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取材記事内を検索ワード「橋」で検索した結果,358件の記事が見つかりました。

千代稲荷神社と赤い太鼓橋

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2020年2月21日の千代稲荷と宮川にかかる赤い太鼓橋(2009年の取材記事
 大きな赤いちょうちんが目印の千代稲荷神社(せんだいいなりじんじゃ)の本殿は津山市指定重要文化財(建造物平成15年2月17日)です。前回の取材時よりは参道の赤い太鼓橋の色が薄くなったと感じました。また、背後の樹木はすっきりして石垣がよく見えだしましたね。(嘗ては稲荷山地区に、佐平焼の登窯が五室ありました。

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津山の夕日に魅せられて。

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 2020年2月23日、お散歩がてらに吉井川に沿って歩いてみました。少し風が吹いていたのですが、安岡町から見る夕日は美しくしばらく見とれてしまいました。また、川辺では水鳥たちがにぎやかに家路を急いでいるように見えました。津山の中心部で永年暮していても、日ごろは家事に追われゆっくりとこうした自然に触れ合うことができないでいたのですが、これからは出かけていきたいと思いました。

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弥生の里文化財センター「記念物100年展」

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碁石 美作国府跡(津山市総社)
 平安時代の後半(12世紀)に使われていた碁石です。白色または透明の碁石と黒色の碁石の2種類が出土しています。
 碁石は、現在のように真ん丸なものは少なく、ほとんどが楕円形や少しいびつな円形です。石の厚さも薄いものから分厚いものまで様々で、自然石をあまり加工せずに碁石として使用していたようです。よく使われていたのか、石の表面はつるつるしています。
 碁石は国府の建物があったと推定されている場所の近くで多く出土しているため、平安時代の役人たちの間では、休憩時間に囲碁をすることが流行っていたのかもしれません。

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八出天満宮で合格祈願祭がありました。

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 2020年1月13日、八出天満宮で合格祈願祭がありました。この日は青空の元朝早くから車で駆け付けた多くの受験生親子が訪れていました。受付をすますと順次拝殿に入り、吉田宮司からお札を受け取っていました。これから寒くなってきますので、体調に気を付けて受験に臨んでくださいね。どうぞご利益がありますように!
また、一日前の12日には境内でとんど焼きがあり、氏子の皆さんが家内安全を祈願しました。

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坪井本陣跡(今井醤油店)

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 作陽誌に「駅中(坪井宿)に太守茶屋あり」と記載されている。「太守」とは松江藩ではないかと思われる。
 新家家系図によると、新家源蔵のとき「雲州松江城主 松平出羽守より、坪井駅中(坪井宿)「脇本陣」を仰せ付けられ、兼ねて御用達御定宿を命じ、年給金百余両の金を給う。」とある。この時「菊屋」と称す。
 新家利右衛門の時「松平出羽守より改めて御本陣を仰せ付けられ苗字帯刀を給る。金子の外に千足を下し給う。」本陣を命じられたのは明和3年(1766)の頃と思われる。

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美作歴史ネットで訪ねた中世式内八社の秋祭り

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 2019年度美作歴史ネット地域研修会のお誘いで真庭市社の「式内八社」について学んできました。
式内社:延長5年(927)に完成した『延喜式』第9・10巻「神名帳上下」に記載された神社。美作11座(10社)、備前26座(21社)、備中18座(18社)
美作の式内11座(一宮中山神社、二宮高野神社、三宮天石門別神社、社八社)
―中世の遺産・文化が色濃く残る社へ―
 山々に囲まれ、清らかな水が湧く、自然豊かな社地域は、まさに日本の原風景。そんな社地域には、神社や御堂、石造物、城跡などの歴史遺産が数多く点在しています。
 平安時代、醍醐天皇の命で編纂された『延喜式』に記載された重要な神社は、「式内社」と呼ばれていました。『延喜式』に記載された美作国11の式内社のうち、社地域にはじつに8つが集中しており、古代から神聖な場所とされてきました。中世以降にも多くの記録に記載され、古い形をとどめる祭りや行事も残っています。
「式内八社」とは佐波良・形部神社(県社)、二宮(長田、兎上、壱粟・大笹、久刀神社)、横見神社の8つの神社の通称です。(文:式内八社の里めぐりパンフレットより)2019年10月9日撮影

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2019 衆楽園の紅葉が美しい。

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 2019年11月20日の衆楽園の紅葉の様子です。
当日は晴れ時々曇りの天気で、時折太陽の光がさすとモミジの紅葉がより一層輝いて美しい公園です。
衆楽園は森家二代目藩主長継が1657年に京都から作庭師を招いて造らせた池泉廻遊式庭園で、国の名勝に指定されています。
津山城(鶴山公園)の紅葉もピークを迎えて美しい季節です。ぜひ、衆楽園にも足を延ばしてみてください。

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令和元年 出雲街道津山城東むかし町祭り

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 2019年11月3日、今年も城東伝統的建造物群保存地区で、出雲街道津山城東むかし町祭りが執り行われました。このお祭りは、旧出雲街道を歩行者天国にし、「江戸時代にタイムスリップ」をコンセプトにした時代行列です。橋本町~東新町の区間では屋台や物産店、フリーマーケット等が出店されていて楽しんできました。また、「和っしょい!津山の総踊りが祭りをより一層盛り上げていました。

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逧田の合祀されているお大師堂(福井)

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 福井の片山・桑田集落の南には、広戸川が流れ、木造手すりの草町橋がかかっている。この草町橋を渡って、小峪に抜ける山道にさしかかった丘の上に、お大師堂が祀られている。
 ここら辺りは、逧田と言う地名であり、このお大師堂には、「勝南霊場第拾九番御本尊 薬師如来」の表札がある。一般に、お大師堂と言って、本尊に薬師様を祀っている事例が多い。正しく言うと、これは薬師堂である。お薬師様、すなわち薬師如来は、東方浄瑠璃世界に住んでいて、現世利益をはかる医薬に権威を持った仏様である。昔はとくに医療治療がままならなかった農民にとって、病気平癒・無病息災を願う気持ちは切実なものがあり、薬師如来にすがる信仰は、強いものがあった。
 この逧田のお大師堂の創建は不明だが、お大師信仰・八十八か寺巡りが盛んであった戦前の、昭和12年(1937年)に改築されている。だれがどのような協力のもとに建てたか、後年よくわかるように、金銭や人歩・資材の寄付録が、内部の壁に掲げてある。「薬師堂改築寄付録」(金銭寄付)では56名、「薬師堂改築寄付録 人歩及び材料」では、54名の住民の名前が記されており、小字部落の片山・桑田・小峪(以上、有為組)と岡・東岡・横尾(以上 三結団)が共同しての出資や奉仕により、再建したものである。また、昭和30年に屋根の葺き替えをしているが、この時も63名の住民の名が記されて、住民みんなこぞっての協力によるものであることがわかる。

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2019 徳守神社の秋季例大祭 並びに 御神幸

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 令和元年(2019)10月26日(土)、27日(日)の二日間にわたり、徳守神社の「秋季例大祭」が行われました。27日には、神様の御霊をお遷しした御神輿と共に「御神幸」が行われ、一日かけて氏子区域を練り歩きます。行列の途中には「お旅所」で祭典が行われ、浦安の舞、獅子舞の奉納がありました。26日は雨がパラついて心配しましたが、27日は良い天候に恵まれ大勢の方が集まって秋季例大祭を祝いました。

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