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取材記事内を検索ワード「山城」で検索した結果,677件の記事が見つかりました。

2021 雪の津山城(鶴山公園)

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 2021年12月18日の津山城(鶴山公園)の雪景色
今年12月に入り初めての雪が降り、津山市内は一面が真っ白になりました。午前9時ごろに鶴山公園の雪景色を撮ろうと出かけてきました。丁度、大阪からの観光客の女性に会い「津山に来たらこんなに雪が降っているのでびっくりしました。普通の靴で登れるか心配でしたが、本丸から津山が眺められてよかった!」とのことでした。この日はソシオ一番街でもイベントがあり、大勢の方が街中に集っておられました。

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「燃えよ剣!」のロケが津山城(鶴山公園)であった。

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 2021年11月28日の津山城(鶴山公園)のモミジがまだまだ美しい。
モミジの紅葉が終わりがけの頃だなぁ~と思いながら、津山城(鶴山公園)を一周してみると、まだまだ見ごろのモミジが沢山あり、感動してしまいました。今年もおかげさまで最初の頃(11月11日)と終わりがけのモミジの紅葉を鑑賞することができました。そして、なんと津山城(鶴山公園)で燃えよ剣のロケがあったそうで、どの場面か映画を観るのが楽しみです。

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2021「津山もみじまつり」始まりました。

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 2021年11月13日から11月21日まで「津山もみじまつり」が開かれています。
13日の午前中はオープニングセレモニーが行われ、テープカットや地元の保存会による踊りが披露されました。少し遅れてお昼時に行ってきましたが、すでに大勢のお客様が津山ホルモンうどんや和牛を使った料理などの食べ物を求めて列をなしていました。いいなと思ったことは、休憩スペースでゆっくりとお食事ができます。また、夜にはもみじや石垣がライトアップされています。

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2021津山城(鶴山公園)のもみじ

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 2021年11月11日の津山城(鶴山公園)
 津山城(鶴山公園)では秋の深まりとともに色づいてきた美しい紅葉と出会うことが出来ます。明日から11月13日(土)~21日(日)8時40分~21時00分、ご当地グルメ・スイーツフェスティバル、ステージイベント他(土日のみ)が開催されます。期間中、夜はライトアップされた美しいもみじに出会うこともできます。

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津山城の天守の真柱に使用された宗重の大桂

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宗重の大桂
 この宗重の大桂は、樹齢700年の巨木でしたが、慶長年間津山候森忠政が津山の鶴山に城を築いた時に天守の心桂に使われました。
その切株の跡に洞を形成し、再び芽が出て成長して今日の形になったと言われています。
 津山城の建物は、現在ありませんが、立派な石垣と桜の名所です。鏡野町
(文:現地看板より)(2021年11月3日撮影)

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第二回 つやま町燈路(城東地区)

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 令和3年10月23日(土)18時~20時、第二回つやま町燈路が、城東地区12町内、11箇所(中之町は当日不幸があり急遽中止)で2610個の灯籠が灯されました。
 今回もウィズコロナの観点から事前告知を一切行わず、地域住民のみのイベントとして開催されました。上之町6丁目と西新町が共同で旧出雲街道の参道開始点から大隈神社の本殿前までを700個の燈篭で光の道を作った。(県重要文化財付近はLED光源を使用して火災の発生を防止した。)
 また、旧出雲街道沿いの民家の軒先に並べた灯籠は、重伝建の町並みとマッチした景観となり、多くの地域住民が沿道に出て景色を楽しんだ。
2020年10月17日2020年10月17日(土)の夜(大隅神社宵祭りの夜)

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壇上山 清浄院 神宮寺(美作市)

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 当山は天平7年(735)の秋、行基菩薩が梶並の地を巡錫した時、梶並神社の境内が誠に美しく、清らかな霊地であることに深く感銘し、この境内に薬師堂を建立し、別に一寺を建て、これを神宮寺と名付けたと伝えられています。
 当時は仏教の興隆が盛んで、神仏同体説が唱えられました。大日如来は天照大神、阿弥陀如来は八幡神の如く、神を権現菩薩と唱え、僧侶は別当職として神事に参加し、神社の実権を分担し法業として神前に読経する風習が行われていました。
 享保元年(1716)、幕府の宗門改革により、薬師堂は磯神社と改め、神宮寺は大日庵という山伏寺のあった現在の地に移しました。
 また、津山城主・森忠政が当山の清浄なるに感じ、香水山と名付けたと、作州誌に書かれています。
 近年は、檀信徒の協力のもと石垣改修、客殿新築等、境内の整備に努めております。
 また境内のしだれ桜は見事で、遠くからも多くの観光客が訪れています。
(文:『高野山真言宗美作霊場めぐり』より)(2021年10月9日撮影)

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天竺山 圓明院 興禅寺(美咲町)

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天竺山 圓明院 興禅寺
 当山は、遠い昔天竺の国の摩訶迦羅神(大黒天)がしばし天竺山に留まられたことから、天竺山一帯を寺域として貞観三年(861)開山されました。
 開山後は、元暦元年(1184)に、近江の人で錦織天丞勝重と名乗る武人が、西国における合戦に赴く際に、興禅寺に詣で堂宇を寄進しました。 
 元亀三年(1572)嵯峨山城落城の時に兵火より、天竺山中にあった興禅寺が消失したため、光禅庵跡の現在地に本坊を移されました。
興禅寺文化財
・仁王門と山高龍雲作金剛力士像    ・安篋印塔(南北朝時代)
・広瀬台山(酔翁亨図)        ・不動明王、毘沙門天、普賢菩薩・光後玉江の記録文書
 興禅寺住職であった戒般和尚に弟子入りし、仏門に入ると共に、江戸末期から明治にかけて地域医療につくされた女医です。当山には、光後玉江さんの診療の記録(患者届書控)や、西洋医学古文書の写し(ワートル薬性論等)等を保管しています。(文:『高野山真言宗美作八十八ヶ所霊場』より)

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美作の大庄屋巡り「矢吹家」(美咲町)

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矢吹家 矢吹孫左衛門 勝南郡行延村 森藩
大庄屋まで
 矢吹氏は、平氏と密接な主従関係を結んでいた備前の難波氏から出ているという。文明年間(1469~1486)羽仁の鴛淵城(おしぶちじょう)にいた難波九郎左衛門の後裔難波信正は、荒神山城の花房職秀の家老を務め、神楽尾城攻めに当たっている。職秀が荒神山城を退去した後、行信村で帰農した。
その後、三郎左衛門は難波から矢吹を名乗り、孫左衛門が貞享2年(1685)大庄屋に任命された。
大庄屋として
 大庄屋を勤めた孫左衛門は、貞享3年、4代藩主森長成の家督相続祝いに植月新右衛門、粟井六郎右衛門、立石五郎右衛門とともに江戸へ行っている。矢吹家は、森藩改易後も庄屋や中庄屋などを勤め、当主は日記を残している。これが『近世行信略記』『矢吹禄』としてまとめられて、のちに『近世作南農村史料』(矢吹修編)として刊行されている。

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津山城(鶴山公園)のフジの花

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2021年8月8日の津山城(鶴山公園)であった、「お城で作る in 夏休み 体験教室」の取材に伺ったところ、藤木弘道さんから「備中櫓の横の藤棚で、狂い咲きのフジの花が咲いている。」とお話を聞き、お願いして写真を撮っていただきました。以前久米南町の森田さんから、今の時期に咲く花の事を裏花(一旦咲いて次に出てくる花)というと教えていただきました。また、ネットで調べてみると、「返り咲き・狂い咲き」ともいうらしく「二度咲きが出来るのは栄養や環境が整っている場合のみですので、普段から健康な樹であろうと推測出来ます。また、数年に1度、夏にも花をつける習性がある。」とのこと。いつもは春先に奇麗に咲いている藤の花を眺めて楽しんでいましたが、春のように沢山ではないですが、この季節の藤の花もいいもんですね。

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