2019 津山城(鶴山公園)の雪景色
2019年1月26日・27日と寒い日が続き、朝起きてみると雪が降り積もっていました。
それでも朝10時ごろには道路に積もった雪も溶けて、時折日差しも出てきたので雪景色を撮ってみようと津山城(鶴山公園)まで出向いて来ました。津山城(鶴山公園)では知り合いの方や、観光で来られている海外の方とすれ違いました。雪で化粧された石垣が美しく、また、木々に薄く積もった雪もとても綺麗でした。
2019年1月26日・27日と寒い日が続き、朝起きてみると雪が降り積もっていました。
それでも朝10時ごろには道路に積もった雪も溶けて、時折日差しも出てきたので雪景色を撮ってみようと津山城(鶴山公園)まで出向いて来ました。津山城(鶴山公園)では知り合いの方や、観光で来られている海外の方とすれ違いました。雪で化粧された石垣が美しく、また、木々に薄く積もった雪もとても綺麗でした。
城下町建設当初は、町場ではなかったのですが、寛文年間(1661~1673)城下町に編入されました。古名を「茅町」といいましたが、編入時に改名したと伝えられています。東側を流れる川沿いの通りを藺田町(湯田まちともいう)と呼び、岡山往来の出発点として繁盛しました。西今町には、翁橋があります。これは、津山城下の西部を北から南へ流れる藺田川に架かる橋で、旧出雲街道筋にあたり東側に西の大番所がありました。翁橋は、国の登録有形文化財で「この建造物は貴重な国民的財産です」と記されています。その西側には、作州民芸館があります。この建物は、大正9年(1920)、旧土居銀行本店として建設されました。外観は正円アーチと直線で構成されるルネッサンス様式を基本にした建築物で、国の「登録有形文化財」になっています。
当社の由緒については諸説あるが、徳守宰相を祀る「勅使宮」であるとする『森家先代実録』『作州記』等の説と、天照大神を祀る「勅旨宮」で天平以前の鎮座とする『美作風土畧』等の説との二つに大別できそうである。矢吹正則は『徳守神社誌』において「伊勢神廟ヲ勧請シ奉リシモ古キ御事ニテ一度皇太神ヲ合祭シ奉テハ之ヲ主神ト仰キ奉ルハ尊神ノ衷情二出シモノニテ敢テ祭神ヲ左右セシモノニハ非ルへシ」と合理的に解釈している。古代の総社宮での重陽祭では、幣を奉納する近郷八社の一つであったという。
天文8年(1539)に焼失したが、慶長9年(1604)春、森忠政が築城に先立ち、津山の鎮守として徳守神社を再建、同年内に落成して遷宮され、新田村において70石の社領を寄附された。2代藩主森長継は寛永14年(1637)さらに10石を加増し、寛文4年(1664)に社殿を新築した。現在の本殿・釣殿・拝殿がこれに当たる。
忠政の後を継いで津山二代藩主になったのは関家の流れである外孫長継である。1年後の寛永12年江戸に着いたその日の2月11日、池田備中守長幸の息女お鶴(大御前)と婚姻した。その次年の寛永13年には、将軍徳川家光の命により江戸市谷御普請手伝いとあわただしい消光の中、紹向とのトラブルもあった。長継27歳の時である。
長継と紹向は従兄弟同士であって、長継は紹向を「親兄の如く」慕っていたのであるが、妙願寺再建立のことが紹向の意のままにならず、「諸子末寺一等に退院」したのであった。ここに注目すべきは「末寺」という表現である。四ケ寺が建立されて、本願寺がその寺号をいつ認めたかは定かでない。また、妙願寺が造営された後に寺中四ヶ寺誰が寺務をとっていたのかも不明であるが、寺院の形態として、妙願寺境内地南側に長泉寺・養元寺・教念寺・善正寺の四ヶ寺かあるいはその一部の寺が造営されていたことは間違いないと思われる。なお、長継の時代には盛んに寺社の造営が行われている。また、寺社とは別であるがこの頃は嗣子以外の男子に一家を創立させて分地を与え、幕府に願い大名の列に加えることが行われていた。
2018年11月18日~25日まで「津山城もみじまつり」が華やかに執り行われました。
今年は初めて企画されたグルメフェスティバルで和洋スィーツフェスタがあり、色とりどり揃えられていて大人気でした。また、ステージでは津山シティーブラスの皆さんの軽快な演奏が素敵でした。それにちびっ子ダンサーが可愛い踊りがほほえましかったです。そうそう、姫路城から来られた若武者さん、津山城の石垣とコラボしてタイムスリップした様な気分になれました。ありがとう。
2018年11月14日、曇りの予想でしたが晴れたので急いで、衆楽園のモミジを観に行って来ました。
衆楽園は、江戸時代初期に津山藩主・森家によって築造された回遊式の庭園です。元禄11年(1698)に松平家が藩主となって以後幕末までは、家臣や他藩・他家からの使者を謁見するための「御対面所」、または藩主の隠居所の庭園として使われ、明治3年(1870)に「衆楽園」として命名されました。
衆楽園は津山城の北側(津山市山北)に位置しており、庭園は南北に長い敷地で、大半を池が占めています。別邸跡の古い建物群は現存せず、それらを再現した建物(余芳閣・迎賓館・風月軒ほか)が建っています。(津山城より)
津山城(鶴山公園)のモミジが紅葉をはじめています。2018年11月14日の鶴山公園のイチョウの木が綺麗に紅葉しているのを宮川から眺め、鶴山公園まで上がってきました。
本丸ではモミジとイチョウのコラボが美しく青空に映えていましたよ。それから、本丸から三の丸に裏から(腰巻櫓)降りる所は通行止めになっていて少し残念でした。
2018年11月4日(日)晴天の日に城東伝統的建造物群保存地区一帯で「出雲街道 津山城東むかし町」のイベントが執り行われました。当日は、橋本町~東新町の区間が歩行者天国となり、むかし町物産市やうまいもん屋台が出店して賑やかでした。通りを歩いていると、南京玉簾の皆さんとお会いしましたので記念に一枚写真を撮らせていただきました。笑顔がとてもいいですね。
大正時代の建物を活用してお店づくりをされた「津山城東とうふ茶屋 早瀬豆富店」は、2017年度 津山市景観賞 激励賞に輝いたお店です。早瀬豆腐店さんは、津山城東町並み保存地区にあり、しかも、出雲街道沿い荒神曲りの傍にあり解りやすい場所です。
「美味しい豆富の基本は、美味しい豆乳があってこそ、私たちは、豆富作りに大切な原材料・環境・技術のすべてに、とことんこだわり続けています。」と言われる早瀬豆腐店さんは、創業以来70年間守りつづけた豆富へのこだわりをもつ老舗、豆腐製品製造販売の早瀬食品が運営されています。
今年も「第23回 城西まるごと博物館フェア」が2018年10月7日に賑やかに開催されました。
宮脇町から西今町までの旧出雲街道を歩行者天国にして大正時代のにぎわいを再現しようと開かれています。恒例のクラフト作家の作品がずらりと並んで大賑わいでした。また、フラダンスやブラスバンドの演奏をはじめ沢山のイベントがありました。今年初めて聞いた生バンドの演奏も流れていてよかったです。(過去の様子です。)