苫田ダムと苫田鞍部ダム
2016年6月18日に鏡野方面に行き苫田ダムを含む周辺をドライブしてきました。苫田ダムは、洪水調節、流水機能維持、かんがい用水、上水道用水、工業用水、発電を行うための多目的ダムです。(長さ225m、高さ74m)苫田ダム管理所ではダム展示室やダム内部の見学室に毎日自由に(8:30~17:00)入る事ができます。普段は入れないダムの一番奥まで見る事が出来るツアーや見学会の申し込みも出来るそうです。また、苫田鞍部ダムもあることを知りました。
2016年6月18日に鏡野方面に行き苫田ダムを含む周辺をドライブしてきました。苫田ダムは、洪水調節、流水機能維持、かんがい用水、上水道用水、工業用水、発電を行うための多目的ダムです。(長さ225m、高さ74m)苫田ダム管理所ではダム展示室やダム内部の見学室に毎日自由に(8:30~17:00)入る事ができます。普段は入れないダムの一番奥まで見る事が出来るツアーや見学会の申し込みも出来るそうです。また、苫田鞍部ダムもあることを知りました。
曇り空なのに、明るく光っている紅葉に魅せられて山下の「音の広場」に立ち寄ってみました。石碑によると、「音の広場」は平成元年2月11日に市制施行60周年記念に作られたようですね。
※「音の広場」というと津山国際総合音楽祭を思い出しますが、この津山国際総合音楽祭は、〈未来に架ける人の輪・音の輪〉を大きなテーマに、音楽を介した人と人、プロフェッショナルとアマチュア、クラシックと現代音楽、そして地域と地域、地方と中央、日本と世界の相互交流を培う音楽都市を目指して、3年に一度開催されていて来年が第10回目となります。(2016年11月4日・9日撮影)
今年(2016年)も津山地域のお祭りも最終になり、11月3日は阿波八幡神社の花祭り(岡山県の無形民俗文化財)、新野まつり(岡山県重要無形民俗文化財)、中山神社の秋祭り(本殿は国指定重要文化財)、田熊八幡宮の秋祭り(回り舞台が国の重要民俗文化財)とあります。
一昨年(2014年1月5日)に取材した田熊八幡宮を再度組んでみました。また、2015年11月1日(日)には、国指定重要有形民俗文化財「田熊回り舞台」の国指定40周年を記念した芸能・文化発表会が開催されました。(※2011年の特集)
県道久米中央線を領家から南進し、峠の手前を東に入った神代の小高い畑の上に堂々と立っている。
スダジイは照葉樹林を代表とする樹種の一つである。
本樹は、根元は一本であるが根元近くから双幹に分かれ、さらに上部で複数に枝分かれし、特異な型をしている。根元に若宮神社が祀られている。2016年10月10日撮影(文:津山の名木百選より)
神庭の滝自然公園(動画はこちらから)
神庭の滝は「日本の滝百選」にも選ばれた、高さ110m、幅20mの中国地方随一のスケールを誇る名瀑。断崖絶壁を流れ落ちる滝の豪快さはいうまでもなく、まるで白布をまとったようにも見える水しぶきは霊験さを感じさせてくれます。滝の中央には黒い岩が突起し、落下する水しぶきに逆らってのぼる鯉に似ていることから「鯉岩」と呼ばれています。
下流には、草葺き屋根から雨のしずくが落ちる姿に似ている「玉垂れの滝」や石灰岩が浸食されてできた「鬼の穴」と呼ばれる洞窟もあります。
これらを含む周辺は、国指定の名勝、県立自然公園に指定されており、広大な渓谷内には種々の樹木が繁り、四季を通じて美しい景観を楽しむことができます。(カエデやカツラなどの紅葉が織りなす秋の風景は秀逸です。) (文:神庭の滝自然公園パンフレットより)
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頼久寺由来
天柱山安国頼久禅寺は、臨済宗永源寺派に属し、その草創は不詳であるが、暦応2年(北朝年号1339年)足利尊氏が再興して備中の安国寺と号した。当時、中国より帰朝して備中備後路を巡錫中の寂室元光禅師(正燈国師)を迎請して、開山第一祖とした。後に永正年間(1504年)松山城主上野頼久公が大檀越となり寺観を一新し大永元年逝去したので、頼久の二字を加えて安国頼久寺と寺号を改称した。 尚、当山御本尊は、聖観世音菩薩で備中西国第五番の札所であり、昭和60年3月に開創された瀬戸内観音霊場第十三番の札所である。(2016年4月23日取材)
自眼流居合の使い手にして歌人
茅野和助常成
志深浅働次47士中43番目
・町医者に扮して、吉良邸付近を探索。
・赤穂浅野家に四年間仕えただけにもかかわらず、討入りに加わった。
・槍は浅野家屈指の使い手で、自眼流居合を得意とした。
・歌道で秀で、秀峰と号した。
生年・生国 寛文7年(1667)・美作国
役 職 横目
行 年 37歳(元禄16年2月4日、切腹)
祖父・父ともに津山森家に仕えていた。常成は最初から義盟に加わり、吉良邸探索に力を尽くした。泉岳寺修業僧白明の依頼により和歌一首、俳句一句を書いた。
脱藩藩士を厳しく批判した「赤城盟伝」を著した赤穂藩随一の酒豪
神崎与五郎則休(1666~1703)
志深浅働次47士中37番目
・酒好きで、ついたあだ名が「燗酒よかろう」(講談)
・短歌を詠み、俳句を作り、江農舎竹平と号す。
・「赤城盟伝」を前原伊助と共に記した。
・吉良邸近くに、前原と共に米屋を開き、探索にあたる。
生年・生国 寛文6年(1666)・美作国
役 職 徒目付、郡目付
行 年 38歳(元禄16年2月4日、切腹)
もと津山森家の家来だった。文武両道に秀でていただけでなく、俳句が得意でいくつか残されている。扇子や小物を売り歩いて吉良邸を探索した。前原宗房とともに「赤城盟伝」を著した。
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はじめに断っておきますが、私(瓦版スタッフT)はこれまで全く鉄道に興味はありませんでした。ですので、決して、マニアによるマニアのための記事 ではありません。鉄道に興味のなかったTにここまでの記事を書かせるだけの魅力がここにはあります。皆さんも歴史・鉄道浪漫に浸ってみてください。
なお、機関車庫は時々行われる見学会の時以外は立ち入ることはできません。駅の方の迷惑になるので、決して勝手に入らないようにしてください。平成 20年5月3〜6日、9〜11日、24〜25日の「懐かしの鉄道展示室」でも見学できますので、興味のあるかたはぜひ申し込んでみてください。(詳しくはJR西日本のページへ)
最新の情報は JR西日本岡山支社営業課(086-225-1179)までご確認下さい。
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津山扇形機関車庫 ●2007年秋からは、キハ58、キハ28の2両のディーゼルカー(みまさかスローライフ列車)が加わる。 |
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