取材記事内検索

取材記事内を検索ワード「寺」で検索した結果,897件の記事が見つかりました。

石燈籠と水鉢(上野田)

ishi-mizu.jpg

 石燈籠は仏堂に献燈する用具として中国・朝鮮をへて伝わり、後に神社にも用いられるようになった。
 献燈は昼に法会を行う際、浄火としたもので、照明用具としてではなく仏前の燈明か法燈を意味するものである。
 奈良時代前期の奈良当麻寺燈籠は我が国では最も古い。はじめ堂の正面にだけ建てたものが、室町時代末期より左右一対配されるようになった。
 江戸時代から明治期にかけての形式の変化は著しく、より重量感と座りのよい四角形石灯籠に撥形の竿が利用されるようになった。(文:勝北公民館発行『勝北むらの石仏』より)

石燈籠と水鉢(上野田)の続きを読む

千光寺のしだれ桜が満開です。

3-23senkouji23.jpg

2020年3月23日千光寺のしだれ桜です。
 今年は暖冬のせいか、全国的にもさくらの開花は早くなっています。千光寺も満開を迎えたしだれ桜が青空に美しく映えています。メインのしだれ桜は勿論奇麗ですが、二世のしだれ桜も劣らずとても奇麗でメインのしだれ桜より少し早めに咲き始めます。また、サンシュユの大きな木にはびっしり黄色の花が咲き、その上、菜の花もコラボして美しく彩を添えます。さくら満開とあってカメラを片手に多くの人が訪れていました。

千光寺のしだれ桜が満開です。の続きを読む

美作の大庄屋「土居家」(下田邑)

doike-t-4.jpg

土居家 土居七郎兵衛 西北条郡下田邑村 森藩~松平藩
大庄屋まで
 土居氏は、伊予の河野家の末裔である。天正年間に毛利氏の武将であった土居四郎次郎が神楽尾城の守りとして入ってきたのが、田邑土居家の始まりと伝えられている。その子、孫右衛門が帰農した。七郎右衛門が寛永8年(1631)大庄屋に任命され、二男太郎右衛門が河辺村土居家、三男伊右衛門が田辺村土居家として分家し、ともに大庄屋を勤めた。

美作の大庄屋「土居家」(下田邑)の続きを読む

安岡町の河川敷で祀られるお地蔵様

2-11kasenjikinojizou3.jpg

 吉井川に沿って安岡町から南新座までの静かなところをお散歩すると、途中、石灯籠のところで河川敷に降りる階段があるので降りてみると、石垣に沿うようにお地蔵さまが祀られています。
 「このお地蔵様は、この辺で溺れて亡くなった子供達の為に建てたって聞いてますよ。筋違橋のもう少し上手のお花淵から水練場にかけては、かなり水量も多くて、流れもキツかったんですよね。それで何人かは亡くなった方がいたんです。ウチの母親もたまにお詣りに行ってます。^_^
 元々は対岸の津山口あたりにあったものが、あの場所に氾濫の後流れ着いたらしいですよ。」と安岡町在住の廣本 慎太郎さんより情報提供をいただきました。

安岡町の河川敷で祀られるお地蔵様の続きを読む

千光寺のしだれ桜・椿・サンシュユの花

senkouji2020-3-17-2.jpg

 2020年3月17日お彼岸の入りです。朝は寒かったのですが、日中は暖かな陽気になりました。そろそろ千光寺のしだれ桜が気になりお昼にいってまいりました。西側の二世のしだれ桜がぽつぽつと咲いていました。コロナウイルスで学校も休校になっているからでしょうか、お孫さん連れでお墓参りに来られていて賑やかな声が聞こえていました。

千光寺のしだれ桜・椿・サンシュユの花の続きを読む

美作の大庄屋巡り「香山家」(野介代)

2020-2-4kouyama1.jpg

香山家 香山太郎兵衛 東南条郡野介代村 森藩~松平藩
大庄屋まで
 香山氏は、播磨国揖保郡香山の地名によるという。康正2年(1456)山名氏の家臣となり、香山城主であった。羽柴秀吉に攻められて落城し、香山安正が美作に逃れ、高野本郷の中島隆重の婿となった。
 森藩によって大庄屋に任命され、貞享年間に川崎村から野介代村へ転居した。
大庄屋として
 貞享元年(1684)吉井川の大洪水があり、川崎村は大きな被害を受けた。翌年、森長成の命により、川崎村200余戸と川崎八幡神社高福寺を北方の丘陵や野介代村に移転した。香山太郎兵衛は、移転に反対する百姓を説得して、移転させ、丘陵の開墾に尽力した。
 元禄8年(1695)幕府は江戸の中野に犬小屋建設を森藩に命じた。その経費として特別な負担を申し出た大庄屋や大年寄の中に香山太郎兵衛の名がある。森藩改易の翌年、松平長矩が新しく津山10万石の領主となった。この時太郎兵衛は領民の代表として土居藤七と江戸へ行き祝意を表している。

美作の大庄屋巡り「香山家」(野介代)の続きを読む

美作の大庄屋「田中家」(英田郡海内)

mimasaka-syoya4.jpg

田中家 田中久太夫 英田郡海内村 森藩 沼田藩
大庄屋まで
 田中氏は、三星城主後藤勝基の家臣田中信濃守が祖先であるという。その子次郎兵衛が海内村に帰農し、その子久太夫が森藩の大庄屋に任命された。享保15年(1730)英田郡など3郡1万4000石が上野沼田藩士岐領になると、再び、大庄屋に任命され、代々長兵衛を名乗った。
大庄屋として
 沼田藩は、海内村に陣屋を置いた。田中長兵衛は士分にとりたてられ、年貢の徴収・輸送にあたった。中庄屋として協力した山外野村の黒田家は薬草園経営のも関わっていたという。
 慶応2年(1866)改政一揆が起きると、沼田藩は、鯰村の隋縁寺など領内4ヶ寺に一揆との交渉を依頼、金4000両と米1500俵を一揆勢に渡すことで願書を撤回させた。とくに隋縁寺の僧侶日正上人の活躍があった。上人の墓は妙法寺(津山市西寺町)にある。大庄屋の田中長兵衛も一揆の鎮静化に尽力した。

美作の大庄屋「田中家」(英田郡海内)の続きを読む

千光寺では梅の花や、椿の花が咲いていました。

senkouji2020-2-9.jpg

 2020年2月23日(日)この冬は暖冬なので椿の花もすでに咲いているだろうと思い、お散歩がてら千光寺まで行ってきました。まず、山門で見かけたのがピンク色の可愛い梅の花です。青空に映えて可愛く咲いています。階段を上り山門をくぐると左手に咲いているピンクの椿は信長の弟が愛した有楽椿、その奥に珍しい色の椿の花が奇麗に咲いていました。毎年春になるとつい行きたくなる所です。

千光寺では梅の花や、椿の花が咲いていました。の続きを読む

美作の大庄屋「福本家」

t-fukumoto14.jpg

福本善兵衛 久米北条郡坪井下村 森藩~幕府領 挙母藩(ころもはん)
大庄屋まで
 家伝によれば、福本家の先祖は原田氏である。原田行佐の二男政次が坪井村の笠森神社近くに移住した。政次は、亀山城落城のとき戦死した叔父の福本藤兵衛の跡を継ぐため福本に姓を変えたという。政次の孫小左衛門は、村内の比津免(ひずめ)に移住し、後に森藩の大庄屋に任命された。小左衛門の孫文左衛門が、内藤藩の大庄屋に任命され、代々勤めた。
大庄屋として
 森忠政が、初めて領国を巡回した時小左衛門と父助右衛門が召されて、岩屋城攻めの話をしたという『大庄屋由緒調』。文化10年(1813)12月2日伊能忠敬の測量隊が止宿した。

美作の大庄屋「福本家」の続きを読む

碗の中の小宇宙 秘めたる器『曜変天目』

suzuki1-3.jpg

  2020年01月11日(土)~ 2020年01月26日(日)、 ポートアート&デザイン津山にて「碗の中の小宇宙 秘めたる器『曜変天目』」が開催され大勢の方が訪れていました。
 この作品展は、日本に3点しか存在しない国宝「曜変天目茶碗(ようへんてんもくちゃわん)」をひたすら追及する陶芸家の鈴木禎三さん(津山市在住)の作品展です。
「器として何か超越している〈もの〉を内包している国宝『曜変天目』におもいをいたすと、人が生み出す〈もの〉には〈いにしえ〉の人なら感じることができるであろう〈心〉〈自然〉がただただそこにはあると思う。まだまだ力不足な自身の『曜変』の天目ではあるが国宝『曜変天目』と少しでもなにか通ずる所を感じてもらえたらと切に思う。鈴木禎三」


鈴木禎三さんのプロフィール
 1974年大阪府堺市生まれ、1994年岡山県備前陶芸センター卒業、1997年青年海外協力隊としてフィリピンに派遣(~2000年)、2002年岡山県津山市に作陶の拠点を築き天目の研究を始める、2014年初個展、2015年JICAシニアボランティアとしてベトナムで陶芸指導。

碗の中の小宇宙 秘めたる器『曜変天目』の続きを読む