「従此千年寺道」の石柱(下田邑)
津山市下田邑に「従此千年寺道」の石柱がある。この石柱は、津山市一宮にある「瑠璃山 本光寺」と下田邑にある「長継山千年寺」(長継が自身の生前墓(寿塔=逆修塔)を建立した寺です。)を結んだものでしょうか?※長継公は津山藩で最も長く藩を統治した人物で、森家の盛衰を見届けた唯一の人物でもある。長継は初代藩主・森忠政公の外孫で、姓は関氏といい、森家の重臣だった。(2014年5月6日取材)
津山市下田邑に「従此千年寺道」の石柱がある。この石柱は、津山市一宮にある「瑠璃山 本光寺」と下田邑にある「長継山千年寺」(長継が自身の生前墓(寿塔=逆修塔)を建立した寺です。)を結んだものでしょうか?※長継公は津山藩で最も長く藩を統治した人物で、森家の盛衰を見届けた唯一の人物でもある。長継は初代藩主・森忠政公の外孫で、姓は関氏といい、森家の重臣だった。(2014年5月6日取材)
2014年9月25日(木)ぐずついた天気でしたが、津山城(鶴山公園)内の曼珠沙華は綺麗に咲いていました。ここ近年、石垣の間からも沢山咲いているのが見えたり、園内至る所に咲いてきたように思います。
赤坂さんは、津山市出身で現在は、岡山市に在住されています。只今は、津山市観光ボランティア「お国自慢」のメンバーで大活躍しておられます。そんな赤坂さんにお話を伺いました。「津山といえば、歴史と文化と古い町、津山城がとても印象的な街だと思います。また、津山の魅力を写真で伝え、津山のPRに繋げてゆきたいと思っています。不思議、謎を見つけて皆さんに再発見してもらえたら楽しいかも?将来の夢は、写真を通して子ども達へ文化・歴史の継承をすること。」と明るい笑顔で語って下さいました。
また、瓜生原には生家があり、その一角に趣味で集めたものを展示しておられるそうです。
土居銀行は、明治30年に西北条郡田邑村(現津山市下田邑)の素封家で元県議会議員の土居通信によって設立され、本店を同屋敷内に置きました。家屋は当時のままで保存されており、今でも住む人がある貴重な津山の財産でもあります。その土居銀行の発祥の地を取材してきました。(2014年2月14日・20日取材)
移転後の本店は作州民芸館として活用されています。
田神社(たじんじゃ)由緒
当社は貞観年中(859~877)に行教法師と田口信濃介統範が豊前宇佐八幡宮の御神霊を勧請して創建したと伝えられている。応神天皇、神功皇后を祭神とする。
もと上采に所在したが、大正7年(1918)に田神社を主祭として天剣神社、千家里神社、天津彦神社を合祀して一村一社とした際に、現在の鎮座地 金粟(こんぞく)に移転した。2014年1月12日取材
2014年と3月2日と3月19日梅の花を探しに丹後山へ行って来ました。ここは昔、津山藩の重臣大塚丹後守の屋敷があったことが名前の由来。宮川を挟んで津山城跡と向き合い、桜の名所としても知られています。山頂には津山測候所や、キリ スト教の墓地等があります。城東地区と丹後山は深く関わり、山頂への道は5本を数えます。上之町通りから山頂までは10分で登れます。(2010年2月の丹後山)
縁起、本尊の阿弥陀如来は遠く千四百余年の昔、佛教伝来の砌り、百済の聖明王献じた佛像を蘇我蝙蝠の臣に賜いしものと作陽誌等の古文書に記す。蝙蝠の臣蘇我を改 めて田口氏と為し、貞観年中美作の地上田邑に寺院を建立、阿弥陀寺と号す。正平十八年、田口薩摩守光政によって堂宇の修造が加えられ、光政亡き後、姓氏を 以って田口山とし、法名引乗寺殿を以って寺号改む。永禄年間、戦乱の災に本尊阿弥陀如来損傷を被る。故に像現本尊の肚腹内に蔵すと伝う。(美作八十八ヶ所霊場HPより)
2014年1月14日の沼弥生住居址群の様子です。
津山市沼、津山盆地が見渡せる丘の上にある弥生時代の集落跡。竪穴式住居・高床式倉庫・作業場があったとされ、現在ではそのうち、竪穴式住居1棟と高床式倉庫1棟が復元されています。隣接の津山弥生の里文化財センター(入場無料)で発掘成果などを見学できます。
西谷上集落の北端の林の中に若宮神社が祀られている。
御神体は木像の女神で文武両道の成就は勿論、農工商業の繁盛にも霊験あらたかな神様として崇められ、氏子は西谷上組合を中心に西谷下・深山の一部である。
江戸時代には現位置東の田の中(字石田)にあった社を別所城跡地(字城山)に移して社屋・籠殿を完備し、大祭には多くの参拝者を集めていたと伝えられているが、明治40年代に村内の神社を高倉神社に合祀した際、若宮神社も高倉神社の境内に遷座し高倉神社の一社として祀られた。
2013近畿・中国・四国 B-1グランプリin津山が5月25日・26日に執り行われました。両日ともうだるような暑さの中25日(土)23,000人、26日(日)48,000人で合計71,000人の来場者がありました。8府県16団体が出展し、ゲスト参加は八戸せんべい汁研究所(青森県)や浪江焼麺太国(福島県)でした。本当に遠い所から参加くださった皆様に感謝です。