救護施設 ニュー三楽園のバラ

社会福祉法人 江原恵明会 救護施設 ニュー三楽園
バラはとても難しくて、病害虫に弱いので、4日に一度くらい消毒をなさっているそうです。それでも失敗することも多いとか。今年は見事なバラが咲いていましたよ。つるバラも大きくなってバージョンアップしていました。
ここのバラは園生さんの作業療法の一つとして、栽培されているそうです。
「どうぞ、散歩がてらにお立ち寄りください。気が向いたら園生さんが育てたポット苗などを買っていただいたら幸いです」とのことでした。
バラはとても難しくて、病害虫に弱いので、4日に一度くらい消毒をなさっているそうです。それでも失敗することも多いとか。今年は見事なバラが咲いていましたよ。つるバラも大きくなってバージョンアップしていました。
ここのバラは園生さんの作業療法の一つとして、栽培されているそうです。
「どうぞ、散歩がてらにお立ち寄りください。気が向いたら園生さんが育てたポット苗などを買っていただいたら幸いです」とのことでした。
平賀元義(ひらがもとよし)(1800~1865)という人
幕末に万葉調の歌人として活躍した国学者で、正岡子規や斉藤茂吉等に影響を与えた人で個性的な書風を持つ歌人としても知られる。
1800年(寛政12)に岡山藩士平尾長春の子として生まれ、岡山城下富田町で育った。
1832年(天保3)脱藩し、平賀左衛門大郎源元義と名乗って、備前、備中、美作などを放浪し、多くの万葉調の歌を作った。奔放純情で奇行が多かった、と伝えられる。
生涯不遇の人で、学才を認められた矢先、路傍で卒中のため急死した。
平賀元義という人は作州を中心に旅を重ねた人で、弟子にこよなく愛された人である。
◎エピソード
・仏教が大嫌いな人で、仏教信者と袖が触れただけでも禊(みそぎ)を繰り返したという。
・武士の魂を持ちつつ、弟子の家を渡り歩いていた歌人。
(門人の家では塩とチリシを使い放題使ったので門人の奥さんから嫌われていると悟ったら、また次の門人を探して宿にしたが、門人からこよなく愛された人。
・使い古した着物を着ていた。
200年前の江戸の眺望に、現代の東京が重なります。(2012.3.14)
江戸一目図は、隅田川のやや東寄りの上空から眺めた、江戸の眺望と考えられています。そして、いま、まさにその場所にスカイツリーが建設されました。もし、江戸時代にスカイツリーがあったなら、鍬形蕙斎(くわがたけいさい)には、この江戸一目図の眺望が、現実のものとして見えていた筈です。
平成24年5月に開業するスカイツリーの展望台からは、江戸一目図の複製展示によって、江戸の眺望と現代の東京を見比べることができます。(資料提供:津山郷土博物館)
津山藩松平家の御抱え絵師鍬形蕙斎が文化六年(1809)に描いた江戸の景観図「江戸一目図屏風」は、東京スカイツリーの2012年5月の開業に実物大の複製パネルが地上350メートルの展望台に設置されます。津山郷土博物館所蔵の紙本墨画淡彩江戸一目図屏風、岡山県指定重要文化財、3階展示室に展示
2012年5月13日に津山市神戸(じんご)にある作楽神社の外堀で咲くカキツバタの花が周囲の緑に映えてとっても綺麗でした。そういえば年々増えてきていますね。ここのカキツバタは、住民有志のみなさんがお手入れをされていて、現在約2000株にもなっているそうです。12日~20日午前10時~午後1時にお茶の接待があるそうです。(過去の取材はこちらをご覧ください。)(さくら)
2012.4.21
田熊 山頂に位置し祀られている愛宕神社
広野小学校下の小村池を、東に沿って、田熊上土居方面へ至る坂道をあがると、北側の山頂にある位置に愛宕神社が祀られている。丘陵性の山地のため、軽四自動車ならば、坂道を上りきった所からか上土居西山集落の墓地のあたりから、愛宕神社周辺へ行き着くことができる。
この辺りは、付近で一番高い山のため、樹木のない南面の展望がよく効く所であり、まことに愛宕の神を祀るにふさわしい場所と言える。福井の新宮山にも、同じく山頂部に小祠の愛宕様が祀られているが、こうした場所の限定は、愛宕の神の特性を考えてのうえと思われる。
愛宕の神は言うまでもなく、京都市嵯峨の愛宕神社から勧請されたものである。京の愛宕神社は、もともとは、山城と丹羽との国境にあたる鷹峰の地に鎮座し、塞の神としての性格を備えていたといわれている。平安遷都後、比叡山に相対してそびえる愛宕山で祀られた。
火の神の迦遇槌神(火産霊神)を祭神としていることから、鎮火火災の神、つまり都を火災から守る神として信仰され、ついには王城鎮護の神となって祀られた。やがて、多くの修験者たちが山籠りするようになると、愛宕山伏は諸国を遊行し、火伏せの神としての愛宕信仰を広めた。そして、村々の小高い丘を見つけては、そこに分社分霊を勧請してまわった。事例として、NHKの場合、東京港区の愛宕山にあり、その丘の上には愛宕神社が鎮座している。(文:広野の歴史散歩:宮澤靖彦 編著より)
1F展示室 企画展 「シリエトク(大地の涯て)-世界自然遺産・知床-」末澤雅彦写真展
前期=3月31日(土)~4月27日(金)、後期=4月28日(土)~5月27日(日)
ギャラリートーク:前期=4月22日(日)、後期=4月29日(日) ともに14:00~15:00
入場料:500円(2F企画展もご覧になれます。)
末沢さんは北海道旭川生まれのプロカメラマン。1995年より北海道の道東の自然に魅せられて写真を撮り始めます。1998年には動物写真家の故・星野道夫氏と共に北海道内で作品を撮影。1999年には初個展「DREAM NATURE」を開催。以後、各地にて個展を開催しています。
2006年より津山市に移り、現在は、和牛とポニーを飼育し耕作放棄地再生と自然循環農法に取り組みながら、岡山県内の自然を撮影しています。
1996年~2001年まで「山と渓谷社 ネイチャーフォトコンテスト年間賞(各賞)」を毎年受賞。2006年には「よみうり写真大賞」を受賞。
今回の写真展では、世界自然遺産・知床に広がる大自然の風景や生命の輝き、四季のうつりかわりを楽しんでください。文:棟方志功・柳井道弘記念館(M&Y記念館)
津山城鉄砲隊は、「開運!なんでも鑑定団」でもおなじみの澤田平先生のご指導により設立されました。
澤田平先生は稲富流砲術の伝承者として、全国に約50ある鉄砲隊のうち、半数以上の設立、指導、訓練を行なってきている第一人者です。
津山城鉄砲隊は、澤田先生ご指導の下、これまで四国川之江や奈良の柳生の里で練習を積み、4月15日「津山さくらまつり」でデビューしました。お披露目に際しては、澤田平先生率いる大阪城鉄砲隊のメンバーも応援に駆けつけ、津山城鉄砲隊とともに演舞を行ないました。(津山城鉄砲隊は、城下町津山の歴史や文化を多くの人市民に知ってもらい、武家屋敷の保存や出雲街道の町並保存整備等につなげてゆくための活動組織として結成されました。)
鉄砲町には今も鉄砲同心屋敷が現存しており、市民にその存在と保存活動を理解してもらうために、江戸時代の鉄砲同心、子孫が発起人となり、津山で初めての鉄砲隊の結成となったものです。(2012年4月15日)
2012年4月13日の津山のさくら
旧津山扇形機関車庫に津山街なみ展示室が完成し、4月7日から一般公開されました。津山街なみ展示室の中には、扇形機関車庫を実物の150分の1にしたジオラマが展示され、Nゲージの鉄道模型が6通りのプログラムで走行。車両も10車両が走っていて鉄道ファンや子供達にも楽しめそうです。これから半年毎にプログラムを入れ替えながらバージョンアップするそうです。(鉄道模型専門店トレビック模型さん提供)
「みまさかローカル鉄道観光実行委員会」とJR西日本は、土・日を中心に47日間、車庫を一般公開、展示室もこの時に見学できます。無料(要予約)※お問合せはJR西日本岡山支社の見学係(Tel.086-225-1179)
「旧津山扇形機関車庫と懐かしの鉄道展示室」について詳しくはこちら(2012年スケジュール)