取材記事内検索

取材記事内を検索ワード「花」で検索した結果,1345件の記事が見つかりました。

別格本山 大聖寺(あじさい寺)(美作市大聖寺)

dai8.jpg

本坊「勅使の間」

現在の本堂不動院、本坊客殿などは、津山城主、森忠政公(森蘭丸の弟)により慶長9年(1604年)に城主祈願所として再建されました。

「雁の間」は、小説「宮本武蔵」執筆にあたり吉川英治氏が、昭和5年から翌年にかけ逗留をくりかえした客殿庫裏にあります。(大聖寺の詳しい取材はこちらから)

別格本山 大聖寺(あじさい寺)(美作市大聖寺)の続きを読む

津山の私設美術館・その他のおススメ(お寺・博物館・資料館)

美.jpg

美術の秋を迎えましたが、津山にはまだまだ素晴らしい美術があるのを私たちは案外知らないのかもしれませんね。一般に公開されているものは数少ないのですが、私設美術館など今まで取材したものを少しまとめておりますのでご覧くださいね。それから、資料館・近隣の美術館なども併せてご紹介。(営業日時や場所は各HPなどでご確認ください。)

津山の私設美術館・その他のおススメ(お寺・博物館・資料館)の続きを読む

森藩政下に移転 山上がりした真言宗の髙福寺

koufukuji22.jpg

林田 清應山髙福寺のたたずまい 津山市街東部 野介代の丘陵山麓に清應山髙福寺が所在している。
津山東部では数少ない真言宗の寺院であり、津山市林田667に位置し、町内会は林田山根分に所属している。寺を象徴する大屋根の庫裡、客殿、大師堂や安永年間建立の本堂を始め、鐘楼堂、薬師堂、境内墓地、さらには裏山に四国八十八箇所巡りのミニ霊場を設けるなど、真言宗の必要な設備を全て備えた寺院らしい境内である。

森藩政下に移転 山上がりした真言宗の髙福寺の続きを読む

山田組の荒神様(津山市野介代)

koujin6.jpg

○荒神信仰の盛んな作州
 民俗学者直江広治氏の研究によると、荒神信仰は全国的に盛んであるが、屋敷神・株内の同族神・部落神・産土神に関わる屋敷外の地荒神は、東は千葉県、西は宮崎県の範囲までであり、その中心は中国地方でとくに岡山県と島根県が最も盛んな地域とされています。岡山県下では、県南より北部の方が盛んであり、江戸時代に修験者の活躍が盛んであった作州こそ、まさに荒神信仰の本場ではないかと考えられます。
 江戸時代、作州で一番多い宮は荒神様であったといわれています。当美作町では、どれほどあったのでしょうか。幸いにして江戸時代半ばの天明4年(1784年)岩見田の百姓赤堀氏の手になる「奉勧請国中惣神宮」の貴重な記録があります。それを整理してみると、荒神様は町行域の42大字(旧村)で合計して129という多きに達しているのであります。(文:作州民間信仰代表 荒神様とそのお祀り 宮澤靖彦) (2014年4月12日取材)

山田組の荒神様(津山市野介代)の続きを読む

バンブーミュージックフェスタが古民家「倭文の郷」でありました。

sitori14.jpg
2014年9月14日(日) 今!田舎が面白いっ!
 津山市戸脇に在る古民家「倭文の郷」で、音楽LIVEに、食に!地元の新鮮野菜!竹林散歩!縁側でのんびり日向ぼっこ!秋の一日をのんびり楽しもう!と題してバンブーミュージックフェスタがありました。日中は暑く、夜は少し肌寒い中でしたが、音楽あり、自然いっぱいの中でゆったりとした一日を過ごしました。

バンブーミュージックフェスタが古民家「倭文の郷」でありました。の続きを読む

「街道祭 ART IN SHOO 2014」行って来ました。

kaidou2014_21.jpg

「街道祭 ART IN SHOO 2014」 石畳がいいですね。

かつて出雲街道の宿場町として栄えた勝間田宿を会場に、芸術やグルメなどの多彩なイベントが開催されました。(街道を活用したアートや、手づくり作品の販売、ワークショップなど幅広い年代が楽しめる歴史とアートが融合したイベントです。)
開催日:2014年9月13日(土)14日(日) 10:00~15:00(※14日(日)は街道を歩行者天国)

「街道祭 ART IN SHOO 2014」行って来ました。の続きを読む

街道筋に祀る昔ながらの塞の神(津山市玉琳)

gyoku2.jpg

津山市玉琳 文久2年(1862)の地図に道祖神と道路の南側にある。
村境や道路の辻、橋畔、峠などに碑石や祠として祀り、外部から侵入しようとする邪悪な霊や疫病などを遮ったり防ぐ神として信仰された。旅行の安全の神でもあった。
(取材2014.6.15)

街道筋に祀る昔ながらの塞の神(津山市玉琳)の続きを読む

山根稲荷(津山市林田山根)

山根稲荷鳥居.jpg

妙見稲荷は、御崎大明神をお祀りしてあり、林田山根にあります。(2014年6月27日取材)

稲荷は、もともとは農耕の神として信仰されました。人びとは、古くから春に田の神が山から下りてくることを迎え、その年の豊作を祈り、秋、無事収穫を終えるとまた山にお帰りになられ、人々は初穂を捧げて神に感謝した。
また、人々は田の神と一緒に、捧げた初穂(お米)を食べることによって、稲魂を自らの体内に宿し、力を得ることができると考えた。

山根稲荷(津山市林田山根)の続きを読む