志呂神社(建部町下神目)

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志呂神社(しろじんじゃ)は、美作国が備前国から分国した和銅6年(713)に弓削庄27ヵ村(現在の建部町、久米南町)の総氏神として祭られたと伝えられています。古くは神主他20名余りが奉仕し、社領70石を有していました。又、神宮寺(じんぐうじ)もあったと伝えられます。本殿は中山造より発展した3間4面(実尺は4間×4間)の総欅造の出向拝を備えた入母屋造妻入です。また、旧県社で祭神に事代主命(ことしろぬしのみこと)を祭っており、各所に彫物を配した近世末期(嘉永元年1848再建)の優れた神社建築です。環境省・岡山県(文:現地案内より)(2023年2月8日撮影)

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 三樹山(みきやま)は、鎮守の森としてこれまでほとんど人手が加えられることなく、自然の推移にゆだねられてきました。このため、シイノキ、ヤブツバキ。シリブカガシなど、原始的な植生型に近い常緑広葉樹が育っており、郷土の自然を知るうえで貴重なところです。このような常緑広葉樹林では、四季を通じて厚い葉っぱに被われており、林外とくらべて気温の変化や湿度の変化が少なく、冬の寒さをきらう南方系と夏の暑さに弱い北方系の動植物が同居するめずらしいところです。(昭和51年、県指定郷土自然保護地域)環境省・岡山県

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建部町指定無形民俗文化財「志呂神社の棒遣い」
 志呂神社の棒遣いは、秋祭りで奉納される宮棒と称せられるお祓いの神事であり、災難を打ち払い悪魔・悪霊を退散せしめ無事安泰を願う祈りであり、呪術である。
 棒の型は、「しんかた」「やまゆき」「こいのみずいれ」等があるが、垪和郷に興った武道竹内流棒術の所作もちり入れるなど伝承過程の中でさらに工夫が加えられきたと推測される。
 演者は草鞋に手甲と動き易い装束で、胸当には社紋を印して御神威を示し、鬼面・天狗面は人間を超えた強さを表し、六尺の欅の棒を戛然とうち交わして魑魅魍魎を払い清めるという。
 この棒遣いは、昭和55年保存会を結成、神楽(獅子舞)とともに後継者の育成・保護・伝承に努めている。建部町教育委員会
保存:下神目神楽棒遣い保存会、指定年月日:昭和43年7月10日

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氏子会館が奥に見える              休憩所

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休憩所内

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祖霊の塔                    志呂神社

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志呂神社境内図                 拝殿

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 建部町教育委員会建部町指定有形文化財「志呂神社文書」は、正安4年(1302)に作成された「志呂宮御祭頭文次第」を文安3年(1446)に書写したものと享保12年(1727)に再度書写されたものです。しかし、正安4年の巻物が現在所在不明、また、文安3年書写分も頭初部を若干欠いて完全ではなく、幸いにして享保12年に志呂宮神官宮内盛次が原本をそのまま書写しています。さらに、元禄4年(1691)に編纂の「作陽誌」に全文が掲載されていますので、原本そのものではないが完全な姿を復元しています。
 内容は、志呂宮の春秋二度の大祭に御供米(段米)の奉納の形態(宮座)が記されており、正安4年から昭和15年まで630余年続いた資料として、鎌倉後期の最も古い宮座資料の一つです。巻物以外の資料(昭和15年に志呂宮境内に建立された「頭文祭碑」原文)によれば、近代の地区総代会をもって祭祀が行われ、名主座による宮座が終焉となっています。当時の在地事情を知ることのできる国内でも貴重なものです。建部町教育委員会
保存:志呂神社、指定年月日:平成18年11月29日


岡山県指定重要無形民俗文化財「志呂神社御供(ごくう)」
 通称「京尾御供」と呼ばれ、ここ志呂神社の秋祭り(10月20日)に、久米南町京尾の氏子から供えられる神饌行事である。
 だんごでつくった「フト」と称する女陰を形どったもの三個と、男根を象徴した「マガリ」一個、餅でつくった「丁銀」三個、それに米飯一盛、柚子一個、箸一膳、榊葉若干を三方に盛った七膳の熟饌が調整され、御幣を建てた唐櫃にいれて御供所に運ばれ、紋付袴に榊葉を口にした七人の頭人によって供饌される。
 その製法と形態は、今も厳重なしきたりで行われており、往古の暮らしや物の考え方がうかがわれる貴重な民族文化財である。建部町教育委員会
保存:志呂神社御供保存会 指定年月日:昭和32年5月21日

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拝殿                      本殿

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各所に彫物を配した近世末期(嘉永元年1848再建)の優れた神社建築です。

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本殿の見事な彫り物です。

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近世末期(嘉永元年1848再建)の優れた神社建築です。

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本殿は中山造より発展した3間4面(実尺は4間×4間)の総欅造の出向拝を備えた入母屋造妻入です。

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本殿の彫り物です。

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天満宮                     伊都伎神社