土居銀行発祥の地(津山市下田邑)
土居銀行は、明治30年に西北条郡田邑村(現津山市下田邑)の素封家で元県議会議員の土居通信によって設立され、本店を同屋敷内に置きました。家屋は当時のままで保存されており、今でも住む人がある貴重な津山の財産でもあります。その土居銀行の発祥の地を取材してきました。(2014年2月14日・20日取材)
移転後の本店は作州民芸館として活用されています。
土居邸(津山市田邑)
津山市の西端に位置する下田邑に一際広壮な屋敷が目を引きます。いまから400年以上も前に神楽尾城をめぐって毛利方と宇喜多方が対立したとき、城の救援に駆けつけた毛利方の土居四郎次郎という武士が田邑の土居家の始まりです。激しい戦いの中で四郎次郎は戦死したものの、その子孫は田邑の地に残り、代々庄屋を務めてきました。土居邸は四郎次郎の孫の時代に建てられたもので、三段(反)もの広大な敷地をもつことから「三段屋敷」と呼ばれています。大戦中と戦後の動乱の時代を乗り切り、屋敷は守られてきたのです。(参照文献『津山百景』から)
蔵のあった所 表玄関
銀行正面 正面向かって左側方面(後山さんに案内いただきました。)
正面向かって左手方面 当時のままのガラス
銀行左手 天井
右に進むとお勝手方面へ
土間
土間はレンガが敷きつめてありました。
お勝手方面 蔵(現在は住居となっている)
懐かしいくど 煙突
焚口 釜を真上から見た処
井戸
裏 母屋
母屋の庭
ここには長屋があったそうです。 当時のままの塀
裏側から見る 蔵
庭のフクジュソウ 銀行玄関
道沿いにある塀 土居家の台所の煙突と神楽尾城跡