与謝野晶子 文学碑(美作高校)
「うつくしき五郡の山に護られて 学ぶ少女はいみじかりけれ」
明治2年、大阪府生。昭和17年没。明治・大正のロマン主義歌人。歌集「みだれ髪」を出して有名になった。「明星」の主宰者、与謝野鉄幹と結婚。人間解放の歌風で明星派の代表歌人。昭和8年に「美作学園」で講演した。(文:城下町津山文学碑めぐり資料より)(2018年5月16日撮影)
「うつくしき五郡の山に護られて 学ぶ少女はいみじかりけれ」
明治2年、大阪府生。昭和17年没。明治・大正のロマン主義歌人。歌集「みだれ髪」を出して有名になった。「明星」の主宰者、与謝野鉄幹と結婚。人間解放の歌風で明星派の代表歌人。昭和8年に「美作学園」で講演した。(文:城下町津山文学碑めぐり資料より)(2018年5月16日撮影)
2015年1月18日の武家屋敷巡りをしてきました。(田町の武家屋敷の長屋門)
2018年5月14日、昨日の雨もすっかり止んで津山は晴天なり!
ママとサムハラ神社へ行こうと非番の藤井さんを伴って3人で出かけました。まずは山々が新緑で美しい事に感動。金刀比羅宮に参拝後、サムハラ神社に参拝「ここへ参った後、言うようになったのは有難うだわ~、お願いばかりじゃなく感謝せにぁなぁ~!」と教えてくださいました。そこまでは良かったのですが、強力な助っ人を得て気が大きくなったママはなんと金刀比羅宮のある山の頂上に登ると決断、「えらいわ~、しんどうわぁ~」と3人で励まし合いながら展望台まで辿り着く。その後、何を思ったかママは高い展望台にすたこら登って行きました。降りがけに私が手すりを持ったら「あんたぁ~、高所恐怖症なん?、私はなんともないわぁ~」と満面の笑みでした。
多門櫓は、天守台の南西側、西側、北西側を取り囲むように存在した櫓です。絵図からは、西面は長さ二十四間、幅三間の細長い平櫓で、南北端に三間×四間の二階部分が置かれていることが分かります。南面は長さ八間半、幅三間の平櫓、北面は長さ五間半、幅二間の平櫓となっており、北面の櫓は七番門に接続しています。
整備工事では、建物の輪郭を御影石で表し、内部は自然石の樹脂舗装を施しています。また、二階建て部分と平屋部分との違いが分かるように色を変えて表示しています。(薄い灰色が二階建ての隅櫓部分)。北西の隅櫓から東へ続く櫓は、天端面を土系舗装とし、石垣内部へ雨水が入らないようにしています。
地下には裏込めの栗石が石垣の表面から奥行き6m(約三間)もの範囲に充たされていたことが、発掘調査によって分かりました。(文:現地案内版より)(2015年4月・2017年6月・2018年4月撮影)
2018年4月30日にグリーヒルズ津山へお散歩に。そよ風が時々吹いてきて、とても気持ちの良いお散歩でした。ビオラが綺麗に咲いていました。ぐるりと回って初めて発見!なんとウォターガーデンのには鯉さんがわんさかいました。
あけぼの旅館は、津山城下町のほぼ中央部の津山市戸川町31番地に所在する。津山城下町の建設は、津山城の築城とともに、慶長9年(1604)から初代津山藩主森忠政によって開始され、およそ寛永年間(1624~44)頃には完成したとされている。
城下町時代の戸川町は職人町で、慶長年間末以前は「富川」、以後は「戸川」の文字が用いられている。津山城下町を東西に走る出雲街道は戸川町の1本北側の本町2丁目と3丁目の通りにあたる。
これまで、旅館名の表記は、あけぼの楼、阿けぼの、阿希ぼ乃、曙などとされてきたが、現在は「あけぼの」に統一されている。
2018年5月4日、日本一の牡丹苗産地で有名な大根島(島根県松江市)にある「由志園」に出かけました。4月下旬~5月上旬には3万輪の池泉牡丹が庭園内を彩ります。5月6日には一日限定で黄色の牡丹の花で埋め尽くされたそうです。
江戸時代から続く雲州人参の産地。茶人大名として有名な松江藩七代藩主・松平治郷(不昧公)が財政を再建するため始めた高麗人参の栽培は世界の一級品として高く評価されています。
2018年5月13日(母の日)津山地方は雨でした。イナバ化粧品店の駐車場には見慣れたワゴン車が止まっていて「わぁ~、お馴染みの方が来ていらっしゃるわ。」と、顔見知りのファンの方々とお会いできるのが嬉しくなってくるようになりました。ご家族で来られるお馴染みさん、ファンの子ども達の成長が我が家族の様で嬉しいと話すママさんです。ママさんの益々のご活躍とご多幸をお祈りします。
2018年4月28日テレビなどのニュースで全面ピンク色の駅で話題になった「恋山形駅」に立ち寄ってきました。この駅は鳥取県八頭郡智頭町大内にある智頭急行智頭線の駅で、1994年(平成6年)12月3日に智頭線開業と同時に設置されたそうです。この日は丁度列車が来る時間帯なので、次から次へとカメラ片手にファンの方が多数来られていました。中でも熱心な親子さんがいてずっと写真を撮り続けていらっしゃいました。「恋ポスト」「恋ロード」などもありました。また、地元の皆さんが植えられた芝桜が丁度見ごろを迎えていて一層ピンク色になっていました。津山からでも40分程で行けました。
京橋門は、大手筋に位置する門です。堀にかけられた木橋を渡ると正面には石垣で囲まれた空間があり、右手に折れると門があります。これを桝形虎口といい、厳重な造りとしていました。現在、門や石垣は一部現存しているのみですが、絵図から、門は櫓門であったことがわかります。
現存するのは桝形虎口西側の石垣とそれに続く土塁の一部ですが、土塁は明治の廃城以降も累々とめぐっていたことが知られ、地元の人々からは、「万里の長城」と呼ばれ親しまれていました。
周辺は明治36年(1903)、津山高等女学校の敷地となり、この石垣上には昭和7年(1932)完成の而立館(同窓会館)が建っていました。(文:現地案内版より)(2018年4月29日撮影)