遊屋八幡神社(勝央町)

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由緒・沿革
八幡神社の創立
 旧高取五ヶ村の氏神「八幡神社の由緒書きによると、貞観2年(860年)に美作の国、勝田郡の人で大宅鷹守の子鷹取が備中権守に任命された時、貰った神功皇后のお腹帯と忍態皇子(応神天皇の第3皇子)の衣の袖を父の鷹取に贈ったところ、この親子が備中美作と、遠くは離れて住んでいるにもかかわらず、毎晩同じように八幡大神の夢を見るので「不思議なこともあるものだ、これはきっと神のお告げに違いない」と信じて宇佐八幡の神を黒坂の水清川の源である清野山(場所不明)に祀ったのが八幡神社の起源であるということです。(湯谷八幡神社)
 その後、天徳2年(958年)に再建され、永承3年(1048年)に源実朝が美作権守になって赴任した時、当時の神主である大杉次郎太夫が古殿を改築し、神楽殿を建立しました。

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 弘安4年(1281年)蒙古襲来の時、北条時宗は八幡様に祈ったところ、神の助けで大風が吹き、敵の軍船が海に沈んでしまったということで、後宇多天皇の命により祈願した全国12社は改築され、崇められましたがその一つが黒坂の八幡です。
 応永31年(1424年)、赤松右京太夫満祐は、ここに弓矢を奉納して、弓矢八幡と改称し、また、嘉吉元年(1441年)津山城主、山名忠政はこの八幡神社を戦いの神として崇め、毎年、稲50束を奉納したと棟札の裏書きに残しています。
 戦国時代にはいり、美作地方には各地の戦国大名が出入りし、天文13年(1545年)尼子国久が祈願し「勝たせてもらって新しい社を建てます。」と八幡様を焼きはらって戦いに出陣しました。翌々年、氏子たちは「また焼かれては大変」と社を山奥に移し、名前も遊屋八幡と改称しました。同年には、御山内の水清池の水が濁って澄まないので、お清めをして、八大龍王神を祭神とした赤池大明神を祀り「御山守の神社(奥御前崎神社)」としました。

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 弘治2年(1556年)尼子国久の子孫、尼子勝久が祈願開きに和歌一首を奉納し、焼けた宮殿の跡に松1本を植えました。この松は生長し、尼子の松と呼ばれて美作名松の一つになりました。
 天正13年(1585年)松永弾正政秀の孫、松永又六郎久光が当八幡宮の祠殿に逃げてきて隠れていたが、夢に神のお告げがあって、国分寺に住むことにしました。その後、8年経って久光は村人と相談し、この八幡宮を移して氏神として祀りました。

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 慶長3年(1598年)12月20日大火事があって、宮殿は焼失しましたが慶長6年(1601年)11月9日3年目にして再建しました。神主は水島義太夫(正2位)で再建の費用は入米5石分を時の城主代理として平井兵衛が奉献し、その他の費用は97軒の氏子中、信心家が金を出し合って建立しました。

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 慶長15年(1610年)国主(鶴山城主)森忠政の息女が難産に悩み、医者も「医術の方法なし」というので、忠政は水島神義太夫の養子水島岩見に平癒の祈願を命じたところ著しい霊験があって、容易に男子が生まれました。忠政は大変喜んで神領として20石を与え、八幡神社を「祈願所」と定めました。祈願開きの額は今もかかっています。この功によって神主水島岩見に従6位が贈られた上、金籐兵馬という男を奉仕させました。以後安産の守護神として崇敬者多く現在に至っています。

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 寛永元年(1624年)2月25日宇佐八幡宮を豊前国にお祀りして、千年になるので千年の大祭を行い、相撲大会をして神を慰めました。

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 明治に入り、明治6年(1873年)社格を郷社に加えられ、郷邑の産土神であることを明示されました。明治15年(1882年)9月29日社地を現在地勝田郡勝央町黒坂権現堂1番地に、下山神社の社地、岡熊次郎、峰平実次郎所有地を献納し、遊屋八幡神社のご遷幸宮地として清め上棟祭を執行し、同年11月3日八幡神社を遊屋山からご遷幸、現在の位置に遷して宮殿を建てその報告祭をしました。明治40年(1912年)1月27日神饌幣帛料を供進するという格式ある神社に指定されました。

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 昭和に入って、昭和20年(1945年)12月28日ポツダム宣言に基づく政府指令により宗教法人の組織下に入り、神社庁を設け事務局としました。昭和57年(1982年)遷座100年目、創設以来約1100年に当たるこの年を最良の年として、末社各社の改装をし、記念奉祝祭を執行しました。
 平成12年7月には皇紀2600年記念事業として宮地全体を整備し、平成13年11月23日、竣工奉祝祭及び芳名碑の除幕式を挙行しました。

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下山神社(本宮は大山の下山神社で下山家の氏神様だった)

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憩宮(戦前戦中は招魂社と称されており、戦後「憩宮」と改称されました。)
日露、満州、日華事変、大東亜戦争に、郷土より出征、戦場に散華された英霊を合祀されていて、毎年5月1日、遺族、地区各代表役員を招き盛大に慰霊祭が斎行されています。戦後60年を記念し、鳥居の再建、戦没者名碑を建立、後世に遺しています。

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摂社                              奥御前神社

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摂社

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(文:『大崎の歴史と文化 神社編』より抜粋)(2017年8月20日撮影)