若宮神社と別所城(上高倉字城山)
西谷上集落の北端の林の中に若宮神社が祀られている。
御神体は木像の女神で文武両道の成就は勿論、農工商業の繁盛にも霊験あらたかな神様として崇められ、氏子は西谷上組合を中心に西谷下・深山の一部である。
江戸時代には現位置東の田の中(字石田)にあった社を別所城跡地(字城山)に移して社屋・籠殿を完備し、大祭には多くの参拝者を集めていたと伝えられているが、明治40年代に村内の神社を高倉神社に合祀した際、若宮神社も高倉神社の境内に遷座し高倉神社の一社として祀られた。
戦後になって、氏子中に悪病が多発し農作物の不作が続いたことから若宮神社の還御を高倉神社に申し出て、昭和23年9月に認められた。鎮座の場所は元の 位置より下に移すことにして、基礎工事.参道.石段の改修等の整備を完了。高倉神社から若宮神社の祠と石灯籠一対を持ち帰って安置し、同年10月19日に 還御の式典・行事を執り行なった。
昭和58年には鳥居の新設と石段の改修、環境の整備が行なわれ現在に至っている。石段の両側の灯籠には「安政三年(1856)丙辰九月九日」とある。
例祭は夏が旧暦の6月15日、秋は新暦の10月19日に執り行われる。
若宮神社の上の山には戦国時代まで別所城があった。市内吉見にあった医王山城の出城で、南北朝時代の山名・赤松二氏の争いに始まり、尼子・毛利・宇喜多の覇権争いの場となった山城である。城主山口周防守の墓所が森尾にあり、森尾大明神として祀られている。
烏ヶ仙、医王山がよく見えます。
参道のさつき 公会堂
本殿 手水鉢
燈籠
本殿 本殿からみた鳥居
(2013.6.14取材)(文:『高倉の歴史と文化財』より)