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取材記事内を検索ワード「社」で検索した結果,1134件の記事が見つかりました。

中山神社惣神殿最終見学会

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 2023年6月17日津山市一宮の中山神社境内にある、津山市指定重要文化財中山神社惣神殿の保存修理現場が一般公開されており参加して来ました。この日は雲一つない青空の良い天気に恵まれ、惣神殿の檜皮葺の屋根が黄金に輝いていました。社殿全体の姿と、ふだん見ることができない本殿内の様子も見学してきました。
修復前の2017年4月1日.6月14日撮影
『中山神社資料』によれば「美作の国中12郡の大小神社の神を祀る」とある、別の言い方では「山上山下120社」とも。寛保2年(1742年)の造営で、社殿は春日造りの一変形で唐破風がついている。屋根は桧皮葺、荘重華麗の趣に富む造りで、境内に占める位置から見ても全体の調和が良く整っている社である。
 18世紀の中頃の神社建築を伝える建造物として、平成20年(2008)10月30日津山指定重要文化財に指定された。大正3年に御手洗川の外から現在地に移転された。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より転載)

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阿波村の石仏「大日如来」

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阿波の竹之下地蔵堂(加茂郷88ヶ所霊場第25番札所)近くに建立されている大日如来です。
 大日如来は、智慧と慈悲の徳により、一切衆生の迷闇を照破する仏であり、大日如来の信仰は村内に広く普及しており、だいたい1メートル前後から1.5メートルまでで、地区内の安全と、農家にとって一番大切な牛の安全と供養塔として村内に十数基建立されている。(文:『阿波村誌』より)(2020年8月1日撮影)

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衆楽園をモネの池に大作戦!その後

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 2022年5月15日、「目指せ!衆楽園をモネの池に大作戦 ~今こそ起こそうムーブメント~」と題して一般社団法人津山青年会議所が市民や行政と共に衆楽園の池の浄化作業を行いました。
その後、2022年8月1日2023年2月21日2023年3月24日、そして5月30日現在の様子です。
だんだんと綺麗になっていますね。これを続けていけばきっとモネの池になるでしょうね。楽しみにその後を追っていきたいと思います。

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2023 白加美神社の夏祭り

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2023年7月15日、白加美神社の夏祭り(白加美神社
 日本全国は長雨で大変なことになってます。中国地方も雨が続いておりましたが、今日は雨もなんとか止み白加美神社の夏祭りが無事に執り行われました。境内には子どもたちが集い賑やかな声が聞こえています。今年は浴衣を着ている子たちが多くいる感じがしました。日本の文化、浴衣姿は風情がありいいもんですね。末永く続いてほしいと願いながら。

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旧三日月藩校広業館

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由来記
 当記念館は旧三日月藩校広業館の建物の一宇を移して、改築したものである。
 広業館は寛政7年(1795)五代目藩主森快温公の命により乃井野に建てられ初代の館長は深澤若山(薫)であった。盛時には生徒数文学部武芸部合わせて580名に達し多くの人材を輩出したが明治初年廃藩置県により広業館は日此に移転し名を改めて広業尋常高等小学校となり、更に近時町村合併により、三日月小学校と改名し三方里山の中腹に移転新築して今日に至った。
 今般各方面の熱意により旧広業館の建物の一部を当地列祖神社の境内に移し永くその史蹟と伝統を保存することとなった。
 この記念館の建設により、三日月町の文化の興隆と体育の進行に大いに貢献することを祈念して止まない。 以上 昭和55年4月 竹田直撰(文:現地案内板より)(2023年5月18日撮影)

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令和5年度「津山芸術文化祭」

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 令和5年度「津山芸術文化祭」が、津山文化センターで2023年6月24日・25日の両日に開催されました。絵画・文芸・華道などの団体が一堂に会して作品を展示。25日は、音楽・踊り・朗読・和太鼓など多彩なジャンルで彩るステージ、リハーサル室では、童謡ひろば~うたわらべによる歌のパフォーマンスなどがありました。また、津山文化センター駐車場では、キッチンカーが出店し、コーヒーやポン菓子、ハンバーガーなどが販売されていました。

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小原上大師堂(加茂郷88カ所霊場第33番札所)

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津山市加茂町知和小原上にあり、本尊は薬師如来だそうです。千磐神社の前の県道(津山智頭八東線)と旧道の間の狭い道沿いの民家の隣で、土壁、トタン葺の加茂郷88カ所霊場第33番札所です。
加茂にお住いの木元林造さんに案内して頂かないと分かりませんでした。(2022年10月4日取材)

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牧野博士のふるさと土佐を訪ねて

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 2023年5月27日「第40回 津山洋学資料館友の会研修バス旅行 牧野博士のふるさと土佐を訪ねて」の研修旅行に参加してまいりました。朝ドラ『らんまん』で毎日拝見していますが、牧野博士の愛した植物や実像に触れてみたいと参加したのですが、バスの中で津山洋学資料館児島館長の予習があり、牧野博士と津山の宇田川家、箕作家とのつながりや、なんと博士には13人(6人早世)の子どもがいた等が知れたり、大変興味深いお話でした。また、牧野博士は94歳と長寿だったのですが、すき焼き、トマト、コーヒー(珈琲)がお好きだったらしい。


☆牧野富太郎が逝去した翌年の昭和33年(1958)に開園、平成11年(1999)に園地を拡張、記念館を新設しリニューアル。彼を育んだ高知県の植物を中心に、ゆかりの植物など3,000種が四季を彩り、年間を通じて多彩なイベントを開催しています。
☆彼が収集した蔵書や植物画、遺品などは、没後に牧野家から譲られ、牧野文庫として記念館の展示のみならず植物學の調査研究に活用されています、中には、宇田川榕菴「植学啓原」を16歳の時に自ら写したものもあり、注目すべき資料です。(文:津山洋学資料館友の会研修バス旅行案内より)
 

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森家ゆかりの乃井野陣屋藩主庭園と列租神社

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 列租(れっそ)神社の左奥に見える立石群は庭園跡で、乃井野陣屋のもとと考えられ、江戸時代の絵図に、この場所が「ツキ山(築山)」と記されているのが庭園に相当するようです。
 庭園の中心には、高さ3mと1.3mの立石(守護石)を据え、枯滝に見立て、周りに築山と配石を据える「築山式枯山水庭園」で、武家好みの庭園と言えます。その様式から作庭年代は森家が陣屋を構えて間もない18世紀前期と考えられます。
 もとは書院に面する庭園であったと思われ、歴代藩主や賓客が眺めたことでしょう。
 列租(れっそ)神社は森家の租、美濃国金山城主森可成(よしなり)、津山藩租森忠政(ただまさ)、三日月藩租森長俊(ながとし)の三霊を祀る神社で、江戸時代は武蔵国目黒行人坂(現・東京都目黒区)にあった三日月藩邸に祀られていました。明治維新後、明治3年に当地に社殿創立、明治14年には拝殿、幣殿などの建物が建設されました。
 地元ではこの社を列租さんと呼び、旧藩士で結成された祖霊社保存会では4月9日を祭日として祭られています。(分:現地案内板より転載)(2023年5月18日・20日)

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宮本武蔵初決闘の地と金倉の六地蔵

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 武蔵は天正12年(1584)、父・平田無仁斎(むにさい)、母・於政(おまさ)の間に生まれたが、間もなく生母と死別、無仁斎は利神(りかん)城主・別所林治(しげはる)の娘、率子(よしこ)を後妻に迎える。この義母に育てられた武蔵は、7才の時父と死別、母率子は平福に帰り田住政久(たずみまさひさ)の後妻となる。幼少の武蔵は、母恋しさのあまり、しばしば義母の居る平福を訪ねる。9才のころ正蓮庵(しょうれんあん)の僧・道林坊(どうりんぼう)にあずけられ、その訓育を受ける。道林坊の弟・長九郎(ちょうくろう)により剣を習うや、その力は著しく伸長する。武蔵13才の時、運命的な初決闘が、ここ平福の町外れ金倉橋(かなくらばし)のたもとで行われる。新当流(しんとうりゅう)の達人、有馬喜兵衛(ありまきへい)なる兵法者の、決闘を誘う挑発的な高札(こうさつ)に応じ、木刀で対峙(たいじ)するや、一刀のもとに喜兵衛を打ち倒し、いずこともなく旅立っていくこととなる。出奔(しゅっぽん)の一説には、佐用群一の古社、佐用都比賣(さよつひめ)神社に参籠、武運を祈願の後、諸国修行に旅立ったとされる。爾来(じらい)、生涯60数回に及ぶ決闘に、不敗の剣豪として名を成していくことになる。

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