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つながる「出雲街道(Ⅱ)」を歩こう会 万能乢コース(2)

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 つながる「出雲街道(Ⅱ)」を歩こう会 万能乢コース(1)からの続きです。今回のコースは比較的になだらかな所が多かったため歩くのが楽でした。また、事前の調査、古道の整備など「勝間田宿の会」、「土居宿を後世にのこす会」、「勝山宿の会」の方々のご努力に感謝しながら歩いてきました。


 今回の「つながる出雲街道(Ⅱ)」を歩こう会は、特別企画 第4弾として、万能乢より江見までを、「勝間田宿の会」を主催者にして、「土居宿を後世にのこす会」と「勝山宿の会」とで共催して開催いたします。また、万能乢コースと別に、古代より開けた「杉坂峠コース」がありますが、このコースは又の機会に譲り、参勤交代が始まった江戸中期(慶長9年頃)より、土居宿が設置され「万能乢コース」が開発されたので、今回は同コースを歩きます。

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つながる「出雲街道(Ⅱ)」を歩こう会 万能乢コース(1)

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 はじめに
 出雲街道とは、播磨の国、姫路に端を発し、出雲の国、松江に至る約215Kmの古道を言う。また、一説によれば松江の先、出雲大社とも言われている。
 大和朝廷が、武力で全国を平定としたのに対し、出雲は神話に登場するが如く、平和裡に国譲りが行われ、朝廷より優遇され、鉄の産出も始まり、街道は繁栄してきました。
 街道は人、物、文化を運ぶ役目を果たし、その重要性は五街道(東海・中仙・甲州・日光・奥洲)に匹敵し、同等の街道として発展してきました。
 その後の街道は時代と共に、道筋は変遷、消失を繰り返していますが、現存している道で2コース有る場合は、合理性が高いか、最も古い道を採用しています。
 今回の「つながる出雲街道(Ⅱ)」を歩こう会は、特別企画 第4弾として、万能乢より江見までを、「勝間田宿の会」を主催者にして、「土居宿を後世にのこす会」と「勝山宿の会」とで共催して開催いたします。また、万能乢コースと別に、古代より開けた「杉坂峠コース」がありますが、このコースは又の機会に譲り、参勤交代が始まった江戸中期(慶長9年頃)より、土居宿が設置され「万能乢コース」が開発されたので、今回は同コースを歩きます。(文:特別企画(第4弾)出雲街道(Ⅱ)を歩こう会 主催:出雲街道 勝間田宿の会、共催:土居宿を後世にのこす会・勝山宿の会案内より)

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第二回 つやま町燈路(城東地区)

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 令和3年10月23日(土)18時~20時、第二回つやま町燈路が、城東地区12町内、11箇所(中之町は当日不幸があり急遽中止)で2610個の灯籠が灯されました。
 今回もウィズコロナの観点から事前告知を一切行わず、地域住民のみのイベントとして開催されました。上之町6丁目と西新町が共同で旧出雲街道の参道開始点から大隈神社の本殿前までを700個の燈篭で光の道を作った。(県重要文化財付近はLED光源を使用して火災の発生を防止した。)
 また、旧出雲街道沿いの民家の軒先に並べた灯籠は、重伝建の町並みとマッチした景観となり、多くの地域住民が沿道に出て景色を楽しんだ。
2020年10月17日2020年10月17日(土)の夜(大隅神社宵祭りの夜)

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令和3年度 夏季企画展 あれも薬 これも薬

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 人は昔から、動植物や鉱物などを薬として使ってきました。
江戸時代の薬は、そうした自然由来の生薬であり、刻んで乾燥させるなどの簡単な加工を施して、薬効が高くなるように調合されました。当時は、いわゆる「鎖国」によって、中国人とオランダ人のみが、長崎で交易を許された時代でしたが、医師たちは治療に役立つものを見つけ出そうと、両国から輸入される薬を研究したのでした。
 本展では、江戸時代から明治時代にかけて、人々が薬に対してどのような関心を持ち、どのように研究したのかをご紹介します。「あれも薬になったのか、これも薬になったのか」と、楽しみながらご覧いただければ幸いです。(文:津山洋学資料館)(2021年7月11日撮影)

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春季企画展「資料が秘めた物語Ⅲ」

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 津山洋学資料館 春季企画展「資料が秘めた物語Ⅲー洋学者がみた西洋文化ー」が、令和3年3月13日~6月13日まで開催の予定でしたが、岡山県に「緊急事態宣言」が発令(6月20日まで)され各公共施設が閉館となってしまいました。その前に取材していた様子です。(2021年3月19日撮影)


 江戸時代の洋学者たちは、西洋から医学や植物学、化学などの新しい学問を受容しました。また、学問だけではなく、西洋の衣・食などの文化にも関心を持って、様々な記録を残しています。そうした記録は、洋学者たちの研究活動のもとになった好奇心や探求心・観察力を伝えてくれます。
 今回の企画展では、『解体新書』が刊行され、江戸で蘭学が花開く中で催された蘭学(洋学)者たちの宴「新元会」、そして幕末から明治時代にかけての「鉄道(蒸気機関車)との出会い」という二つのテーマで、資料に秘められた洋学者たちの「西洋文化・文明への好奇心」を読み解いていきます。洋学者たちのワクワクした気持ちを追体験していただく機会になれば幸いに存じます。(令和3年3月13日津山洋学資料館)
 

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宮川河川敷のさくら並木が満開です。

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 2021年3月31日ですでに満開のさくら並木です。
今年はコロナ禍で自粛生活が長引いているので春のさくらの花の下でお花見を楽しみにしてきた人も多いと思います。でも今週末までどうにかもってほしいと願っていたら、天気予報が無常にも雨を知らせている。

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城山公園(茶臼山城址展望台)赤磐市

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 吉井川の清流のほとり、空を衝くように茶臼山がそびえ立つ。
備前軍記によると戦国時代に山城があったと記載され、県の史跡になっています。
四季を通じて楽しめる山頂に、城型展望台とともに高瀬舟舟宿を移築し、大型竪穴遺構を推定復元して人々に親しまれる公園にしました。
茶臼山城址展望台
 建物は、茶臼山が山城跡であったことから「城」の形態を採ったもので、現存する同時代の山城の遺構に見られるいくつかの要素を基本に構築したものである。構造は、鉄骨一部鉄筋コンクリート造三階建、延床面積181.32m、高さ14.2m、最上階展望室は、街並みから約135mあり、これは超高層ビルのおよそ35階の高さに相当する。ここからは、吉井川、吉野川流域の景色はもとより、はるか北方の中国山脈も眺望することができる。

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津山城下町雛めぐり<城東地区>

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 風情あふれる旧出雲街道「城東町並み保存地区」のひな祭りです。
 代々受け継がれてきた歴史のある雛人形や豪華な飾りはそれぞれのご家庭でご自慢の品々でしたが、生活様式の変化によってかつてのような「雛まつり」を祝うご家庭が少なくなりせっかくの素晴らしい「雛飾り」の多くが仕舞われたままになっています。そんな、「お雛さま」を玄関先やお店のショーウインドウに飾って皆さんに見て頂き一緒にお雛まつりを祝う、そして雛まつりを楽しみながら街を巡り城下町津山の歴史や文化を感じて頂くのが「津山城下町雛めぐり」です。

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第8回 作州忍者鶴山隊学習会

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2020年12月16日(水)午後1時30分~午後3時から、津山市大谷 津山市中央公民館 1階大会議室で、「第8回作州忍者鶴山隊学習会」がありました。いまや忍者は世界中で知れ渡っています。NHKでも忍者の特集があったり、また、ブラタモリなどで全国的にも脚光をあびていますね。
 さて、今回のテーマは「津山出身の蘭学者 箕作阮甫とその家系」講師は小島 徹氏(津山洋学資料館館長兼津山市史編さん室長補佐 学芸員)です。今回は密を配慮し方多くの方に参加して頂くため大会議室を確保しての学習会でした。(第7回勉強の様子

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仁木永祐と籾山黌をめぐる人々

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令和2年度津山洋学資料館冬季企画展「仁木永祐と籾山黌をめぐる人々」
会期:令和2年11月28日(土)~令和3年2月21日(日)津山洋学資料館 企画展示室(津山市西新町5)


 津山市街の北方、籾保の丘陵に、高さ4メートル程もある、大きな石碑があります。この石碑は、江戸時代後期から明治時代にかけて、この地で医療や教育、政治に尽力した医師 仁木永祐を顕彰するため、門人や地域の人々によって建立されたものです。
 永祐は1830(文政13)年に下津川村(現在の津山市加茂町下津川)の中庄屋 豊田伊兵衛の四男に生まれました。江戸や大坂へ遊学して洋学と漢字を学び、籾山村(現在の津山市籾保)の医師 仁木隆助の養子となって地域医療に尽力。明治時代には自由民権運動にも参加して「美作の板垣退助」と呼ばれました。

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