代」と題し、石田謙司(全国歴史研究会)氏の講演に行って来ました。世の中の人魅了してやまない日本の甲冑。その美しさについて分りやすい解説を交えながら、知られざる具足師・津山藩明珍家(宗春・宗保・宗周)の事績について、日本人が見向きもしなかった日本の芸術は世界では非常に価値がある芸術品として買われた。など、江戸明珍家研究の第一人者が解説してくださいました。

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豊川稲荷神社(山下)

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 現在は、千代稲荷神社の境内に移されているこの社は以前、津山郷土博物館裏の城の石垣に貼りつくように建っていた。この豊川稲荷を勧請したのは、もと津山藩の家老であった山田(ようだ〉家といわれている。
山田家の後、美作製紙から昭和9年には旧津山市庁舎(現津山郷土博物館)と替わった。
昭和10年に水道疑獄が起き課長が議場で倒れてからは、屋敷の守り神である豊川|稲荷が手厚く祭相された。
所在:津山市山下82 千代稲荷神社内 祭神:豊武大明神、末廣大明神、白玉大明神 創建:不詳 祭礼:6/中旬
(文:津山城下町まちなかお社巡り 津山まちづくり本舗より)(2016年11月30日撮影)

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県内で唯一展示!1500万年前のパレオパラドキシアの化石

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 パレオパラドキシアは哺乳類束柱目に分類される生物で、今から約1500万年前に生きていたと考えられています。当時の津山市は亜熱帯の温暖な気候で、浅瀬が広がる海でした。パレオパラドキシアはその海辺で、やわらかい海草などを食べていたと考えられています。
 束柱目の名前の由来はその臼歯にあります。よくみると鉛筆くらいの柱を束ねたような形をしています。 
津山郷土博物館で展示中のパレオパラドキシアの骨格標本は昭和57年9月津山市上田邑の工事現場で当時の中学3年生が発見しました。パレオパラドキシアの化石は日本とアメリカだけで発見されている珍しいものです。全身骨格標本は全国的にも珍しく、県内では津山郷土博物館だけが展示公開しています。(文:津山市HPより抜粋)(2016年10月16日撮影)

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津山・城西まるごと博物館フェア2016

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2016年10月2日(日)、津山市城西地域で「津山・城西まるごと博物館フェア2016」が開催されました。 この催しは、津山市の「城西地区の出雲街道沿線(西今町~宮脇町)を博物館」に見立て、地域の皆さんが手作りで開催するイベントで午前10時~午後3時まで行われました。当日は、アート&クラフト展、オープニングパレード、バルーンアート、城西こどもガイド、ミルクホール、まるごと合唱団、吹奏楽の演奏、城西お宝さがし、人力車、作州絣の実演と体験、キッズフリマ、屋台村など盛りだくさんの内容でした。

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第七回作州維新文庫所蔵展『収蔵作品展』新規収蔵品を主に

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2016年5月28日・29日(午前10時~午後3時)と津山市山下の旅館お多福で、幕末から明治にかけて作州で活躍した文人画家の展示があります。郷土の画家が描いた作品は見ごたえがありますよ。この機会にぜひどうぞ!
旅館「お多福」には、郷土の偉人・先人の遺墨や書簡など、多数の作品を収蔵する「作州維新文庫」があり、貴重な書画を中心として館内に展示保管されていま す。近年、「玉子かけごはん」で有名になった偉人岸田吟香の書や書簡、特に吟香が志士として活躍した青年時代をテーマとしての研究なども「作州維新文庫」 に収蔵されています。その他にも津山藩御抱絵師狩野家の人々の作品など多数が収蔵されています
旅館「お多福」(0868)23-0125 (旅館お多福所蔵、作州維新文庫」より)

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津山扇形機関車庫(機関庫)とDE50-1に萌える

歴史のたび津山遺産、萌えよ因美線。

津山扇形機関車庫(機関庫)とDE50-1に萌える

津山扇形機関車庫トップ 津山鉄道ミニガイド 津山鉄道史 津山鉄道遺産1 津山鉄道遺産2  鉄道資産について  津山扇形機関車庫(機関庫)とDE50-1 (2007年取材)

はじめに断っておきますが、私(瓦版スタッフT)はこれまで全く鉄道に興味はありませんでした。ですので、決して、マニアによるマニアのための記事 ではありません。鉄道に興味のなかったTにここまでの記事を書かせるだけの魅力がここにはあります。皆さんも歴史・鉄道浪漫に浸ってみてください。

なお、機関車庫は時々行われる見学会の時以外は立ち入ることはできません。駅の方の迷惑になるので、決して勝手に入らないようにしてください。平成 20年5月3〜6日、9〜11日、24〜25日の「懐かしの鉄道展示室」でも見学できますので、興味のあるかたはぜひ申し込んでみてください。(詳しくはJR西日本のページへ

最新の情報は JR西日本岡山支社営業課(086-225-1179)までご確認下さい。

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旧津山扇形機関車庫とは

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旧津山扇形機関車庫
 旧津山扇形機関車庫は延床面積2,527㎡、総工費は11万600円であった。機関車収容線数17は、梅小路機関車庫に次ぐ現存二番目の規模である。躯体は鉄筋コンクリート・フラットスラブ構造で、向かって右の低棟には道具置場、技工長室、修繕室、鍛治場が置かれ、高棟は第1から第4、中棟には第5から第17の機関車収容線が敷かれていた。
屋根高は低棟6,700mm、高棟8,450mm、中棟7,303mmで、第5線と第6線、第11線と第12線の間にはエキスパンションジョントがある。ジョイント部分で中棟は高棟に、高棟は低棟に乗りかかるように設計
されている。エキスパンの役割は温度によるコンクリートの伸縮や地震による揺れの違いを吸収し、巨大コンクリート建造物を崩壊から防ぐことにあると考えられる。背面が広いガラス窓で覆っているのは、黒い蒸気機関車と煤煙によって暗くなりがちな庫内に自然光を取り入れるためである。それが扇形機関車庫の特徴である。
 旧津山扇形機関車庫60ft転車台転車台桁は横枕木仕様でクーパー荷重E33、全長18,280mmの60ft下路プレートガーダ「G2-1」である。転車台は扇形機関車庫が建設される6年前の1930年、電動牽引機と共に設置された。現在の二輪式転車台電動牽引機は1954(昭和29)年に福島製作所が製造したものである。

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赤穂城跡

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 浅野長直の指示によって慶安元年(1648)から13年の歳月をかけて築かれた赤穂城は、近代城郭史上非常に珍しい変形輪郭式の海岸平城です。藩の家老で軍学師範の近藤正純が設計し、そのうち二之丸門虎口の縄張は、当時の著名な軍学者であった山鹿素行の手が加えられたと伝えられています。赤穂城跡は軍学に従って築かれた城であり、徳川幕府が始まって約50年後に築かれたにも関わらず、その構造は戦を強く意識しており、複雑に折れ曲がる石垣、角度を違える諸門に特長があります。城地は三方を山に囲まれ、東に千種川、南は瀬戸内海に面し、清水門の南にある舟入は船が出入りできるようになっています。  昭和46年に国史跡指定を受け、平成14年には本丸庭園と二之丸庭園が国の名勝に指定され、文化財の修復・復元はもちろん、都市公園としての整備も進むなど、赤穂市のシンボルにふさわしい城跡として蘇りつつあります。(文:(一社)赤穂観光協会HPより抜粋

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