鎧のかかった梅の木

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 今から420年ばかり前、織田信長の勢いが中国地方に及んできた。当時、この美作では宇喜多勢と毛利勢がいたが、信長の将秀吉の誘いで宇喜多は秀吉側についた。そして、秀吉と宇喜多の毛利攻めが始まった。
 神楽尾城には、毛利の武将大蔵甚兵衛尚清が荒神山城をにらみ、荒神山城では、宇喜多の武将花房助兵衛職秀(もとひで)が神楽尾城を攻め落とそうとうかがっいていた。大蔵は真正面から戦っては、勝ち目がないと夜襲を計画したが密偵(スパイ)により先刻察知され荒神城城下に潜入したとき、不意に荒神山城の伏兵に襲われた。不意を突かれた神楽尾勢はなすところを知らず逃げ帰った。各所に潜んでいた荒神山勢は神楽尾城を目指して追撃し、逃げる神楽尾勢を次々と討ち取っていった。ついに、闇に乗じて神楽尾城に潜入し、城に火を放った。かくして、神楽尾城は落城となった。

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 ほのぼのと戦いの夜は明け、神楽尾の城下に住んでいた人々が恐る恐る家の外に出て様子を見ると、前夜の戦いの跡が誠に痛々しく惨めな様子であったという。下田邑の川西という集落の一角に梅の木があり、その木の枝に鎧の袖がかかっていたいたという。それ以来、この梅の木はいわれのある木として大切にされてきたが、いつの時か枯れてしまった。
 そこで土居家の先祖の者は、それを切り取り家の屋根裏に上げておいた。400年たった今も保存されている。囲炉裏や竃の煙で黒くすすけているが、当時の戦いを知る梅の木である。(会報30号 2002年)
(写真:土居徹氏)(文:『美作の中世山城神楽尾』より)