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取材記事内を検索ワード「神社」で検索した結果,765件の記事が見つかりました。

間山神社(勝央町)

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間山神社(はしたやま) 旧名 山王宮 間山字そでもぎ
祭神は大山咋命。
沿革:一條天皇の御代(987)、書写山の性空上人によって創建と伝えられる。三星城合戦時高福寺とともに焼失するも、御神体は類焼をまぬがれたといわれる、その後再建され軒札多数が現存している。なお元禄15年(1702)上相村庄屋半兵衛は次のごとく記している。
「上相八幡、中尾大明神、間山山王宮の三社のうち、山王宮は小中志女大夫の講中であったが、近年黒土西山善大夫の講中となる、先年より惣社山王宮、八幡宮は間山孫兵衛が神役を仕り・・・」
氏子は曽井の一部とまやあ居住計15軒
元禄七年 神主 西山佐進、藤原明永書之
軒札 奉建さくしゅう湘南軍トヨクニこれ床間山山王宮一宇成就
九月吉日 村中十二氏子息災延命牛馬事ヲ守処
(文:『勝央町史』より転載)(2013年12月23日撮影)

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天台宗 鳥羽山 萬福寺(勝央町)

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鳥羽山萬福寺 天台宗 植月北鳥羽野
 境内に観音堂(慶長3年観音寺住職円慶中輿)、大日堂(宇堂の上)、地蔵堂、阿弥陀堂、弁財天祠、薬師堂があった。明治22年11月出火し、今は寺は無く観音堂、大日堂その他が再建されている。
萬福寺縁起古文に、往古役行者小角が回国途中霊験によりこの地に弁財天を鎮座せしとされ、また観世音菩薩の由来は、京都鳥羽に置いて行基が菩薩六尊を新造中に、美作のこの地に飛行し立座した霊夢を、聖武帝と行基が同時に御告があった・・神亀3年(726)創建したと記録され、また再度の火災により大破のみぎり、京都鳥家の長者霊夢を見て、この地に下り再興した。森候の祈願所でもあり、馬継所の桜の馬場の伝承もある。
 観音堂・・・美作三十三観音霊場六番札所、本尊は聖観音立像(148㌢)行基作、足裏に義経と記され、源義経の守り本尊として伝承される。
萬福寺は元亀元年(1570)慈眼大師により再興されたが、寛文の頃に無住となり観音堂の兼務となった、大日堂の見正院に坊籍を許可でず、宇堂は荒廃し、火災でついに廃寺となる。(文:『勝央町誌』より転載)(2021年3月15日・2020年9月10日・2012年9月3日撮影)

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日吉神社(勝央町)

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社説 旧郷社 日吉神社
 本社創立の年代は不詳、社伝並びに古老の口碑によれば天平9年11月、従五位下美作守阿部帯磨より受継ぎをなせる、美作守大伴兄磨が、近江國阪本鎮座の日吉神社より天平10年4月、分霊を奉祀し、翌11年3月7日、御遷座勅許を得て荒田七反歩を寄せ、植月郷総鎮守となしたりとも、或は、内田菅磨、が近江國日吉神社を、旧社地植月中河内山王谷に奉祀し、永正9年、宮山城主植月彦次郎この地に遷し奉ると云う。
平成6年3月本殿・幣殿・拝殿共に著しく老朽せしを、平成の御大典記念として改築なせるものなり
祭神 大山咋命・大巳貴命・豊受大神・味須岐高彦根命・少彦名命・猿田彦命
境内社 稲荷神社・厳島神社(文:現地案内板より)(2020年9月10日撮影)

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真賀温泉(真庭市)

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 2021年2月28日に真賀温泉に何度か来ている友人に案内を頼んで出かけてきました。
旭川沿い国道313号から階段を少し上がった所にある風情のある木造共同浴場です。付近の温泉宿の湯元となっており、天然の岩風呂がある湯治場として古くから知られています。天然の岩風呂がある湯治場として古くから知られています
「この浴槽はとにかく狭く、日本一狭い混浴浴槽」と言われているそうです。
山田方谷などの偉人達も療養に訪れている。竹筒から新湯が湧き出て注がれています。38度のぬるすべの湯に浸かると、なかなか湯船から出ることができなくなります。岩盤に直接穴を空け、差し込んだ竹筒から流れ出る温泉は、風情満点です。療養温泉としても有名で全国療養温泉番付(昭和55年発行暁教育図書(株))では、西の前頭3枚目にランクされています。

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2021白加美神社参道のさくらライトアップ

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2021年4月2日の白加美神社の夜桜ライトアップの様子です。
 市内でいち早く夜桜のライトアップをしたのは小田中にある白加美神社の参道のさくらです。毎年、奇麗に咲いてくれる桜の木も老木ですが今年も沢山のさくらの花を咲かせてくれました。
 この神社は約1220年前、人皇第44代元正天皇(奈良時代)の御宇当国戸川の宿の北に現在地美しい五色の虹が輝き渡った。苫田縣主通憲が驚いて里人にその所を掘らしたところ数尺も掘らないうちに神代の霊物と思われる、とても美しい璽(たま)が出た。その時忽然としてひとりの老翁が現われ告げるには我はこの月輪田原に居る神である。・・・(続きは、ここで

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方谷記念館(新見市大佐)

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山田方谷(1805~1877)は、明治3(1870)年、長瀬(高梁市中井町)から亡き母のふるさとである小阪部(新見市大佐)へ住居を移し、小阪部塾を開きました。新しい時代の教育に情熱を捧げるとともに、祖父母の墓を守ったのです。
小阪部での暮らしは、幕末の動乱の時代とは違い、穏やかなものであったようです。その生活の中で目に映る景色や自分の気持ちを詠んでいます。明治10年6月26日、73歳を一期として、小阪部塾で家族らに見守られ静かに永眠しました。
ここ新見市大佐は、山田方谷先生終焉の地であります。(文:現地記念碑より)

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臥牛亭(がぎゅうてい)高梁市指定重要文化財

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 桁行2間、梁間1間半の切妻造、桟瓦葺の平屋です。一方の妻側に半間の庇(ひさし)を設けて戸口とし、他の三方は窓を大きくとって明り障子を立てまわす開放的なつくりとなっています。
 臥牛亭は、江戸幕府14代将軍徳川家茂(いえもち)・15代将軍慶喜(よしのぶ)の2代の将軍に信頼され、2度にわたって老中を勤めた、藩主板倉勝静(かつきよ)が農民の苦労をしのぶため、御根小屋(藩庁)の一郭に農園を設け、明農圃と名付け自ら農耕をしたと言われています。さらにその一隅に小亭(12.4㎡)を建て、農耕の神々を祀り五穀の豊穣を祈りました。
 明治6年(1873)に御根小屋の全建物と共に撤去されましたが、山田方谷はこれを惜しみ、対岸の蓮華寺境内へ、その後八重籬(やえがき)神社に移築され、臥牛亭あるいは明農亭として現在に至っています。平成22年に保存修理を実施しました。
昭和33年2月24日指定 高梁市教育委員会(文:現地案内板より)

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大津神社(真庭市)

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 由緒
 当社は正平4年11月8日に信州戸隠神社から御分霊を奉祀したと伝えられているが、氏神としての奉祀ではなく、何等かの信仰霊験によって勧請されたものであろう。古来から大津大明神と称し、開運、農業、商工業、諸芸能上達、結婚、病気、一家和合等諸方面に霊験あらたかであり、福運を授ける神として、全国に崇敬者をもっている。(文:岡山県神社庁HPより)(2020年8月9日撮影)

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福力荒神社大祭(福力)

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 2021年2月13日に、まむし除けと安産の神様として知られる福力荒神社の大祭に行ってきました。
今年は、新型コロナウイルス感染拡大予防のため、神事のみとなり、また参拝前に手を消毒してお参りということになりました。この福力荒神社大祭は、旧暦1月1日~3日の大祭(2021年は2月12日~14日)に参詣すれば、家族全員が1年間まむしの被害に遭わないといわれています。期間中は参道に多くの屋台が立ち並びます。

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大佐神社(新見市大佐)

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方谷の母の生家のすぐ近くにあり、4歳の時の板額「つる」が奉納されている。(記念館で展示中)

 大佐神社は6,805㎡の広大な社叢に囲まれて鎮座している。本殿は大同3年(808)に造営され、江戸末期に再建されたものである。
 社屋は本殿拝殿の二棟で、本殿は三方千鳥破風造りで、蟇股内に十二支を彫刻し、色鮮やかな鶴を配した手のこんだ彫刻は参拝者の目を楽しませる。
 広大な社叢は県下でも屈指のものであり、鳥居から拝殿へ通じる参道200mには巨木杉並木が300本を数え、100有余本は樹齢数百年で、昼なお暗い参道は、まさに神秘的な静寂さを漂わせている。
大佐町指定重要文化財:大佐神社(本殿・社叢)/指定:昭和39年8月30日(大佐町教育委員会)

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