企画展「津山洋学の名品展」
7月、開催中の企画展「津山洋学の名品展」は一部展示替えを行いました。
今回の企画展では、常設展示には並んでいないけれども、津山の蘭学・洋学を語るうえで貴重な資料のほか、異国文化への関心や明治の文明開化を物語る興味深い資料などを、いくつかの小テーマに沿ってご紹介しています。会期は9月25日(日)までですので、ぜひご観覧ください。(文:津山洋学資料館)(2022年7月3日撮影)
津山洋学資料館
写真左:久里浜に上陸するペリー一行(ウィルヘム・ハイネ画)複製
写真右:横浜に上陸するペリー一行(ウィルヘム・ハイネ画)複製
ペリーの横浜上陸の祝砲
ペリーの横浜上陸の祝砲 描かれたロシア船
ペリー一行の肖像画
ペリーの久里浜上陸の様子 オランダ人の会食風景
1859(安政6)年に開港して以来の横浜では、来日した外国人の生活や風俗、舶来の品物など、当時の日本人が興味をもった事柄を描いた浮世絵が多く作られるようになります。これらは「横浜絵」と呼ばれ、明治時代まで人々に楽しまれました。横浜絵の特徴は、異国情緒にありますが、これに影響を与えたものとして、それ以前の貿易港・長崎で生まれた「長崎絵」(長崎版画)があります。横浜絵は、長崎絵とともに、当時の対外交渉を知るうえで重要な資料です。絵師としては、歌川国芳門下の歌川芳虎、芳幾、歌川芳富、歌川芳豊らが代表的で、ほかにもこの時期多くの浮世絵師が江戸から横浜に赴き、筆をとっています。
明治時代の日本は、西洋文化を積極的に取り入れ、それに伴って制度や習慣が大きく変化しました。この近代化現象は、「文明開化」と呼ばれ、その様子をテーマとした「開化絵」が描かれるようになります。江戸時代の文化ではない洋装・洋髪の人々や、お雇い外国人が設計・指導した洋風建築、石橋や鉄橋、蒸気機関車・鉄道馬車・蒸気船、ガス灯や電灯などの開化風物が、遠近法などの洋風表現を取り入れて描かれました。幕末から描かれていた横浜絵は明治時代後期にはほとんど見られなくなりますが、その技術は開化絵に継承されました。文明開化の熱がさめてくると、明治時代の浮世絵文化も廃れていきました。
津山洋学資料館の玄関先のあじさいの花
歴代の洋学者たちの銅像