西今町

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 城下町建設当初は、町場ではなかったのですが、寛文年間(1661~1673)城下町に編入されました。古名を「茅町」といいましたが、編入時に改名したと伝えられています。東側を流れる川沿いの通りを藺田町(湯田まちともいう)と呼び、岡山往来の出発点として繁盛しました。西今町には、翁橋があります。これは、津山城下の西部を北から南へ流れる藺田川に架かる橋で、旧出雲街道筋にあたり東側に西の大番所がありました。翁橋は、国の登録有形文化財で「この建造物は貴重な国民的財産です」と記されています。その西側には、作州民芸館があります。この建物は、大正9年(1920)、旧土居銀行本店として建設されました。外観は正円アーチと直線で構成されるルネッサンス様式を基本にした建築物で、国の「登録有形文化財」になっています。

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さらに、町の南の一角に、新高倉稲荷神社があります。この神社は嘉永元年初春に西今町の守護神として、西今町の人である山手屋江原市右衛門が建立したもので、大正初期に西今町町有財産となり、以来今日まで西今町の守護神として祭祀、毎年7月28日に夏祭り、10月28日に秋祭りを町民が集い町内安全、繁栄を祭祀しております。
 その境内には、西今町会館があり、この建物は、昭和36年(1961)旧制津山高等女学校の校舎の一部を貰い受け、この地に移築した由緒ある建物として、町民の誇りになっています。
 もう1つ、西今町で誇りにしているものは、弘化3年(1846)の建造の「鰕若臺」という名のだんじりです。これは「徳守神社の祭礼に参加しただんじりで最初の彫物の登場を告げる物であった」と町奉行日記に記されています。(文:『作州城西史』より)(2019年1月14日撮影)