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取材記事内を検索ワード「坂」で検索した結果,299件の記事が見つかりました。

平尾家(武蔵の姉の嫁ぎ先の家)

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 ここは「元屋敷」と云う地名で町内で最も大きい茅葺きの家である。
 慶長5年(1600年)、武蔵が武者修行に出立した時、家の道具家の系図、十手(三つ)、すやりを姉おぎん夫婦に渡した。その後、元和9年(1623年)、おぎんの二男九郎兵衛景貞がここに居住し、武蔵家を相続した。
 庭の池水はその時作られた。辺には樹齢400年のタラヨウと樹齢300年のウツギの古木と屋敷の入口の樹齢300年の栗の巨木とがあり、さすがに武蔵にゆかりの深い平尾家らしい趣がある。
(文:美作市看板より)

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西勝間田駅(勝央町)

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西勝間田駅(にしかつまだえき)は、岡山県勝田郡勝央町黒坂にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)姫新線の駅である。津山方面に向かって左側に単式1面1線のホームを持つ地上駅(停留所)である。棒線駅のため、津山方面行きと佐用方面行きの双方が同一ホームに発着する。
津山駅管理の無人駅で、駅舎といえるものはなく、車道跨線橋の脇の坂から降りる形で、直接ホームに入ることになる。自動券売機も設置されていない。(2018年6月24日撮影)

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遊屋八幡神社(勝央町)

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由緒・沿革
八幡神社の創立
 旧高取五ヶ村の氏神「八幡神社の由緒書きによると、貞観2年(860年)に美作の国、勝田郡の人で大宅鷹守の子鷹取が備中権守に任命された時、貰った神功皇后のお腹帯と忍態皇子(応神天皇の第3皇子)の衣の袖を父の鷹取に贈ったところ、この親子が備中美作と、遠くは離れて住んでいるにもかかわらず、毎晩同じように八幡大神の夢を見るので「不思議なこともあるものだ、これはきっと神のお告げに違いない」と信じて宇佐八幡の神を黒坂の水清川の源である清野山(場所不明)に祀ったのが八幡神社の起源であるということです。(湯谷八幡神社)
 その後、天徳2年(958年)に再建され、永承3年(1048年)に源実朝が美作権守になって赴任した時、当時の神主である大杉次郎太夫が古殿を改築し、神楽殿を建立しました。

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2017年 津山の怖~い伝説展(城西浪漫館)

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津山の怖~い伝説展 
 城西浪漫館では、夏休みを迎えた子どもたちや津山に帰省した子どもたちに郷土・津山に伝わる民話や伝承を伝え、学んでもらおうと7月20日から8月31日まで「津山の怖~い伝説」展を開催します。
  今回は、初めて津山藩にあった鬼の首を刎ねた名刀「童子切」伝説を紹介します。「童子切」は豊臣秀吉、徳川家康から津山藩主の松平家へ伝わり、津山松平家の家宝として太平洋戦争終戦まで継承されてきた天下五剣の一つ。丹波国大江山の鬼の頭領・酒吞童子の首を切り落としたとされる「童子切」は、津山藩が6人の罪人の死体を積み重ねて刀を振り下ろしたところ、6つの死体を切断しただけではなく刃が土台まで達したという伝説があります。(文:展示説明より)(2017年7月29日撮影)

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文化財めぐり(近長~杉宮周辺を歩くNo.1)

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2018年3月10日の晴れた日に、津山郷土博物館主催の第114回文化財めぐり(近長~杉宮周辺を歩く)に参加して来ました。出発は津山市野村にある成名公民館駐車場10:30出発です。今回は近長から杉宮周辺です。周辺には土浦藩の代官所跡や、多くの石造物などが残されており、歴史のある地区となっています。道のりは約7.5kmです。(2011年 川港が栄えた町楢の今
No.1は、念仏講碑・近長四ツ塚古墳群→近長代官所跡・八坂神社→八幡神社までです。続きはNo.2で

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瓜生神社(瓜生原)

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瓜生神社(旧村上)
 由緒沿革 口碑によると、五霊宮は当地の人楢本才兵衛が京都八所の五霊社から祭神五柱の御分霊を迎えて勧請したという。その年月は不詳。応仁二年再建以来数度に亘って修理、葺替の後、天保八年に再建したのが現在の本殿である。もと、五霊大明神、油宮大明神と称したのを明治四年瓜生神社と改称し、明治六年村社に列した。大正十一年神饌弊帛料供進神社に指定せられた。(岡山県神社庁編『岡山県神社誌』より)通称名 五霊様(ゴレイサマ)

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日本庭園「由志園」の3万輪の牡丹の花

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2018年5月4日、日本一の牡丹苗産地で有名な大根島(島根県松江市)にある「由志園」に出かけました。4月下旬~5月上旬には3万輪の池泉牡丹が庭園内を彩ります。5月6日には一日限定で黄色の牡丹の花で埋め尽くされたそうです。
 江戸時代から続く雲州人参の産地。茶人大名として有名な松江藩七代藩主・松平治郷(不昧公)が財政を再建するため始めた高麗人参の栽培は世界の一級品として高く評価されています。

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「恋山形駅」がピンクに染まった頃。

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 2018年4月28日テレビなどのニュースで全面ピンク色の駅で話題になった「恋山形駅」に立ち寄ってきました。この駅は鳥取県八頭郡智頭町大内にある智頭急行智頭線の駅で、1994年(平成6年)12月3日に智頭線開業と同時に設置されたそうです。この日は丁度列車が来る時間帯なので、次から次へとカメラ片手にファンの方が多数来られていました。中でも熱心な親子さんがいてずっと写真を撮り続けていらっしゃいました。「恋ポスト」「恋ロード」などもありました。また、地元の皆さんが植えられた芝桜が丁度見ごろを迎えていて一層ピンク色になっていました。津山からでも40分程で行けました。

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第82番札所 弘法大師(西吉田)大師堂

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第82番札所 弘法大師(西吉田)大師堂 昭和44年10月4日建立
 勝南霊場札所は、四国霊場の八十八ヶ所をこの勝南郡【新田、池ヶ原、福力、中原、里中原、名坂、植木、金井、西吉田、旧広野村、旧河辺村】に八十八ヶ所を作ったものです。
 第1番札所は、新田の公会堂の前に駐車場があります。以前、そこは宅地で家があって、屋号は荒神堂、そこが始まりでした。第2番札所は、以前、福井照夫氏宅の屋敷内にありましたが、現在、本尊は第八十八番に移しています。(文:大崎地区歴史を考える会発行『大崎の歴史と文化出雲街道界隈編』より)(2018年2月25日撮影)

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光伯地蔵様(西吉田)

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光伯様納涼祭【勝南霊場30番札所】
 光伯地蔵堂は、出羽国湯殿山本道寺の修行僧が六十六部の経典を納めながら諸国を巡っていましたが、西吉田村で亡くなってしまったとのことです。村人が街道沿いに葬ったところ、その後墓に参ると、足の病が治るとの言い伝えが広まり、美作近郷を始め、亰、大坂からも人々が参るようになりました。現在、平成3年に建て替えられた新しい地蔵堂に安置されています。(文:大崎地区歴史を考える会発行『大崎の歴史と文化出雲街道界隈編』より)(2018年2月25日撮影)

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