勝間田宿で第5回街道祭がありました。
2016年9月11日(日)出雲街道 勝間田宿にて、第5回街道祭(10:00~15:00)があり、行って来ました。11日は秋晴れの良い天気に恵まれ、大勢の人々が繰り出して賑やかな街道祭となりました。出雲街道の宿場町として栄えた勝間田の街道を会場に、町内外の美術作家や工芸作家を集め、アートをテーマとしたイベントが開催されました。 また、街道フードコートやきんとくんマルシェも沢山の人で賑わっていました。
2016年9月11日(日)出雲街道 勝間田宿にて、第5回街道祭(10:00~15:00)があり、行って来ました。11日は秋晴れの良い天気に恵まれ、大勢の人々が繰り出して賑やかな街道祭となりました。出雲街道の宿場町として栄えた勝間田の街道を会場に、町内外の美術作家や工芸作家を集め、アートをテーマとしたイベントが開催されました。 また、街道フードコートやきんとくんマルシェも沢山の人で賑わっていました。
2016年8月22日の衆楽園をぐるりと回りお散歩してきました。蒸し暑い日が続く8月後半ですが、それでも幾分朝夕が涼しくなり、過ごしやすくなってきました。衆楽園のもみじも少し色づいておりましたが、これは紅葉の始まりではなく、暑さのせい?ところで、スイレンが可愛く咲いていたのですが、池を覆い尽くすのはどうだろう。それとガマガエルの子ども沢山いて、時々息継ぎに浮かんできます。
池田のサカキは、久米町南方中の国道181号線南側の池田家の本宅の右手にある。
サカキは関東以西に分布し、榊の字は日本だけの国字で神事に使うことからできたと言われる。
本樹はよく見ると4株からなっているが2株は完全に1株になっているため、現在では3本に見える。
(文:平成5年 津山地方振興局発行 津山の名木百選より抜粋)(2016年8月7日撮影)
本光寺の銀モクセイ 市指定天然記念物
中山神社の西南約1㎞の小さな谷間に黄檗宗瑠璃山本光寺がある。緩やかに伸びる参道を歩いて左右の放生池の間を過ぎて山門に向かう。山門をくぐり境内に入ると通路の直ぐ両側に、空を覆うようなモクセイの巨樹が立つ。両方の株の間隔は7mで、それぞれ高さ0.9mの方形の盛り土の上に立つ。ともに根元から多数の枝を林立させて、枝張りは四方へ5~6mも伸びている。
両樹の寸法は、右株が根元周囲約4.2m、樹高約15mで、左株が根元周囲約3.4m、樹高約13mである。いずれも樹齢は300年を越えると推定されている。
(2016年8月15日撮影)
武家屋敷めぐり(逸見家・津山市椿高下)
逸見家(へんみけ)のルーツは、約400年前(慶長8年)に森蘭丸の弟、森忠政の津山入封に随身した村山家です。村山家は、江戸末期に久原家から束(津山藩の弓術師範を務めた)を養子として迎えます。束には男子が三人おり、三男の寅雄が逸見家初代となりました。二代目が広司、三代目が現当主の章となります(敬称略)。
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中山神社 慶雲4年(707)に創建され、貞観6年(864)官社となり『延喜式』では美作国唯一の名神大社で、この国の一の宮とされ、永保元年(1081)に正一位の神階を授かった神社である。
尼子勢がこの地方に攻めこんだとき兵火に焼け、永録2年(1559)に再建され、明治4年(1871)に国幣中社となったが、戦後、社格制は廃止され、宗教法人中山神社となった。
神社に到着すると大鳥居がある。これは寛政3年(1791)につくられたもので、角貫に木鼻がなく、笠木と島木にそりをもたせて壮大美を強調してあり、他地方には例をみない大鳥居で「中山鳥居」といわれ、市指定文化財になっている。
大鳥居の左側には「名木百選」のムクノキがある。推定樹齢500年、目通り周囲5.5m、樹高23mの古木である。(文:津山の散策にしひがしより抜粋)(2016年7月18日取材)
中山神社祝木のケヤキ 市指定天然記念物
中山神社大鳥居前の県道ぞいにある。推定樹齢800年で、胸高8.95m、根元10.5m。地上5mから七枝に分かれ、内部は空洞となっている。道路に面して祝木社の小祀がある。祝木とはこの木の下で中山神社先住神を祝い祭ったという伝説にちなんでいる。
「中山神社縁由」によると、慶雲3年(706)中山神は美作国を鎮護するため英多郡楢原に天下った。次に水無瀬河奥の泉水池(現津山市一宮)に現れ、さらに田辺の霧山に移った。そこで麓の川に鵜の羽を浮かべたところ、その羽が長良嶽の麓にとどまった。その地はすでに先住神の大巳貴命が鎮座していたが、命から国譲りをうけ、慶雲5年(708)現在地に社殿を建てて永くこの地に鎮座することになった。そして
大巳貴命は祝木のもとに移住して鎮座したが、のち数10m南の地に宮地を求めて国司神社となったとする。(文:津山の文化財より)(2016年7月18日撮影)
ターゲットバードゴルフ場の概要(津山市新野東572)休場日はなしだそうです。
平成17年3月、日本原コース1番から9番ホール完成、平成24年7月には、INコース9ホールを増設18ホール常設コースが完成、OUT・INコースともコースの芝ほか原材料の支給により、芝張り・植樹等協会員他のボランティア作業により竣工、完成した18ホールを使用して県内外のゴルフ愛好家で新コースでのラウンドが楽しまれている。(案内パンフより)(2016年6月5日・6月14日撮影)
備中松山城跡(高梁市内山下)国指定史跡
備中松山城跡は、高梁市にある山城です。江戸時代に建てられた天守閣が現在も残る城は全国に12ありますが、そのうち最も標高の高い場所にある城がこの備中松山城で、天守閣は臥牛山の峰の一つ、小松山の山頂標高約430mに建てられています。
備中松山城跡がある臥牛山には、南北に延びる尾根上に中世から近世にかけて城が築かれていて、それら全体が国の史跡に指定されています。史跡指定地は、臥牛山に8ヶ所点在しています。また、天守閣、二重櫓、三の平櫓東土塀は国の重要文化財(建造物)に指定されています。
2016年6月4日に美咲町にある幻住寺(げんじゅうじ)曹洞宗美作観音霊場第三番に行って来ました。
ここは「玄住寺郷土自然保護地域」に昭和50年5月20日岡山県から指定されている所で自然がいっぱいです。この地域は、幻住寺山(標高510m)にある幻住寺を中心とする地域で、全域にわたって急峻な地形を呈し、流紋岩を母岩とする土壌が分布しています。
幻住寺は、後醍醐天皇の命名といわれ、奈良時代に建立されたと伝えられる由緒ある禅宗寺で、作州南部の三大名刹の一つとされています。(昨年の様子)