龍になった長者の娘『山西の民話』

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 入日長者は、何不自由なく暮らしていたが、ただ一つ子どもに恵まれないのが悩みの種だった。
 長者は神仏に祈った。特にお伊勢様に女房と二人づれでまいり、三、七、二十一日の塩断をして祈願をした。そのかいあったのか、その年、娘の子が授かり翌年男の子が授かった。女の子には伊勢と名前をつけた。 伊勢はキリョウよしで、村中の評ばんの美人だった。大きくなるほど美しさを増した。所々方々から嫁にほしいと申し込みがあった。しかし伊勢は一向に耳をかさなかった。
 十九歳のとき、因幡の国の長者から縁談が持ち込まれた。父も母もこれには心がうごいた。伊勢にこの話をして、いやおうなしに承諾させた。長者の娘のためにたくさんな衣裳を作ってやった。結婚の日取りは三月ときめた。いよいよ鹿島立つ日、一行は長い長い行列であった。美しい衣裳をまとった伊勢は又一段と美しさを増した。伊勢が門口に立つと見送りの人達がいっせいに「ああ美しい」と感嘆の声をはなった。伊勢は駕籠に乗って家を出た。父も母もこれが見納めとは思わず、門口で見送った。


 一行は、長者池-上げ船-飯山-妙原-津川原-公郷-加茂-因幡の行程だった。長者池まで来て一行は一休みすることになった。ここまで来れば、山西が見えなくなる。山西の見納めと思うと、伊勢の心にさびしさがこみ上げてきた。伊勢は駕籠からおりて、山西に向って、美しい手を合わせて「お父さん、お母さん、今日までよく私を育ててくださった。ご恩は決して忘れません。体に気をつけて、いつまでも丈夫で長いきしてください」と涙ながらに言った。居合わせた供の人達も、伊勢のかわいい心根に打たれて、ソット涙を流した。
 小半刻、休んでから「サア、出発だ」供頭がつげた。駕籠かきが担い棒に肩を入れたとたん...「アッ、駕籠が軽い」「お姫様がいないぞ」と大声で叫んだ。供頭や一行が青くなった。「さがせ!さがせ!」と共頭も一生懸命で下知した。
 その時、お付の女中がトンキョウな声で「アッタ、アッタ」と叫んだ。
一行がただちにその声の方へ集った。


 そこには伊勢の履物がキチンと揃えてあったが伊勢の姿はなかった。一行は愕然とした。その時、供頭が進み出て「もしお嬢様、何かわけがあって、池にでも入られたらそのことを教えたください。私は供頭として、山西へ帰って父君や母君へ、この顛末を報告しなけらばならない責任があります。どうぞ何とか教えてください」愛情切切、涙声ともに下る真情のこもった言葉が池の面に伝わった。この時地面に異状があり「供頭よ、よくきいてください。私はもともと人間の子どもではなかったのです。仮の人間の子どもとして生れてきたが、ほんとうはこんなものだったのです。今から姿をお目にかけます。よく見て、山西のやかたに帰って、父君や母君によくお礼を言ってください」と言い終らぬうちに、池の水が渦巻いて、中からニューと姿をあらわしたのは龍だった。赤い口から恐ろしい火をはきながら出てきた。供の人達は腰を抜かさんばかりに驚いた。アッと言う間に頭が池の面に沈んで、今度は胴としっぽを高く高くさし上げた。そして池の面が静かになっていった。供頭はどうすることもできず、一行をまとめ山西の入日長者のやかたに帰った。この顛末を一部始終報告した。これをきいた父の長者は「ああ、そうであったか。伊勢はあんまりきれいな子だと思ったら、やっぱり人間の子ではなかったのか!仕方がない」と茫然としていた。


 その年の夏、大夕立があった。真黒い雲が長者池の上をおおい、雷がしきりと長者池のほとりにおちてきた。人々が「ああ、池の中に入った。龍の子のお伊勢さんが雲をよんで天に昇ったのではないか?」と話し合った。
 夕立がやんで、長者池に行ってみた者達は池がしらにあった老松に龍が爪を立ててのぼったむざんな爪跡が幾筋もあるのを見て、お伊勢さんが雲をよんで天に昇ったのだなと、うなずきあった。

「後話」長者池が干拓されて美田となった。ある人が農耕に従事していたらピカリと光るものがある。「何だろうか」と不思議に思って拾い上げたら、「金の平打のかんざし」だった。また、ある人も農耕中、たんぼの中から銀のかんざしを拾ったという事実を聞いて、なるほど長者池であることを知った。又少し奥の寄松の田んぼの中で農民が拾い出した吊鐘が安国寺につるされて、そのわけが書いてある。


山西村(詳しくは旧名苫田郡高野村大字高野山西、現在津山市高野山西)の昔の姿を伝えたい念願から、この稿を起こしたものである。
 老人の懐古趣味だと笑うだろうが、私も喜寿の齢ををこして、余命いくばくもなしと思うと、何かしら、山西村の文化遺産が消え去ろうとしている様な錯覚が出て、おしまれる様な気がしてならんので、思い出をつづりました。まだまだあると思うが、一応この辺で打ち切りました。
 これらの民話は、私の子どもの頃、祖母が折にふれて物語ってくれた話をもとにして書いたものである。大方の皆さんの御指導と御批判を頂きたいものである。          
1985年7月1日著者しるす。故高橋明治(たかはし・あけはる)/明治39年3月22日津山市高野山西生まれ