大津神社(真庭市)

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 由緒
 当社は正平4年11月8日に信州戸隠神社から御分霊を奉祀したと伝えられているが、氏神としての奉祀ではなく、何等かの信仰霊験によって勧請されたものであろう。古来から大津大明神と称し、開運、農業、商工業、諸芸能上達、結婚、病気、一家和合等諸方面に霊験あらたかであり、福運を授ける神として、全国に崇敬者をもっている。(文:岡山県神社庁HPより)(2020年8月9日撮影)

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神社全体が真庭市指定の文化財です。また、「余野の大津さま」の愛称で親しまれています。

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相撲場には立派な四角い土俵があります。

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参籠殿                     勉強の神様牛が祀られています。

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社務所

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本殿

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本殿、幣殿                   拝殿を横から見る。

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幣殿、拝殿

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祖霊社

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境内の様子

由緒
 当社は現在余野下宮旦に鎮座しているが、正平4年(1349)霜月8日に信州戸隠村 戸隠神社の分霊を勧請したとされている。最初の社地は余野上神狩村で、その後宮原であった。社号も「大鶴神社」と称していた。現在地に移ったのは元禄11年(1698)であるとされている。「大鶴神社」から「大津神社」に替わった事は不明である。
 当社には中施依頼伝えてきた古式祭典が行われている。それは12月8日に斎行される霜月祭である。祭りの前日に神官が頭屋に行って祭日用の餅を搗く。餅は供餅一重、丁銀餅九、鳥餅二、普通の小さい餅は二升と決められている。供餅は神前に、丁銀餅は9名へ、鳥餅は社裏の木株に供え鳥に与え、普通の餅は一般参拝者に配るためのものである。
 祭日には9名の者が朝から拝殿に上がって神官とともに祭典を執行する。それが終わって9名の者だけ拝殿で宴会を催す。神官が本殿から神霊を拝殿の9名の前に迎え、神前で「頭屋渡し」が行われ、次回の頭屋が」決められ引き継がれるのである。『作陽誌』にはこの様子を「11月8日、社家及父老会ニ神前一撰ニ定明年祭主一」と記している。頭屋は9名の者が順番につとめることになっていて、この場で明年の頭屋が確定し、その引継ぎが行われるのである。
 また医者は文久3年(1863)豊後臼杵の城主稲葉家の崇敬によって臼杵の「御霊神社」に分霊が棒祀され、以来臼杵地方からの信仰が続き参拝者も多い。また、氏子の組織をつくり祭神との間に親密な信仰生活ができるようになっており、その数は数十万人に及んでいる。
その他:真庭市教育委員会指定 大津神社社叢
12月31日の「年越祭」では神社前の目木川にて「水垢離」が行われ、多くの参加を得ている。(文:境内の案内より)(2020年8月9日撮影)