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本光禅寺の銀モクセイ

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 本光寺の銀モクセイ 市指定天然記念物
 中山神社の西南約1㎞の小さな谷間に黄檗宗瑠璃山本光寺がある。緩やかに伸びる参道を歩いて左右の放生池の間を過ぎて山門に向かう。山門をくぐり境内に入ると通路の直ぐ両側に、空を覆うようなモクセイの巨樹が立つ。両方の株の間隔は7mで、それぞれ高さ0.9mの方形の盛り土の上に立つ。ともに根元から多数の枝を林立させて、枝張りは四方へ5~6mも伸びている。
 両樹の寸法は、右株が根元周囲約4.2m、樹高約15mで、左株が根元周囲約3.4m、樹高約13mである。いずれも樹齢は300年を越えると推定されている。
 (2016年8月15日撮影)

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 『作陽誌』によると、瑠璃山本光寺の営まれいる場所は、もと神徳寺という禅宗の古刹があった場所で、寛文年間の初め頃にはまだ小堂が残っていたという。 そこに鉄堂が広福庵という庵を結んで住んでいた。しかし鉄堂は寛文8年(1668)には、長継が田邑に造営中の千年寺に移住した。
 寛文9年(1669)9月、松平主馬康矩の室となっていた第七女の於鍋が亡くなると、長継は寛文11年(1671)高野山に於鍋の石塔を建てた。さらに延宝元年(1673)4月には、鉄堂の庵跡に寺院を修造して、於鍋の法名本光院殿にちなんで瑠璃山本光禅寺と改称した。そして、鉄堂の弟子の北厳を住持として住まわせたのである。

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 延宝7年(1679)には、寺領150石が与えられたことが、『作陽誌』所載の長継判物から知られる。
 その後貞享5年(1688)には、本光院の母親である継光院の逆修のため霊屋が建てられるなど、森家ゆかりの特別な寺院として栄えた。また長継の娘本光院、長継の室梅雲院などの墓所としても、森家の手厚い庇護を受けた。

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 頭書の樹齢300年を越すモクセイは、長継が本光寺を造営した際に記念樹とし植えたと伝えられており、森家の盛衰を今に伝えているかのようである。

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境内からグリーヒルズ方面を眺める

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本堂のすぐ傍                  

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 現在の本光寺は、近世初期の寺院形態をよく留めており、周囲の環境も良好である。小さな谷間の敷地、本堂裏の庭園、正面門前の放生地、庭園裏の山腹に配置されている森家ゆかりの墓所など、全体の配置と景観に優れている。
 また、森家関係の古文書類や仏画、仏像なども伝えられており、モクセイのみならず全体として文化財的価値が高い。(文:1998年津山市教育委員会発行「津山の文化財」より抜粋)