2021「津山もみじまつり」始まりました。
2021年11月13日から11月21日まで「津山もみじまつり」が開かれています。
13日の午前中はオープニングセレモニーが行われ、テープカットや地元の保存会による踊りが披露されました。少し遅れてお昼時に行ってきましたが、すでに大勢のお客様が津山ホルモンうどんや和牛を使った料理などの食べ物を求めて列をなしていました。いいなと思ったことは、休憩スペースでゆっくりとお食事ができます。また、夜にはもみじや石垣がライトアップされています。
2021年11月13日から11月21日まで「津山もみじまつり」が開かれています。
13日の午前中はオープニングセレモニーが行われ、テープカットや地元の保存会による踊りが披露されました。少し遅れてお昼時に行ってきましたが、すでに大勢のお客様が津山ホルモンうどんや和牛を使った料理などの食べ物を求めて列をなしていました。いいなと思ったことは、休憩スペースでゆっくりとお食事ができます。また、夜にはもみじや石垣がライトアップされています。
2021年11月11日の津山城(鶴山公園)
津山城(鶴山公園)では秋の深まりとともに色づいてきた美しい紅葉と出会うことが出来ます。明日から11月13日(土)~21日(日)8時40分~21時00分、ご当地グルメ・スイーツフェスティバル、ステージイベント他(土日のみ)が開催されます。期間中、夜はライトアップされた美しいもみじに出会うこともできます。
宗重の大桂
この宗重の大桂は、樹齢700年の巨木でしたが、慶長年間津山候森忠政が津山の鶴山に城を築いた時に天守の心桂に使われました。
その切株の跡に洞を形成し、再び芽が出て成長して今日の形になったと言われています。
津山城の建物は、現在ありませんが、立派な石垣と桜の名所です。鏡野町
(文:現地看板より)(2021年11月3日撮影)
令和3年10月23日(土)18時~20時、第二回つやま町燈路が、城東地区12町内、11箇所(中之町は当日不幸があり急遽中止)で2610個の灯籠が灯されました。
今回もウィズコロナの観点から事前告知を一切行わず、地域住民のみのイベントとして開催されました。上之町6丁目と西新町が共同で旧出雲街道の参道開始点から大隈神社の本殿前までを700個の燈篭で光の道を作った。(県重要文化財付近はLED光源を使用して火災の発生を防止した。)
また、旧出雲街道沿いの民家の軒先に並べた灯籠は、重伝建の町並みとマッチした景観となり、多くの地域住民が沿道に出て景色を楽しんだ。
2020年10月17日・2020年10月17日(土)の夜(大隅神社宵祭りの夜)
当山は天平7年(735)の秋、行基菩薩が梶並の地を巡錫した時、梶並神社の境内が誠に美しく、清らかな霊地であることに深く感銘し、この境内に薬師堂を建立し、別に一寺を建て、これを神宮寺と名付けたと伝えられています。
当時は仏教の興隆が盛んで、神仏同体説が唱えられました。大日如来は天照大神、阿弥陀如来は八幡神の如く、神を権現菩薩と唱え、僧侶は別当職として神事に参加し、神社の実権を分担し法業として神前に読経する風習が行われていました。
享保元年(1716)、幕府の宗門改革により、薬師堂は磯神社と改め、神宮寺は大日庵という山伏寺のあった現在の地に移しました。
また、津山城主・森忠政が当山の清浄なるに感じ、香水山と名付けたと、作州誌に書かれています。
近年は、檀信徒の協力のもと石垣改修、客殿新築等、境内の整備に努めております。
また境内のしだれ桜は見事で、遠くからも多くの観光客が訪れています。
(文:『高野山真言宗美作霊場めぐり』より)(2021年10月9日撮影)
2021年8月8日の津山城(鶴山公園)であった、「お城で作る in 夏休み 体験教室」の取材に伺ったところ、藤木弘道さんから「備中櫓の横の藤棚で、狂い咲きのフジの花が咲いている。」とお話を聞き、お願いして写真を撮っていただきました。以前久米南町の森田さんから、今の時期に咲く花の事を裏花(一旦咲いて次に出てくる花)というと教えていただきました。また、ネットで調べてみると、「返り咲き・狂い咲き」ともいうらしく「二度咲きが出来るのは栄養や環境が整っている場合のみですので、普段から健康な樹であろうと推測出来ます。また、数年に1度、夏にも花をつける習性がある。」とのこと。いつもは春先に奇麗に咲いている藤の花を眺めて楽しんでいましたが、春のように沢山ではないですが、この季節の藤の花もいいもんですね。
生光院霊屋(みたまや)
創建時の名称、美作国主初代森忠政がその義母生光院のために建立されました霊屋で、正面須弥壇には、生光院が生前崇拝の弥陀如来立像と生光院の位牌とを安置されました。施工者は大阪の番匠勝右衛門、当時の住職は第12世深誉。
生光院は柴田勝家の女で、初め塙備中守直政に嫁し、直政死後原隠岐守に再嫁せられ天正11年(1583)隠岐守戦死により生光院はその子長満(4歳)の成長を護るうち天正18年(1590)秀吉は長満が勝家の外孫であるの故を以て、之を殺した。生光院は悲しみのあまり全く志を失い越前大野木に隠棲するようになり大野木氏ともいわれます。
森忠政は、塙直政の養子となる約束がありましたが、直政死のためそのままとなり慶長8年(1603)美作国主として津山に来られました。慶長15年(1610)大野木氏が越前に存世のことを聞かれ、大いに懌び、家臣川村左介を特派して大野木氏を津山に迎え250石を給するなどして配慮至らざるなく、常には家臣富田久右衛門を傅として諸般世話せしめられました。
上記の写真は、田中義男さんのアルバムから抜き出したものです。当時の田町付近でしょうか?
義男さんの写真のコメントには当時の様子がこまめに書いてありました。また、お兄さんの田中孝夫さんの遺品の中にも興味深い写真があり、遺族の承諾を得て紹介してみます。
2021年8月8日に津山城(鶴山公園)内「鶴山館」でお城で作る in 夏休みの体験教室がありました。家紋トートーバッグ、家紋スツールの2種類の体験が選べ、どちらも森家や松平家の家紋やログなどステンシルシールを使い転写できるものです。この日は天気も良く、牛尾さんと娘さん、お孫さんが賑やかに挑戦しておられました。椅子は丁度よい高さに出来、便利良く使えそうでした。また、みなさんそれぞれ工夫を凝らした作品が出来上がり満足そうでした。(※電話にて事前予約が必要です。TEL.0868-22-4572)
2021年7月24日(土)の炎天下の中で行われた、JR津山線の2両編成の列車ノスタルジートレイン「美作国やまもり号」サプライズ企画で、列車内でパフォーマンスするおもてなし隊として「作州忍者鶴丸隊」が参上。
作州忍者鶴山隊初めての津山城外活動で、岡山県のJR亀甲駅から津山駅までの区間、九字をきったり、忍者クイズをしたり、駅のステージでパフォーマンスをしたりとお迎えからお見送りまで、忍者らしく活動し、沢山のお客さんに喜んでもらえて大成功のイベントでした。
克丸隊長は「作州忍者鶴山隊の特色は「くノ一忍者」の方が多いのも特徴です。これからも県北の魅力をもっともっと知ってもらう為に活動を増やしてまいりますので見かけましたらお声がけください。」とのこと。「津山瓦版」も応援していますよ~。