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取材記事内を検索ワード「農業」で検索した結果,43件の記事が見つかりました。

小田中散歩(2020年2月1日)

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 2020年2月1日の早朝、お散歩がてらに小田中の小高い丘の上に上がってきました。
ここに上がると津山市内や津山城跡が見えますし、畑にはいつも季節を感じさせる野菜たちが育っています。今日も顔なじみのご近所さんご夫婦が早朝から野菜の収穫をされていました。
 「この頃は昔のように農業で食べていくのも大変だ。」と言いながらも、野菜を一つ一つ丁寧に収穫されている姿にいつも感動します。

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津山弥生の里文化財センターのお雛さま

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 2019年3月8日に津山市沼にある津山弥生の里文化財センター2階の展示室に今年初めてお雛さまが飾られました。過去の取材の時にも展示室で眠っておられたお雛さまも、このように晴れの舞台に飾られて嬉しそうですね。(2019年3月8日撮影)

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田中(小田中)

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 小田中の由来は田中郷からです。『和名抄』には、田中郷は苫田郡七郷の一つと書かれています。当時の田中郷は、西は現在の筋違橋から東の宮川まで、北は上河原から南の吉井川まで広い地域であり、城西通り一帯は河川敷であったと書かれています。田中の地名も田中郷に由来しています。
 町内の中心には白加美守護神、田中北部に農業の守護神の2社があります。

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板井原伝統的建造物群保存地区(智頭町)

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 県選定伝統的建造物群保存地区・板井原伝統的建造物群保存地区・選定年月日 平成16年2月3日
 当保存地区は、板井原川の谷間に沿って形成された小集落で、集落の成立は十五世紀末に遡ると考えられている。集落における主な生業は、水稲耕作や焼畑であるが、耕地が少なく、江戸時代以来、炭焼き、養蚕、杉樽材の産出などが行われた。
 集落は板井原川平行して走る六尺道に沿って、塀を用いずに建物が密集している。集落内の百十棟あまりの建物のうち住宅二十三棟は江戸時代から昭和初期までに建てられたもので、それ以外も、多くは養蚕が行われていた昭和四十年以前のものである。江戸時代から明治期に建てられた建物の多くは茅葺きであったが、養蚕が盛んになった大正以降は杉皮葺の二階建てが中心となり、これらは昭和に入り、鉄板葺きに変えられた。別棟で養蚕場を建てる家や、主屋を改築して養蚕場を二階に設ける家もあった。近代になって養蚕に活路を見出した集落の歴史を色濃く反映するとともに、当集落の固有の建築的特色となっている。また、主屋の特徴として、建物正面に杉の大材を用いた縁桁が見られ、杉の産地としての特性が現れている。
 集落内に自動車が入らないこともあり、県内でも珍しくなった山村集落の形態をよく保持している。当保存地区は、農林業を生活基盤とする山間部の集落であり、集落周辺の山林、谷、川、耕地にいたる生業形態に対応した伝統的建造物が密度髙く残り、周囲の自然環境と一体となってすぐれた文化的景観を形成しており、価値が高い。平成19年3月 鳥取県教育委員会(現地看板より)

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新見御殿町まち歩き【1】

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2015年10月27日(火)美作の歴史を語る会主催の新見研修会があり参加して来ました。
 新見市立新見美術館を皮切りに新見市内を散策。新見は津山藩との縁も深い所なのでとても興味深いところでした。その様子を遅ればせながらアップしました。
 当日は、新見御殿町まち歩きガイドの会の大西様にガイドいただきました。

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柵原鉱山で「坑道農業見学会」

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2018年2月4日に柵原鉱山で「坑道農業見学会」があると知って参加して来ました。この日は海外の団体様と一緒に約1時間程坑道内を見学させていただきました。子ども達も参加されていましたが、みんな興味津々で、色々と質問をされていました。


「坑道農業」とは、柵原鉱山の坑道を利用して農業をしておるんじゃ。坑道の中は1年を通じて温度・湿度が変わらず真っ暗な状態。この環境に適した作物をいろいろ考えて柵原の特産品にしようと始めたのが坑道農業なんじゃよ!(文:案内パンフレットより)

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片山 潜 記念館(久米南町)

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郷土の偉人・片山潜
 片山潜は1859年(安政6年)久米南町羽出木の庄屋、藪木国平(父)きち(母)の二男として生まれ、幼名を菅太郎といい19歳まで勉学のかたわら家業に精励した。その後片山幾太郎(建部町下神目)の養子となり(徴兵回避のためともいわれる)のち復籍し、さらに片山常吉(久米南町塩之内)の養子となる。この頃、名を片山潜と改める。
 1884年(明治17年)26歳で渡米、働きながら苦学し、グリンネル大学などを卒業し、その間、社会問題、労働運動に関心を持ち社会主義者となった。そして38歳の時、13年ぶりに帰国、明治30年にキングスレー館を開き社会主義、労働運動の啓蒙、普通選挙の実現や反戦平和の運動など多彩な文筆活動、実践運動に専念し日本の社会主義運動に偉大な足跡を残した。
 大正3年9月9日、日本での弾圧下を逃れて渡米し永遠に日本には帰らなかった。
 1922年(大正11年)の暮れにコミンテルの極東民族大会(ロシア)に参加して議長を務めるなど、精力的な活動を続け1933年(昭和8年11月5日13時50分)クレムリン病院で故郷羽出木の秋の空を欧州第一のトロサックスの空よりも美しいと遠く故郷に想いをはせつつ74歳の生涯を閉じた。
(久米南町観光協会)

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畑を見て農業も芸術だと感動しました。

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 2017年4月22日の津山市内の畑の様子です。朝早くお散歩すると清々しいですね。津山市の小高い丘のてっぺん至る所に畑があり、農業をされていらっしゃる方が沢山いらっしゃいます。四季折々におりなす畑の模様を眺めていると、芸術だなぁ~と感動し、思わず写真に撮りたくなりシャッターに収めてみました。

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地元の人が地元の風景を撮影した懐かしき平福地域の今昔

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2017年3月10日~12日まで佐良山農業研修施設・佐良山公民館で、「さら山景観展」(主催:佐良山住民自治協議会)がありました。地元の人が地元の風景を撮影した懐かしき平福地域の今昔ですが、時代の移り変わりを写真を通して見ると客観的に見えていいものだなと思いました。

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「さら山景観展」がありました。

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2017年3月10日~12日まで佐良山農業研修施設・佐良山公民館で、「さら山景観展」があり行って来ました。
 地元の人が、地元の風景を撮影した写真展を拝見してきました。このさら山地区の人は、地元を大切にされている所だなと感じると共に、写真を通してやさしい人が多いところなのではと感じました。ほのぼの。

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